2015年10月23日19時15分掲載
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挺対協週刊ニュース2015−36号(10月13日発行) 〜欧州キャンペーン in イギリス & ドイツ
9月8日から26日まで18泊19日間の長い欧州の日程を進めながら、今後は長期出張するのは難しいだろうなという思いを何度もしました。いくら経費節減のためとは言え、数ヵ国を回りながら一度に活動を進めるのは、精神的にも肉体的にもどれほど大変なことか、改めて悟った今回の活動でした。これまでと違ってゆったりした日程を取って始めましたが、間近になるといつの間にか一日にいくつものスケジュールを消化するようになります。ある時はハルモニと一緒に、ある時はハルモニ無しで面談や講演会、インタビュー、懇談会などを行いました。
一緒に同行するハルモニの目と耳の役割をして差し上げ、朝昼晩の食事や間食の準備などのお世話をし、日程がすべて終わったら、それからその日の活動を整理、評価し、翌日のスケジュールを確認し、戦略を立てて資料を準備します。ぐっすり眠ることもできず、僅かな時間うたた寝をした末に朝を迎え、まだ頭の中は眠っているのに体はキッチンに向かってご飯を作り、テンジャンクッ(味噌汁)、あるいはチゲ(鍋もの)を沸かし、ごぼう茶を煮たり、スンニュン(お焦げ茶)を沸かしたりします。
朝7時前、ハルモニが寝覚めの一服をつけて食卓に座ったら、一緒に座って食事をし、それもつかの間片付けが待っています。起きるのが早いハルモニのおかげで朝は余裕があるので助かります。「このままでは病気になりそうだ」と言ってアン・ソンミチーム長とコロコロ笑ったりもします。そして手についた水が乾く間も無く、すぐに外出の準備をします。緊張感の中で人々に会い、団体を訪問し、訪問した国の人権や歴史、平和、女性関連の専門家に会い、国会議員や政府関係者にも会ってロビー活動などを行います。何度も海外活動をして来ましたが、ハルモニと一緒のときは散歩や観光は贅沢な話です。99%上手くいっても「万一」の1%がその99%を台無しにしかねないからです。
こうして巡ってきた私たちの旅がもう何年目になるか分かりません。毎年新年になると、もう地球を回る巡礼を止めても良いだろうと労います。今年は回らなくても私たちの前に解決がやって来るだろうと呪文をかけて見ます。しかし今年も米国へ、欧州へ、また国内の全国各地、行かない所が無いほど駆け回ります。人が希望だからです。連帯の中心が人だからです。そのためにどんなに大変でも振り返ってみれば笑い話です。新しい「人」が一緒に歩いているからです。
いつの間にか10月がすぐ目の前です。2015年は余すところ3か月です。この3カ月の間、どのような変化が起こるのでしょうか。この3カ月間、どのような悲しみが私たちを待っているでしょうか。それでも私達と共に歩いている「人」と共に大きな連帯を作り、希望を作っていきたいです。躊躇わない活動が何なのか、私たちが実践してみます。皆さんが挺対協の希望です。
2015年9月29日
挺対協常任代表ユン・ミヒャン拝
<9月21日(月曜日)>
欧州キャンペーンのロンドンでの最後日です。
午前早く、2007年欧州議会決議採択でも先頭に立ったジーン・ランバート議員に会いました。この経緯をよく知っていたので私たちもとても安心していました。「2007年12月13日、欧州連合議会決議採択を前に開いた公聴会でお会いしました」と挨拶を交わした後、「あれから8年過ぎたのに依然として解決されていないので、もう一度こうして欧州に来た」と伝えました。そしてすぐ、その後8年間に成し遂げられた進展状況について報告しました。
先ず「戦争と女性の人権博物館」を建設し、日本軍「慰安婦」問題と今も続いている戦時性暴力問題を「女性の人権」と「平和」の観点から教育し、連帯する活動を行っているということ、「ナビ基金」を作ってコンゴ、ベトナムなどの戦時性暴力被害者を支援し、連帯する活動を行っているということを報告しました。
同時に、憲法裁判所に被害者が提訴し、「違憲判決」を勝ち取ったこと、これを通して戦後初めて日本軍「慰安婦」問題が韓日外交議題として提起され始めたこと、先週、東京で第9回協議が開かれたことを伝えました。
