2015年07月11日16時30分掲載
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世界経済
ギリシャ問題1 〜ギリシャ債務危機を引き起こした金融権力〜 本山美彦(「変革のアソシエ」共同代表・京大名誉教授)
1980年代のはじめ、日本では「サラリーマン金融」(サラ金)問題が深刻な社会問題になっていた。サラ金は、(1)簡単に手軽にその場ですぐ借りられる利便性、(2)高金利、(3)厳しい取立て、を特徴としていた。そのサラ金によって、多くの貧困者が借金地獄にのたうっていた。当時の日本の市民は、あくどい「サラ金業者」(金銭貸付業者)に抗議していた。その結果、1983年に「貸金業の規制等に関する法律」と「出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律」(出資法)の一部改正法からなるいわゆる「サラ金規制法」が成立した。
この法律によって、金利については、それまで上限が年利109.5%(日歩30銭)だったのが、最終的に40.004%(同10.96銭)に引き下げられた。
威圧的な取立てや深夜の取立てが規制された。悪質な業者に科する罰金の上限額も300万円に引き上げられた。サラ金問題では、貸した方が悪く、借りた貧乏人には被害者であるという共通の認識を当時の日本人は持っていた。
■「ギリシア国民が悪い」という論調のオンパレード
ところが、最近の日本では、ギリシャの債務問題に関して、借金したギリシャ政府と倹約をしないギリシャ国民が悪いという論調のオンパレードである。
ギリシャは、欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)からなる、いわゆる「トロイカ体制」(いまでは諸機関と呼称されている)が押し付けた緊縮策によって、年金は4割カット、公務員は3割削減、緊縮財政で経済は深刻な不況、企業収益の低下が続き、税収は大幅減、個人所得も低下し、失業率25%以上、指令通り増税を断行、社会保証も大幅カット、等々、ギリシャの市民の多くはかつての日本のサラ金地獄に苦しんでいた人々と同じく、塗炭の苦しみを余儀なくされている。
にもかかわらず、日本のオピニオン・リーダーの多くが、ギリシャ市民の生活態度を批判している。
借金も返さずに贅沢をしている。公務員が非常に多い。仕事もあまりしない。そのような国民性を持つギリシャに緊縮財政を要請されているのは当然だと、とテレビでおなじみの解説者が言い放った。
ギリシャは為替の調整メカニズムが働かないのをいいことに、現在の生活水準にあぐらをかいて贅沢な生活を続けている。本来なら、日本の小泉純一郎元首相のように、政治家が『このままでは大変なことになる。だから改革をしよう』と国民に訴えなくてはならないのに」と大臣経験者の著名な経済学者がのたまった。
テレビ報道や情報番組では、同じ内容のものが連日放映されている。
日本の社会では、評論家の多くが、似たような発想をしている同業者と同じ言葉を臆面もなく使うという光景が毎日見られる。
こうした哀しい風潮がいつまで続くのだろうか。マスコミにへつらわず、マスコミが無責任に垂れ流す俗論に敢然と闘う専門家が増えなければならないと、私は強く感じる。
■「債務のオフバランス化」
ギリシャは、2002年にユーロに加盟して以降、高利回りを求める巨額の海外資金がに流入してバブルになった。2011年、ドル防衛・ユーロ潰しのために米英投機筋がそのバブルを崩壊させて、ユーロ危機を起こした。米国が支配するIMFが救済支援と称してギリシャを借金漬けにして、危機を長引かせている。
そもそも、国家債務の対GDP比が3%以内というのが、ユーロ加入の条件であった。その比率を大きく超していたギリシャがユーロに加盟できたのは、ある大手国際金融業者がギリシャ政府に手引きした「債務のオフバランス化」という手口による。
1981年1月1日、ギリシャは「欧州連合」(EU)の前身である「欧州経済共同体」(EEC)に加盟した。推進したのは軍事政治停止後に成立した保守政党「新民主主義党」(ND)政権下の首相、コンスタンディノス・カラマンリスであった(加盟を見届けた後、大統領に就任)。
1999年1月、決済用仮想通貨のユーロが導入された(実際の現金通貨は2002年1月発行)。しかし、ギリシャは、1999年1月のユーロ導入国決定段階では、参加基準を満たしていず、ユーロ圏には入れてもらえなかった。そこから金融権力による債務隠しが始まった。それが効を奏して、2001年1月1日に12番目のユーロ参加国となった。
