2015年10月03日16時07分掲載
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反戦・平和
挺対協週刊ニュース2015−34号(10月1日発行) 〜欧州キャンペーン in ノルウェー
今週の週刊ニュースはロンドンから送ります。今日、ノルウエーでのスケジュールを終えて、ロンドンに到着しました。明日は英国外務省との面談、アムネスティー本部訪問と、セミナーを皮切りに、ロンドンでのスケジュールを開始します。
今から7年前の2007年12月13日、欧州連合(EU)議会は「日本軍『慰安婦』被害者に正義を!」という題の決議文を採択しました。アムネスティーもまた、10年前の2005年に日本軍「慰安婦」問題に対する特別報告書を発表し、日本政府に日本軍「慰安婦」問題解決を勧告しました。EU議会の決議文とアムネスティーの報告書は日本軍「慰安婦」問題解決のため、日本政府に非常に強力で重要な勧告をしています。しかし未だその決議と勧告は記録として残っているだけで実行されてはいません。
私たちは英国政府に会い、もう一度EU議会の決議がどう守られているか確認されているのかと尋ねるつもりです。そして来年、国連人権理事会UPR(普遍的定期的審査)会議で日本政府の人権報告書を検討する時、日本軍「慰安婦」問題を提起してくれるよう要請します。
と同時に、今続けられている武力紛争、その中で武器として、戦利品として使用されている女性に対する性暴力、性奴隷化を防ぐためにも、戦時性暴力被害者に対する司法的正義が実現されるよう、日本軍「慰安婦」被害者の正義実現活動を支援してくれるよう要請します。アムネスティーにも解決する日までの連帯を確認します。
皆様にも、私たちが行くこの道、共に支援し、連帯して下さることを訴えます。
英国ロンドンから 挺対協常任代表 ユン・ミヒャン 拝
<9月8日(火曜日)>
キム・ボクトンハルモニと一緒に、欧州キャンペーンを行うために出国しました。出国当初から本当に紆余曲折の多い旅行でした。
ノルウエーのオスロに行くため、パリ行き大韓航空の飛行機に搭乗しました。運良く、ハルモニだけでなく、私たち3人全員がビジネスクラスにグレードアップされました。11時間の飛行でした。それでも足を伸ばし、横になって行けるので、どんなにありがたかったでしょう。韓国で眠れなかった分、元を取るように寝ました。それでも、どうしてこんなに時間が経つのが遅いのか。到着までいくら時間が残っているのかと時計を見ると8時間、またしばらく経って見ると5時間、3時間、2時間・・・。11時間が長い時間だということを今更ながら感じました。締め切り前の原稿を書いたり、宿題をするときは、12時間あっても「どうして、時間がこうもパッと過ぎるのか」と不安になることがあるのに。
そうして、パリ空港に着陸しました。しかし、乗務員が「車椅子がまだ準備されていないから、飛行機の中で待っているように」と言い、乗客がみんな降りてからも、空っぽの飛行機の中で、しばらく待つしかありませんでした。何でこんなことが・・・。しばらく待って、やって来た車椅子にキム・ボクトンハルモニが乗り、飛行機のチケットを空港職員に見せ、その女性の誘導に従って、ある窓口の前に着くと、その女性が「ここで待っていたら、小さい車が来てあなたたちを乗せてゲートまで行く」と言います。しかし、時間がいくらも残っていないのに、車は来ないし、私たちを連れてきた職員は「ちょっと待て」と言ってどこかへ行ってしまいます。「何か問題が?」と尋ねると「問題はない」と言います。
その職員の上司のようですが、急に私たちに「ビザがあるか」と聞きます。ほほほ・・・。「韓国人は、ノルウエーに行くとき、ビザは必要ない」と言いましたが、今度は「パスポートを見せてくれ」と言います。パスポートを見せると、あちらこちらめくっています。時間ばかりが経ちます。「私たちの搭乗時間が無くなる」と抗議でもない抗議(ソフトに)をしましたが、「電話をかける」とか言って・・・。自分たちだけフランス語でさらさらと話していたかと思うと、しばらく経って搭乗時間が終わったそうです。
私たちは明日、ノルウエーで12時にイベントがあるというのに、とんでもない状況が起こってしまいました。時間はすでに労働者が退勤した時間・・・外は暗くなってきていました。出国手続きをする場所へ移動し、大韓航空の職員を探し、次の便を確認。「明日行事がある」と話してみましたが、役に立ちませんでした。方法が無いようです。結局、明日の午前9時35分にパリを出発し、オスロに12:30到着の飛行機を予約し、ホテルを取ってくれます。私たちにパリで一晩泊れということでしょう。ははは・・・。そうなったら、明日のオスロでのイベントは大変な失敗になるのに・・・。