第13回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議を開催し、アジアの被害者と支援団体が日本政府と国際社会、被害国政府に要求する具体的な事項をまとめ、日本政府、韓国政府、米国政府、英国政府、ノルウェー政府に送り、ドイツ政府には、今週ドイツを訪問して伝えると話しました。
こうした状況があるためにもう一度欧州議会の決議履行段階を点検し、日本政府に確認するなどの国際的な圧力があれば十分希望があるという提案を伝えました。
キム・ボクトンハルモニは諸国を巡りながら訴えているが、未だ解決されずもどかしいと言い、90歳の年齢を押してここまで来た気持ちを説明しました。相変わらず過去の過ちを反省せず、再び戦争の準備をしている日本を批判し、重ねて連帯と協力をお願いしました。
ランバート議員は博物館建設のニュースと「ナビ基金」の報は本当に嬉しく、意義のあるニュースだと述べ、「アジア連帯会議で採択された国際的な要求書も喜ばしいことである」と言って意見を表明しながら、欧州議会の中で、もう一度各国の議員がそれぞれの国で出来ることを模索し努力すると、諸計画と努力について意見を述べ、約束もしました。2007年議会決議採択以後、現在2015年までこれといった進展がなく、ハルモニがもどかしがるのは至極当然であり、もう一度そうした動きを作りだせるよう努力するとのことでした。そんなランバート議員の胸に黄色い「ナビバッジ」をつけると、にっこり笑うランバート議員の姿、希望がナビ(蝶)のようです。
英国での最後のスケジュールは、ロンドン大学でのセミナーでした。今回のセミナーを準備してくれた人はロンドン大学でジェンダーの定義に関するプロジェクトチームを率いている教授でした。
キム・ボクトンハルモニの証言に続いてユン・ミヒャン代表から日本軍「慰安婦」問題解決のための活動プロセスと世界戦時性暴力根絶運動と連帯などについての説明が続きました。
参加者は、この問題と関連した展示を訪ねて見ることができるか、日本の若い世代にどのようにしてこれについて教育できるのか、国際連帯の状況はどうなのか、被害者が政府と家族から支持を受けているのかなどの多様な質問をし、関心を見せていました。セミナーの後にみんなで1億人署名運動に協力し、ハルモニが描いた絵を熱心に見てハルモニと挨拶も交わしました。
英国ロンドンでのスケジュールを終えてベルリンに行くため、空港へ出発しました。今日は特に英国駐在韓国大使館で車両支援をしてくれたので、路上でタクシーを呼んで待つという疲れを感じませんでした。朝、ホテルから私たちの荷物を載せて議員室へ、大学へと気軽に案内をしてくれたので、道を尋ねる苦労をする必要もありませんでした。そして雨脚が思いのほか強かったのですが、ロンドン・ヒースロー空港へ楽に安全に到着し、ベルリン行き飛行機に乗りました。
ベルリン空港に到着すると薄暗くなっていました。しかし、空港に迎えに出てくれたコリア協議会のハン・ジョンファ代表とキム・ジニャン夫妻、ドイツ教会の牧師の歓迎に私たちの疲れは解消し、キム・ボクトンハルモニも顔に笑みが広がりました。最後まで私たちのベルリンでの日程を価値あるものにして下さり、ありがとうございます。
<9月22日(火曜日)>
ドイツ・ベルリンでの活動が始まりました。午後6時から「日本軍『慰安婦』被害者の苦しみ−日本政府の責任を問う」という題で国際会議が開かれ、ドイツ、日本、韓国側の発表と論議の場が準備されました。会議場の一方にハルモニの絵と歴史的説明などが書かれた展示物が設置され、世界1億人署名運動も展開するなど、忙しく動いているうちに、いつの間にか100名を軽く超える参加者が会議場を埋め尽くしました。
すでに90年代から日本軍「慰安婦」に対する深い関心を持った学者のレジーナ・ミルハウザーさんが「第2次世界大戦の日本軍とドイツ軍による性暴力―歴史、記憶、賠償」という最初の発表を担当し、過去の女性にたいする暴力事案が現在の女性にたいする暴力の手本となり、影響を及ぼしている点を説明し、「慰安婦」問題は必ず解決されなければならないと述べました。
キム・ボクトンハルモニの証言が続きました。痛ましい記憶をひと汗ひと汗かきながらひも解く間にハルモニはしきりにのどが渇きました。「尉安所」で命を断とうとした瞬間、お母さんが火病(ストレス性精神障害のような病気)で亡くなられたという話をする時には息を整え、水を一杯一息に飲まなければならないほどでした。しかし良く響く声だけは変わらずハルモニは日本に、戦争を止めて当事者の名誉を回復させよと要求しました。参加者の熱い拍手喝采が続きました。
