2015年11月02日13時48分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(番外篇・戦争法) “暑い夏”の新聞歌壇に戦争法詠を読む(5) 「読売歌壇」(7〜9月) 「ひたひたと足音迫り来る気配われの青春奪ひし戦の」 山崎芳彦

 今回は読売新聞の「読売歌壇」から、戦争法にかかわっての短歌と筆者が読んだ作品を抄出、記録させていただくが、「戦争法にかかわって」というのが的を得ているか、異論も出るかもしれないとも思っている。現在、大きな問題として、安倍政権が「成立」を強行した安保法制をめぐって詠われた作品というより、先の戦争の記憶や、体験がを多く歌われている。しかし、それらの作品が、戦争法の強行採決や、解釈改憲による現行憲法の「破壊」などをめぐる社会的な激動、老若男女を問わない広範な人々の多様な運動などによって、改めて触発されて、戦争を詠うということも少なくなかったのかとも思う。「読売歌壇」の場合、選者(岡野弘彦、小池 光、栗木京子、俵万智の4氏)を選んでの投稿ができる。そのことも影響があるのかと思ったりもする。戦争法に直接かかわっての歌の多寡の是非を言うつもりはないし、いまこの時に、戦争について詠い、考えることの意味は、やはり重いものがあると考える。 
 
 ところで、前回、南原繁(元東大総長)の歌集『形相』(けいそう)の中の「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」という、昭和16年12月8日に詠われた一首について触れて、少し書いたが、この一首について菅野匡夫著『短歌で読む昭和感情史』(平凡社新書、2011年12月刊)に、取り上げられていることに気付いて、筆者としてはいささか同意し難い点があるので、そのことを記しておきたい。菅野氏は『昭和萬葉集』の編纂に携わったひとりであり、多くの短歌を読まれてきたが、短歌作品を通じて「昭和感情史 日本人は戦争をどう生きたのか」を読み解くことに挑戦している貴重な著書ではある。 
 
 同書の第一章「一九四一年十二月八日―日本、世界と戦う」で、著者は「太平洋戦争開戦」を知らせるニュースで開戦を知り、その後の真珠湾攻撃の戦果報道を聞かされるなかで詠われた短歌作品を挙げながら、衝撃や不安などから昂揚や興奮さらに感激、決意へと劇的に変化していく、人びとの「感情」の動きについての見方を示している。その中には北原白秋(「天〈あま〉にして雲うちひらく朝日かげ真澄み晴れたるこの朗ら見よ」や斎藤茂吉(「学校より帰りて居りしわが娘と正午勝鬨に和しをはりたり」)、筏井嘉一(「みいくさの大き構想神なせばうつつに仰ぎ恍惚たりき」)、吉川英治(「もの洗ふ水仕〈みずし〉のをみな妻どもも涙して聞けり刻々のラジオ」)などの開戦と緒戦の優勢を告げる報道に高揚するような短歌作品についても取り上げられている。作品に即しての菅野の解説、感想について総じて異を唱えるものではないのだが、南原繁の一首についての、次のような読み方については、筆者は違和感を持つ。菅野は次のように南原の一首について読んでいる。 
 
  「戦時中、多くを語らなかった政治学者(南原繁―筆者注)も、この日の 
 率直な感情を短歌に託している。/『人間の常識を超えている。営々と 
 培(つちか)ってきた学問や知識をもってしても理解を超えている。わが日 
 本は、世界を敵にして戦うという、人類未知の次元へ突入した・・・』と詠 
 む。/この歌には、作者の息づかいや昂(たか)ぶりが感じられるほど、力 
 強い調べがある。『日本、世界と戦ふ』も、何度か音読していると、理性 
 的な感想ではなく、なにか作者の覚悟を表現しているように思えてくる。」 
 
 筆者には、南原の一首を菅野のように読むことはできない。政治学者であり、無教会キリスト者でもあった南原の戦争に対する考え方、独伊枢軸による欧州大戦のに対する厳しい評価、日本の戦前の軍国主義権力の学問の自由などに対する圧力・支配、あるいは国内政治の軍部独裁的な実態に対する見方などが、歌集『形相』に収められている作品からも十分にうかがい知れる。そして、開戦の日に南原が詠った一首に、開戦による昂ぶりや覚悟を読み取ることはできない。そのことは、同年十月十七日の、東条内閣がつくられたことについての歌、さらに前掲の一首と同じ日の他の歌を読むだけでも明らかだと思う。 
「十二月八日は、多くの日本人が『昨日と違う自分』を強く実感した日でもあった」とする菅野のこの章の総括的な見方の枠の中に入るべき一首とは思えないのである。 
 
○一人(いちにん)に総理陸軍内務大臣を兼ぬこの権力のうへに国安からむか 
○祖国(くに)の上にいよいよ迫り来らむものわれは思ひていをし寝らえず 
○世界大戦の渦なかに身みづから突入せむとする勇猛はいはじ 
○権をとれる者ら思へヒットラーといへども四面作戦は敢てなさざらむ 
○あまりにも一方的なるニュースのみにわれは疑ふこの民の知性を 
 (以上、〈「風雲急」 十月十七日第三次近衛内閣倒れ東条内閣つくらる〉より5首) 
○日米英に開戦すとのみ八日朝の電車のなかの沈痛感よ 
○民族は運命共同体といふ学説身にしみてわれら諾(うべな)はむか 
 (以上、「十二月八日」より2首) 
 