資産・負債をきちんと会計帳簿に載せることを「オンバランス」という。載せないことは「オフバランス」と呼ばれる。国家債務をオフバランス化してしまえば、見かけ上は国家債務がないので、ユーロの3%条件をすり抜けることができる。
■「レポ取引」
オフバランス化に利用されたのが、「レポ取引」(Repurchase transaction)である。
レポ取引は、「買い戻し条件付取引」のことをいう。一般に有価証券の貸借取引には、担保金等を差し出す「有担保取引」と、それをしない「無担保取引」の2つがある。この有担保取引のうち、金銭を担保として受入れ、債券を貸し出す取引が「レポ取引」である。レポ取引は、米国で発生したもので、1970年代後半には、米国で巨大なマーケットに成長していた。
レポ取引では、債券と資金を一定期間交換する。決済日に債券の借り手は債券と貸借料を貸し手に渡し、一方で債券の貸し手は担保金(現金)と利息を借り手に渡す。これを短期の資金調達という視点から見ると、資金調達コストは、現金担保にかかる金利から債券の貸借率を引いたもの(レポレート)になるので、借り手に非常に有利になる。有利になるだけではない。借金そのものをオフバランス化して隠すことができるのである。
ギリシャは、国債を外国の大手金融機関に売却し、その見返りに、金融機関から担保金(現金)を受け取る。買い戻し条件はほぼ3か月であった。
契約日がくれば、ギリシャはその担保金を金融機関に返却して、金融機関に売っていた証券を、契約額で買い戻す。その繰返しであった。
いずれ買い戻すことが分かっている債権であっても、一時的にバランスシートから外す(オフバランス化)ことができる。
これら取引は、国際的金融権力と、コンスタンディノス・カラマンリス率いる右派政党、「新民主主義党」(ND)とによって隠密裏に進められたものであった。
■2009年に発覚した債務隠し
しかし、債務隠しも2009年に発覚した。同年10月5日、ギリシャで5年ぶりに政権交代があった。アンドレアス・パパンドレウが率いる「全ギリシャ社会主義運動」(PASOK)が、NDを破って、政権を奪取したのである。
この新政権の調査で、ギリシャの財政赤字はGDP比で12.7%に上ることが判明した。この数値の公表によって、EUは大混乱した。それは、パパンドレウの大きな賭であった。欧米の責任を追及して債務の棒引きを狙っていたのである。しかし、事実を公表したことによって、PASOKは、自らを窮地に追いやることになった。
■ギリシア国債にCDS(債務保証保険)
実は、大手の国際金融機業者が密かに進めていたもう1つの危険な手口があった。彼らは、ギリシャ国債にCDS(Credit Default Swap、債務保証保険)を掛けていたのである。こうして、元本が保証されたギリシャ国債は、実態よりも高い価格(低い金利)で取引された。このギリシャ国債を彼らは世界中に売りまくったのである。
CDSの仕組みは、現物でない想定された債権の売買もできる。CDSは、信用リスクの移転を目的とするデリバティブ取引の一種であり、損失が出た場合、損失額の補填を受けることができる。つまり、国や企業の債務の一定の元本額(仮想元本額)に対する信用リスクの保護権(プロテクション)を売買する(信用リスクを移転する)ことができるのが、CDSの取引である。プロテクションの買い手は、仮想元本額に対する一定の割合の金額を定期的に支払う。プロテクションの売り手は、買い手から契約上の債務を元本額で購入する約束である。
このCDSを強力な梃子として、大手金融業者はギリシャ国債を世界中に売りまくった。
国債価格が下がると、CDSの売り手である金融業者は元本を保障しなければならない分だけ大損になる。各国の金融支援が必要になるゆえんである。
しかし、EUからの金融支援がある前に、ギリシャ国債の「空売り」を仕掛けておれば大手金融機関は大儲けできる。ギリシャ国債を空売りして先物のギリシャ国債の価格を下げる。さらに、ギリシャの新政権が債務危機の実情を公表すれば、現物国債の価格も暴落する。値が下がった時点で、現物を安く購入しておく。各国の支援があると分かれば、国債の価格は値上がりする。その時に仕込んだ国債を売り飛ばせば儲かる。事実、2010年には、支援を渋る「欧州中央銀行」(ECB)に圧力をかけて、支援を約束させたのは、米国政府と米国の大手投資銀行であったと言われている。