ホテルの部屋に入り、パリにいる希望ナビの前代表チョン・セナルさんに連絡して状況を説明した後、チョン・セナルさんに明日の午前早くにオスロへ到着できる方法を各方面に当たって探してもらい、ついにオランダ・アムステルダム7:00出発、ノルウェー・オスロ8:45到着の飛行機をインターネットで予約し、さらにパリからアムステルダムまでのタクシーを予約しました。500ユーロ・・・このお金は必ず貰わなければならないと思いますが、先ずは目的地への到着です。そうして夜中の12時に、パリから夜通しタクシーに乗って行きます。私たちの荷物は、依然としてパリ空港に待機状態で、どこかに留まっている状態です。
午前5時20分にアムステルダム空港到着。無事、飛行機の搭乗手続きをし、今回は車椅子を私たちが直接押して入って行きます。信じられないという不信感が私たちを強く捕えます。韓国に連絡し、航空会社に連絡して、荷物をオスロで受け取れる方法を探ります。幸いに、イ・ミギョン議員室から大韓空港側に連絡を取った末、夕方、荷物を受け取りました。
オスロ大学で会ったパク・ノジャ教授の言葉「私は決してパリ空港を経由しません」。恐らく、多くの方が同じような経験をしているようです。48時間余りのひやひや感、はらはら感は、ノルウエーの日程が全て終了する日を迎えても未だ拭い去れません。二度とパリ空港での悪夢を繰り返したくありません。既にパリ空港での悪夢は4回目です。それでも、ハルモニは「ホホホホ」と生涯初めての経験を笑います。ハルモニがお元気で幸いです。
<9月9日(水曜日)>
12時、オスロ大学東洋学科の教授と協力し、学生との昼食セミナーを通して日本軍「慰安婦」問題を知らせる時間を持ちました。
・・・(中略)・・・
そして、日本学を担当している教授が最近、世界歴史学者らが発表した声明も紹介し、安倍政権下で進められている危険な歩みについても説明し、学生が日本軍「慰安婦」問題に入りやすいように案内をしてくれます。
続いて、パク・ノジャ教授も、日本軍「慰安婦」問題を取り巻いている韓国の政治状況にポイントを合わせて説明をします。特に、現在の朴槿恵政権の政治的立場、歴史的背景についても説明をし、韓国におけるキム・ハクスンハルモニの初証言から始まり、現在の活動に至るまでの背景を簡潔に要約して説明をしてくれます。
短い映像で日本軍「慰安婦」ハルモニの人生を垣間見て、キム・ボクトンハルモニの人生に移りました。初めて聞く歴史ですが、日本軍「慰安婦」、戦争により性奴隷として生きたハルモニの半生について、学生たちは澄んだ瞳でハルモニを見つめながら聞きました。涙を流す女子学生の姿も見られ、顔と鼻先が赤くなったかと思うと、また皮膚の色に戻り、再び赤くなるというように繰り返す男子学生もいます。ため息をつく声も聞こえます。
冒険のような二日間だったにも関わらず、ハルモニは声に力を込め、体に力を込めます。満年齢14歳で引っ張られて行き、台湾から広東へ、香港、マレーシア、インドネシア、スマトラ、ジャワへ、シンガポールへと荷物のように引っ張り回されながら、日本軍の性奴隷になって戦場で数年間苦難に合ったと話を続けます。
「シンガポールで戦争が終わり、私たちのことを隠そうと看護婦に変装させて陸軍病院へ連れて行きました。そこで看護の訓練をさせて日本の軍人を看護させ、後にたくさん血を流した軍人に私たちの血まで抜いて輸血をしました」
「軍人は『居続けられないから自分たちは撤収する』と言い、私たちには『どこでも行け』と言いましたが、どこへ行きますか?そこがどこかも分からないのに」
と話は終わることなく続きました。
「戦争が終って解放されたと言いますが、未だ私たちは解放されていません」という言葉で、解放後の話を始められたハルモニは、「ナビ基金」の話をしながら、学生にも「ナビになって」と頼みました。「難しくない。一日にコーヒー一杯減らすだけで、ナビ会員になって世界の数多くの女性を助けられる」と言われます。
助教と見られる学生が、フェイスブックに「ナビ基金」、挺対協のホームページにリンクしてみると言います。困りました・・・英語でのアップデートが全く出来ていないのに・・・。
話が一通り終わって、一人の学生が「被害事実を話し終えたら、気持ちが軽くなりましたか?」と聞くと、「そうだ」と答え、「私は辛い思いをしたので、他の人の痛みも分かる」「ナビ基金を受けとった方から『ありがとう』と聞くのが一番嬉しい」と言葉を結びました。
1時間30分があっという間に過ぎ、次の授業がある学生も抜けていきました。オスロ大学に留学している韓国の学生と一緒に写真を撮り、名残り惜しさを記録に残しました。
<9月10日(木曜日)>
ハルモニと一緒に海外キャンペーンに来ると、毎日毎日の食事を準備することが並大抵ではありません。特に、キム・ボクトンハルモニの食べ物の好みは大変うるさく、「良い」「おいしい」「お疲れさま」など、お褒めの言葉を聞いたことがあったでしょうか?無かったっけ?(笑)
