2015年09月08日20時08分掲載  無料記事
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反戦・平和

“平和憲法”と自衛 池田大作『二十一世紀への対話』(with アーノルド・トインビー)より

 40年前、創価学会の池田大作会長は英国の歴史家アーノルド・トインビーと対談したときに「日本国憲法」について発言している。 
表題は「21世紀への対話」。以下はその抜粋である。 
 
池田大作『二十一世紀への対話』(with アーノルド・トインビー) 
 
“平和憲法”と自衛 
 
歴史時代に入って以来、およそ国家と名のつくあらゆる国は、自衛のためと称して武力を持ってきたと思います。武力は国家の力の代表のようにさえ考えられてきたようです。現代も、それは例外ではありません。というより、むしろ現代に至って、科学技術の発達により、武力はかつて想像もしなかったほど強大になり、それに要する出費は膨大なものになっております。 
とくに、米ソ英中のいわゆる核大国が装備している武力は、他国による侵略の防衛という概念をはるかに超えて、もしその力が行使されれば相手国はもちろんのこと、自国を含めた地球上の全人類の生存を脅かす規模と質のものになっております。もはや現代における武力は、既成の、歴史的に馴れ親しんできた防衛力という考え方とは異質のものになってしまっている、と考えなければならないでしょう。つまり、武力をもつ大義名分は、現代においては、すでにその根拠を失ってしまったと私は考えるのです。 
国防のためだから、国民の税金を軍備の拡充のために注ぐのは当然だという、政府・権力の言い分は、まやかしにすぎません。それにもまして悪質なのは、国を防衛するためといって、青年たちに生命の犠牲を求めるペテン行為です。その“まやかし”“ペテン”を最も象徴的にあらわしているのが“国防省”――日本の場合ですと“防衛庁”――であり、“国防予算”“防衛予算”という名称です。なぜなら政治権力の多くは、この“防衛”を口実につくりあげた軍事力によって“侵略”を行い、他国民も自国民も、ともに苦難のどん底へと叩き込んできたのですから――。本当に“防衛”のためだった例は、きわめて稀でしかなかったのではないでしょうか。 
現在、日本の国内では、戦力を一切放棄することを定めた憲法九条をめぐって、自衛のための軍備が、この規定の対象になるかどうかが問題とされています。法理論上の問題は別として、現実の国際情勢下において、いかにして自国の安全と生存を維持していくかという観点から、この議論が起こっているのです。 
再軍備をすべきだと主張する人々は、日本を除けば世界のどの国家でも軍隊をもっている実情を理由に、自衛の手段としての軍備をもつことは、独立国として当然だとしています。一切の軍備を放棄し、一切の交戦権を認めないならば、たとえ法理論上では自衛権を認めたとしても、実際的には自衛の意味をもたず、したがって自衛権そのものを否定することになるというわけです。 
これに対して、軍事力による自衛権の保障ということに反対する人々は、自衛権の行使は、必ずしも軍事力による必要はなく、その一切の放棄という姿勢は、現状の国際関係のなかで十分な力をもつとしています。 
自衛権は、対外的には、いうまでもなく、他国の急迫不正の侵略に対して、国家の自存を守る権利です。それは、対内的には、そして根本的には、国民の生きる権利を守るという考え方に根ざしています。すなわち、個人の生命自体を守るという、自然法的な絶対権の社会的なあらわれが国の自衛権というものであると思います。であるなら、その自衛権をもって他国の民衆の生命を侵すことができないのは、自明の理です。ここに自衛権の行使ということの本質があります。 
問題は、あらゆる国が他国からの侵略を前提として自衛権を主張し、武力を強化しており、その結果として、現実の国際社会に人類の生存を脅かす戦争の危険が充満していることです。 
しかし、この国際社会に存在する戦力に対応して“自衛”できるだけの戦力をもとうとすれば、それはますます強大なものにならざるをえません。それゆえ、武力による自衛の方向は、すでに行き詰ってきているといえましょう。 
私は、この問題は、国家対国家の関係における自衛の権利と、その行使の手段としての戦力というとらえ方では、もはや解決できない段階に入っていると考えます。もう一度出発点に立ち返って大きい視野に立つならば、一国家の民衆の生存権にとどまらず、全世界の民衆の生存権を問題としなければならない時代に入ったと考えます。私はこの立場から、戦力の一切を放棄し、安全と生存の保持を、平和を愛する諸国民の信義に託した、日本国憲法の精神に心から誇りをもち、それを守り抜きたいと思うものです。そして、それを実あらしめるための戦いが、われわれの思想運動であると自覚しております。 


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