本格的な発表に入って、ユン・ミヒャン代表が先ず、未だ終戦と解放を迎えられていないハルモニの状況と被害者の要求が盛り込まれた提案を説明しました。
日本の関東学院大学の林博文教授は、「慰安婦」問題は日本の植民地主義が生んだ犯罪であり、組織的な性奴隷犯罪として国際的にも日本の国内法的にも違法行為であり、未だ被害者の苦痛は続いていると、日本政府の謝罪と賠償を求めました。
そして、ドイツの「記憶、責任、未来財団」のウタ・ゲルラントさんがマイクを受けとり、ナチの犯罪の清算プロセスにおいて国際的な圧力が重要な要素になったと説明し、日本軍「慰安婦」問題とドイツ軍占領地での女性に対する暴力もやはり性病検査と軍の介入、全く考慮されない女性の人権などの側面から共通点があったし、こうした犯罪についてもより明らかにし論議すべきだと強調しました。日本軍「慰安婦」問題解決のための韓国での運動の事例から学ぶことが多く、問題解決のために国連は勿論、国際人権団体など、国際社会の関心がより必要である点も訴えました。
終わらなければならない時間になりましたが、日本で「慰安婦」問題を研究している学者がどのくらいいるのか、北側にも被害者が確認されているのかなど、参加者の質問も続きました。
特に、アフリカ国家の大使館からも参加していて「ナビ基金」を通して大きな感銘を受けたと、ハルモニが勇気ある活動を続けてくれることを願うと発言しました。コンゴ民主共和国のドイツ大使はハルモニに近寄ってコンゴにハルモニを招きたいと言い、手を差し出しました。「ナビ基金」とプレゼントを持ってハルモニを訪ねて来る人も続き、こうして日本軍「慰安婦」被害者の正義回復を念願する心が集まりました。
ベルリンのイベント会場で会ったヤン・エナさん、ハルモニに「ナビ基金」を渡し、私とハルモニに手作りのかんざしをプレゼントしてくれました。
<9月23日(水曜日)>
韓国では朝7時、ベルリンでは夜中の1時を過ぎた時間。あれこれと頭の中が錯綜して早くベッドに入ることもできず、アン・ソンミチーム長と互いに向かい合って座り、ベルリンでの活動を整理し、週刊ニュースをまとめていました。
そうしているうちに、挺対協「ウリチプ」のソン・ヨンミ所長に伝えることがあって文書を送ったところ、今ちょうどキル・ウォノクハルモニに付き添って救急室へ行く途中だと。ハルモニはとてもお腹が痛いと言っているそうです。普段から糖尿の数値も高く、膵臓もよくないので健康には全神経を使っていますが、ハルモニはいつも食べ物の前ではよく決心が崩れました。気をもみながら携帯を気にしていましたが、一旦ベッドに横になったものの眠くならず、ソウルのことばかり気に掛かりました。熱が40度を超えて低血圧なので急いで救急室から重患者室へ移し、集中管理に入りました。元来多くの病気を持っていて、年齢もあるのでそんなことが起きたそうです。もう少し遅かったらショック死したかもしれず、大変なことになるところだったそうです。昨日の夕方までは食事もよく摂られ、冗談も言われ、ボクトンハルモニに会いたいと言われていたのに・・・お祈り下さい。
ソウルで開かれた第1197回水曜デモに連帯し、ここドイツのベルリンでも日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモが開かれました。
2時からベルリンの日本大使館前で始まったデモには、韓人社会だけではなくドイツの現地人も参加し、多くの団体が連帯しました。今回のドイツのスケジュールを先頭に立って準備してくれたコリア協議会を始めとして、国際アムネスティー、戦時女性に対する暴力についての研究・活動をしているメディカ・モンディアルさん、女性人権連合などドイツの諸団体と日本のグループである「独日平和フォーラム」などからも連帯の意思が表明されました。日本政府に要求する垂れ幕などが広げられ、キム・ボクトンハルモニが車いすに座って席に着き、三々五々人々が集まると水曜デモが始まりました。
