2015年07月25日20時30分掲載
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コラム
学生デモと「コクミン」 村上良太
在日コリアンの人が国会前の学生のラップのノリの安保法制反対デモのyoutubeの映像を見て、かなり不快感を表していました。最初はちょっと、過激なくらいの怒りに戸惑いました。その人は学生のそのノリ自体が借り物であると批判していました。
その書き込みには反響があり、いろいろな人の声を集めて、次第にラップの中に出てくる「国民なめるな」という決まり言葉に不快さの核があるらしいことが僕にもわかってきました。在日コリアンは国民ではなく、そのデモの輪から排除された印象を受けるのではないでしょうか。安倍政権を批判しているにもかかわらず、どこかデモに参加している学生たちの根底に安倍首相と共通する精神があるのではないか、と。そんな風に受け止められているのです。
学生の側というか日本人の側に立ってみると、安倍政権が変えようとしている憲法9条は「日本国憲法」。そういう意味では日本国の憲法を壊すな、という意味合いで「コクミン」という言葉がシンプルに出てきているのではないかと思います。「国民と在日コリアンと・・・・と・・・をなめるな」という風にポリティカルコレクトネスをどこまでも追求していると、長くなってラップにならないのじゃないか、と。
でも、ここでもう一度、学生たちが守ろうとする日本国憲法を考えてみると、それは戦争の反省から生まれたものであり、第二次大戦や過去の植民地支配の際に、アジア諸国や欧米諸国の領土を侵略したり併合したりしたことへの反省が込められています。日本国憲法はその事実と無縁ではないばかりか、まさにそのことに対する反省が憲法の核になっているものです。ですから、その戦争や植民地支配によって辛酸を経てきた人々に対する配慮がなければ憲法9条も、その前文も憲法全体も仏像を作って魂を込めず、というものになってしまうのではないか。さらには戦時中、反戦活動をしていた人々や日本の政治体制に同化しない人々は日本人であっても非国民と呼ばれていました。ラップが(米黒人からの)借り物に過ぎない、という批判の理由はそのあたりにあるのではないでしょうか。
■数日後ー
それから2日ほどすぎ、その在日コリアンの方は学生たちの小市民主義は気に食わないけれど、デモをしない「連合」などよりはるかに評価できるから、彼らを支持します、と付け加えました。
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