・・・(中略)・・・
ノルウエーというと思い浮かぶのは、まさにノーベル平和賞でしょう。ノーベル平和賞受賞者について展示してあるノーベル平和センターを訪問しました。
前もって面談の約束をしていたので、約束時間に合わせて出て行くと、案内の方と展示企画者が私たちを迎えてくれます。キム・ボクトンハルモニを車椅子に乗せて、ノーベル平和センター展示室の見学を始めました。二人の企画者が交替で私たちに展示内容を説明し、企画意図について説明してくれました。
・・・(中略)・・・
案内を受けながら展示を見た後、カフェで向かい合って座り、キム・ボクトンハルモニと挺対協を紹介し、日本軍「慰安婦」問題解決運動と「ナビ基金」、戦争と女性の人権博物館など、私たちの活動内容について紹介しながら連帯と協力を要請しました。今後も互いに交流し、連帯して行こうと言って写真撮影もしました。
ノーベル平和センターが繋いでくれた、ノルウエーで最も代表的なフェミニスト雑誌「フェットウ」のインタビューを受けました。この雑誌は、「戦争と女性」のテーマで特別記事を準備していました。私たちは資料も準備してきましたが、キム・ボクトンハルモニは自身が経験した人生を伝え、「目を閉じる前に法的に名誉回復をしてもらいたい。お金が欲しくてではなく、私たちは被害を被ったけれど、これから成長する子どもたちは誰も私たちのような目に会ってはいけないからこうして巡っている」と言い、連帯と関心を訴えました。特に、ハルモニは日本政府が法的賠償をするなら、全額を世界各地で私たちのように苦痛を受けている女性たちのために使うよう代表に話してあると、「ナビ基金」の話も伝えました。そして「ノルウエーの女性も、同じ女性として日本軍『慰安婦』問題が解決するよう、記事を上手に書いて広報し、連帯してほしい」と訴えました。雑誌が出たら私たちにも送るという話や、Eメールでもっと詳しい情報、資料を送るので、今後も続けて連絡を取り合おうという話などを交わして別れました。
日本軍「慰安婦」問題について全く知らない世界に行き、「戦争と女性」という繋ぎ目を掴んで話を続けていきながら、日本軍「慰安婦」問題の解決と、戦時性暴力犯罪が続いている連鎖の輪を断ち切る道を切り拓いていくことがどれほど孤独で大変なことか・・・海外に出る度に、その思いが募ります。
<9月11日(金曜日)>
挺対協は、ノルウエー外務省を訪問し、担当者に会って1時間以上対話をしました。挺対協を紹介し、南北連帯、アジア連帯、国連人権委員会、及びILO(国際労働機関)活動、「戦争と女性の人権博物館建設」、「ナビ基金」活動について説明し、日本政府の現在の態度についても紹介しました。
日本軍「慰安婦」問題は、オランダやフランスの女性までが被害を受けた問題であることを説明しながら、その具体的な事例を紹介しました。日本政府が国家の責任を認め、被害者に司法的正義を実現させるために国際的支援と連帯が必要だと説明し、ノルウエー政府の協力を要請しました。特に、来年行われる国連人権理事会UPR(普遍的定期的審査)会議のときに、日本政府に日本軍「慰安婦」問題について提起してくれることを要請しました。
キム・ボクトンハルモニは、今でも「民間業者が引っ張って行った」という嘘などを言っている日本政府に名誉回復をしてもらいたいと言い、「日本政府が1日も早く過ちを反省し、謝罪と賠償をするように各国政府が力を尽くしてくれることを願います」と述べました。
ノルウエー政府関係者に会って日本軍「慰安婦」問題について直接説明し、被害者の訴えを伝えたことは今回が初めてです。彼らは「ボスニア戦争における被害女性の苦痛に満ちた証言にも出会ったことがある」と言い、ハルモニが証言されるのが辛かったら、必ずしも直接仰らなくても良いという配慮で口を切りました。それでも、「当事者の話を聞いてみなければならない」と言って淡々と話を続けるハルモニは、いつの間にか24年目の人権運動家の姿を見せてくれていました。ノルウェー政府関係者は、日本の軍隊に各地の戦場へ引っ張られて行ったハルモニの苦痛に満ちた記憶と日本政府に向けた訴えを漏れなく記録しながら、多くの質問もしました。ユン・ミヒャン代表も、やはり歴史的な説明と現在の状況などについて補足説明をし、これに対してもまた質問が付け加えられ、意見が加わりながら自然な対話がしばらく続きました。ノルウェー政府関係者は「戦時性暴力に対する不処罰の先例を無くさなければならない」という強力な意見を表明し、ノルウエー政府もこのために努力していることを説明し、現在起きている紛争地域の事例に対する憂慮についても話し合いました。
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