2010年当時のギリシャ国債の総発行残高は3500億ユーロ、その約60%が海外の投資家によって保有されていた。デフォルトの危機は、ギリシャ国債のCDSを大量に売買していた米国の金融機関の危機でもあった。2007〜08年のAIG破綻の再現が起きてしまう恐れがあった。
ギリシャ政府は、2010年3月8日、債権カットという強硬手段に出ると宣言した。債権団との交渉は、当然だが難航した。米国の金融機関はぎりぎりの3月6日、ギリシャ政府と隠密裏に交渉した。副島隆彦氏は次のような情報を紹介した。
彼らは、既発行の26%分もの大量のギリシャ国債を保有していた。そのうちの「表の帳簿」に記載している4%分だけはCDS契約の権利執行をギリシャ政府に認めさせた。これでプロテクションを買っていた投資ファンドは、保険金を満額で手に入れることができた。
他の22%は、ケイマン島やバミューダ諸島のタックスヘイブン(租税回避地)にある「裏帳簿」での投資資金として運用されている。これを、EU当局が保有している米国債と「額面」での評価でボロクズのギリシャ国債を交換することで交渉はまとまった(副島隆彦『欧米日やらせの景気回復』徳間書店、2012年)。
副島氏の情報の正しさは確証できない。しかし、米国政府と米国金融機関が、ギリシャの地政学的重要性を訴えて、EUに圧力をかけたことは十分ありうる。
■ECB(欧州中央銀行)とユーロ・バブル
また、ECBはユーロ圏の資産を担保にユーロを発行している。ギリシャ国債の債権カットがあれば、ECB自体が大きく傷つく。ECBがもっとも大量のギリシャ国債を保有していたからである。おそらく、既発行のギリシャ国債の30%は保有しているであろう。ECBが米国の要求を無碍に断れない理由の一つがここにある。
そして、民間債権者は、債権削減に抵抗している。ドイツなどが返済を強く求めているのも自国の金融機関の圧力を意識していたからである。http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120203/fnc12020301050001-n1.htm
ギリシャ危機は、ギリシャの不始末をあげつらうことで克服できるものではない。ユーロ圏全体の危機である。それは、「ユーロ・バブルの崩壊局面」と考えるべき類いのものである。
ギリシャなど南欧諸国の国債暴落を最初に仕掛けたのは、投機的動きをするヘッジファンドである。これらの機関投資家は、2000年代後半から米ドル資産をユーロ資産にシフトさせてきた。その背景には、2008年の金融危機によって信用不安が露呈した米ドルに代わる「新たな基軸通貨ユーロ」への期待と同時に、欧米間の金利差に目をつけた資金の動きがあった。
■「ドル・キャリー取引」
米国ではサブプライムローン問題が発覚した2007年の秋以降、FRB(米連邦準備理事会)が利下げを急ピッチで進めてきたのに、ECBはリーマン・ショックが発生する2008年秋まで、インフレ抑制にこだわって金融緩和を躊躇してきた。結果として、低金利の米ドルで資金を調達して高金利のユーロ資産に投資する「ドル・キャリー取引」が拡大し、大量の資金がユーロに流入したのである。
ギリシャは2001年のユーロ加盟時から、財政状況の悪さが指摘されていた。ユーロ圏の拡大を急ぐユーロ諸国はギリシャの財政問題に目をつぶり、当のギリシャはユーロに加盟したことで、本来よりも低金利での資金調達が可能になった。低金利とはいっても、同じユーロ圏に属するドイツやフランスよりも高い金利がつくギリシャ国債は、魅力的な投資先として周辺国の銀行などから大量の資金を引き寄せたのである. (以下、参照)
http://manabow.com/qa/euro_crisis.html
そして、バブルが崩壊した。ギリシャには債務だけが残された。これを世界的な視点から分析するのではなく、ギリシャ国民の不始末の結果としてとくとくと語る「識者」とは何なのだろうか?
次回は、ギリシャの「急進左派連合」(SYRIZA)の勝利に至るギリシャの政治的風土を説明する。
寄稿 本山美彦(「変革のアソシエ」共同代表・京大名誉教授)
日本国際経済学会・元会長。著書に「金融権力」(岩波書店)、「倫理なき資本主義の時代─迷走する貨幣欲」(三嶺書房)、「売られ続ける日本、買い漁るアメリカ」(ビジネス社、2006年)、「姿なき占領」(ビジネス社、2007年)、「格付け洗脳とアメリカ支配の終わり」(ビジネス社、2008年)など。
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