準備した声明書をドイツ語、英語などの各言語で発表し、2時30分頃日本大使館に声明書を渡すために入って行きました。ドイツ大使館から韓国語通訳を準備できないという理由でドイツ語や日本語、あるいは英語を話す人だけが面談が可能だという話にならない条件のために、ハルモニは入ることができませんでした。今日発表した声明書以外に、挺対協はアジア連帯会議で採択した、日本政府に向けた提言文を一緒に提出し、今日、ソウルでは第1197回水曜デモが開かれており、被害者の苦痛が今も続いていることを示していると強調しました。
代表団の説明と要求を聞いて文書を受け取った大使館側の参事官は、自身が何かを答える立場にはないと言い、受けた情報をすべて本国に伝えると約束しました。これに対する日本政府の返信を受けられるかと要請すると、各地で「慰安婦」問題に関する要求を始めとして、原発、クジラ漁など多くの抗議を受けていて、これにいちいち答えるのは困難だと言う答えが返って来ました。
大使館の面談が続く間、外ではデモが続けられ、代表団が出て来て面談内容を報告した後、キム・ボクトンハルモニの発言で締めくくりました。「日本大使は聞け!」拡声器に口をあてて叫ぶキム・ボクトンハルモニの声がベルリンに響きました。ハルモニの熱気を帯びた発言は映像で見て下さい。
この後も参加者は、ブライトシャイト広場へ行進してデモとパフォーマンスなどを続け、第2次世界大戦の爆撃の痕跡がそのまま刻まれているカイザー・ヴィルヘルム記念教会で日本軍「慰安婦」被害者の正義回復を願う特別礼拝を行いました。
<9月25日(金曜日)>
ベルリンでのスケジュールもほとんど終わりになっています。
今日、キム・ボクトンハルモニは「シュピーゲル(Spiegel、ドイツの週刊誌)のインタビューに応じました。ハルモニの人生について一つ一つ質問する記者にハルモニは長時間、詳しく答えてくれました。ハルモニが生まれ育った子どもの頃から、連行された当時、そして「慰安所」での生活とその後今に至るまで、今日もハルモニは人生を振り返り辛い記憶を反芻しました。
記者が尋ねます。どのようにしてその痛みを克服し、このように穏やかな姿になることができたのかと、解放後、運動を始める前まではお酒で憂いを慰めていたそうです。記者は焼酎ですか?と聞きました。ホホ、そしてその後は辛い思いをした人は辛い人が分かると、私のように苦痛を受けている女性にナビとなって飛んでいき、またここに共に参加する若者がナビになってくれているので力が出るんだよと。
ドイツの国会を訪ねて、日本軍「慰安婦」問題解決のための協力と支援を要請することをもって、長かった欧州キャンペーンの日程が終わりました。
国会内「独日親善委員会」所属の議員、人権委員会所属議員が同席し、急な事情で来られなかった人権委員会議長は補佐官を送って来ました。ハルモニに配慮して口に合うケーキまで準備した女性議員はとても真摯に、積極的な態度でハルモニの証言に耳を傾けて聞き、一緒にできることについて交流しました。独日親善委員会所属ですが、日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府の立場は自身も批判していると言い、来年計画されている日本訪問の過程でも必ずこの問題を提起できるようにすると言いました。
挺対協は今後、ドイツ政府が欧州連合決議を履行させ、国連でもこの問題を提起できるよう、また戦時性暴力予防のためのG8宣言の履行過程でも取り扱えるよう要請し、議員はとても肯定的に努力すると答えました。
人権委員会所属のインガー・フェガー議員は前に「戦争と女性の人権博物館」にも行って来たと、深い関心と連帯を表明しました。面談後は写真も撮り、プレゼントに準備したドイツ国会の象徴バッジもつけてくれました。ハルモニもナビバッジで返礼し、ナビになってくれるように頼みました。キム・ボクトンハルモニはついにソウルへ帰ります!
<9月26日(土曜日)>
日本軍「慰安婦」問題を知らせるために欧州に飛び、いろいろな活動をされたキム・ボクトンハルモニとアン・ソンミチーム長が、3週間の旅を終えて今日帰国しました。ユン・ミヒャン代表は一日早く無事到着しました。
挺対協スタッフは、ハルモニを迎えるために空港へ出ました。長い欧州キャンペーン活動にもかかわらず幸いにもお元気な姿で帰って来ました。「ウリチプ」に行くとすぐ、ソン・ヨンミ所長がハルモニのために準備しておいたじゃがいもとカボチャ、大根を入れたキムチ煮を召し上がり、お休みになりました。
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