2015年09月13日17時55分掲載  無料記事
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コラム

時代の転換? 〜昭和初期の自殺に関する実情について

 近年、我が国の自殺者は13年連続で3万人を超え、「無縁死」の増加も繰り返し話題になっている。 
 自殺者数は、経済状況との相関が強いと言われている。実際、戦後の自殺者数は、第1期は1950年代後半の「なべ底不況」期、第2期は1973年の「オイルショック」期、第3期は現在に続く1998年以降に増加している。 
(逆に言うと、1958年から1970年の「岩戸景気」「オリンピック景気」「いざなぎ景気」の時期、1987年から1991年の「バブル景気」の時期には大幅に減少している) 
 その要因、歴史的推移については、年齢別・性別の自殺率の差異、都市部と郊外と地方の比較等の分析が必要ではあろうが、現在の背景事情に、非正規就労の増加、格差の拡大、実質賃金の連続低下等があることは疑いない。 
 
 宮仕えの身で、東北奥地の農村の伝承を集めた『遠野物語』などを著した民俗学者の柳田國男は1931(昭和6)年、『明治大正史・世相編』の末尾に「われわれは公民として病みかつ貧しいのであった」と書いている。 
 柳田はこの本で、自殺者が毎年1万数千人、東京では日換算して毎日5人が自死していると書いている。当時の日本の人口は(植民地であった朝鮮半島及び台湾を除くと)約6500万人であり、自殺者数の人口比率は、驚くべし、実は現在とほとんど同じであった。柳田は、貧困と病による自殺や一家心中の急増の中に「説くにも忍びざる孤立感」があると見ている。 
 江戸の昔から、貧窮が苛烈であったときでも、人々がそれを忍び得たのは、人々が相互に協力、つまり「共同防貧」の仕組みが生きていたからである。しかし、明治・大正と、職域が拡大して職業選択の自由が増え、居住地の移動や婚姻の自由、消費の自由が増えた反面、政財界主導で富国強兵・殖産興業が強行され、農村等の共同体を解体し、貧困労働者が多数になった結果、「孤立貧」という「社会病」が生じていると柳田は書いている。 
 この『明治大正史・世相編』が書かれてから80数年、現在の私たちは何か進歩しているのか、本当に生活世界の改善を確保してきたのだろうかと感じてしまう。 
 
 明治・大正時代を経て、昭和初期には当時の人々にも大きな社会状況の変化が感じられていたのだと思われる(関東大震災や世界恐慌が起きている)。 
 昭和2年、作家の芥川龍之介は「将来に対する唯ぼんやりした不安」を動機として服毒自殺している(全く個人的ではあるが、芥川ほどの頭脳を持っていながら、「ぼんやりした不安」などと曖昧な言葉しか残していないのは残念無念である)。 
 昭和6年、文部省は名曲「ふるさと(うさぎ追いし、かの山)」を文部省唱歌に取り入れている。それは平和な農村を写実した歌ではなく、当時、既に故郷を喪い、唱歌のなかで故郷を想像することしかできない「公民」が多数になっていたからである。 
 そして、その後、大日本帝国は太平洋戦争に突入していったことは周知のことである。 
 
 翻って現在の私たちは、20世紀末から時代の歴史的転換期を生きていると言われ続けている。東日本大震災・福島第一原発事故も体験した。今後,アベノミクスの破綻が明らかになるとき、経済恐慌が起きる可能性もある。そして、その先は・・・また、年寄りの杞憂が始まってしまった。ただ、「無縁」や「孤立」を解決するためには、過去が良かったとするのではなく、誰かに解決を頼むのでもなく、個々の自由や選択、意見を尊重しつつ、少しずつでも相互に対話し、熱くなくてもいいから「率直かつ冷静に問題を共有できる労働組合」(スポンジから水が抜けて空洞化しているかのような「組合」ではない)といった場を確保すること、それがまず必要ではないかと念じてしまうのである。(伊藤一二三) 


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