 もっと早く昭和十二年の「事変」一連は、日中戦争の発端となった盧溝橋事件についての歌であるが、次のように詠っている。。 
○けふもまたあまた人うたひつつ出征の兵士を送る街はひそけし 
○この夜(よる)も起りてあらむ上海のたたかひをおもひつつねむりけり 
○軍うごきただならぬ世となりにけり心ひそめて何をしなさむ 
○いつの世になりたらば戦のやむならむ尽くることなきたたかひを思ふ 
 
 このほか、独伊枢軸の欧州大戦とヒットラーの戦線拡大、世界情勢と日本国内での圧制の動向に関する歌、戦争拡大に関する批判的な短歌作品など、南原繁の歌集『形相』に多く収められている。ただそれらの作品の多くは、南原の短歌ノートのみにあって、広く世に出て知られることがなかったが、しかし、このように歌を作りながら、政治学者として戦争中にあっても権力に媚びない論文や著作に真摯に取り組み、学問の自由を守るための大学教授としての身の処し方は、「日本、世界と戦ふことへの昂揚や、覚悟」と重なることはなかったと思う。筆者は、人間の常識、学識を超えて世界と戦うことへの憤り、批判を込め、その日本の将来を憂える一首だと読む。 
 
 「読売歌壇」の作品を読む前に、筆者の南原繁歌集『形相』にかかわっての、筆者の感想、菅野匡夫氏の『短歌で読む昭和感情史』の中の一部分についての感想を記してしまった。お許しを乞うしかない。 
 「読売歌壇」からの抄出歌を記録させていただく。 
 
 
  ▼「読売歌壇」(7〜9月) 
 ◇7月6日◇ 
戦没者二百四十万わが伯父もその一人にて遺骨すらなし 
                 (岡野弘彦選 所沢市・黒川秋夫) 
 
 ◇7月14日◇ 
あの夜の数かぎりなきB29炎をひきて焼夷弾降る 
                   (岡野選 野田市・青木作郎) 
 
自衛隊のヘリが植田の上を飛ぶ戦なきよう畦で見送る 
                 (栗木京子選 松本市・須貝大二) 
 
 ◇8月3日◇ 
ニューギニアに果てたる夫(つま)よわがかたえに常に在(い)ますと念じ過ごせり 
                   (岡野選 盛岡市・西沢好子) 
 
童話読む口調で祖母が八歳にB29を語り始める 
                 (小池 光選 桐生市・相川和子) 
 
名文の降伏勧告ビラ読みてなほ戦勝を夢に見しわれ 
                   (栗木選 町田市・風間好富) 
 
 ◇8月10日◇ 
開聞岳(かいもんだけ)眼に焼きつけて南下せし若き兵らをおもふ夜の更け 
                   (岡野選 舞鶴市・吉富憲治) 
 
七十年前の工場がよみがへる 魚雷磨きし学徒われらの 
                   (小池選 東京都・広瀬鉄雄) 
 
 ◇8月18日◇ 
いくさにも俘虜(ふりょ)にも死なずひたすらに働き生きて九十二歳 
                   (岡野選 鳥栖市・高尾政彦) 
 
のほほんと平和を語るには暑しビヤガーデンの屋上の空 
                   (小池選 西条市・一原晶吾) 
 
照明弾に全身照らされ見上ぐればB29に乗る「人間」見えたり 
                   (栗木選 神戸市・上原 陽) 
 
戦死せし兄の墓ある無住寺の夾竹桃は敗戦を知る 
                   (栗木選 町田市・風間好富) 
 
ひたひたと足音迫りくる気配われの青春奪ひし戦の 
               (栗木選 ひたちなか市・広田三喜男) 
 
 ◇8月24日◇ 
戦場で倒れし馬がおもわれて馬刺食べ得ず老兵われは 
                  (岡野選 宇部市・平川不可止) 
 
弟の名前見つけし投書欄言論封じの悪政嘆く 
                   (栗木選 諫早市・麻生勝子) 
 
 ◇8月31日◇ 
苦闘つづるニューギニア戦記あつき夜を父おもひつつしみじみと読む 
                   (岡野選 朝霞市・伊藤一憲) 
 
かの友らいづくゆきしや戦ひてのち七十年の過ぎにけるかも 
                   (岡野選 奥州市・白石忠平) 
 
特攻に散りし若者と同年の甲子園球児らかくも明るき 
                   (岡野選 秩父市・山口富江) 
 
終戦時皇居前に土下座せし少年兵は八十七歳 
                   (小池選 国分寺市・森田 進) 
 
枇杷の実の昨日の青は今日の黄 国の急変案じつつもぐ 
                   (栗木選 千曲市・米沢光人) 
 
焼けただれし軍馬は兵のあとに付き歩みゐしとぞ広島の街 
                   (栗木選 横須賀市・白田富代) 
 
 ◇9月7日◇ 
鹿屋(かのや)にも特攻基地の跡ありてかなしき戦史われらに伝ふ 
                   (岡野選 霧島市・久野茂樹) 
 
原爆の被害まぬかれし古茶箱当時のままの色紙貼って 
                  (栗木選 佐世保市・伊藤賢太郎) 
 
疎開先の八月十五日兄ふたりと赤子抱く母とラジオ聴きにき 
                   (栗木選 東京都・沢谷宏子) 
 
 ◇9月15日◇ 
戦争を生き長らへて米寿なり命はかなき花に水やる 
                   (岡野選 佐久市・木内重秋) 
 
いくさののち建てし実家の長廊下みしりみしりと何か言ひたげ 
                   (岡野選 下妻市・神部 貢) 
 
二十歳以下の子供戦させあなたは勝つと思いましたか 
                   (栗木選 宮崎市・桝田紀子) 
 
戦時下に友らと食いしいたどりをいま静かなる広野に見おり 
                   (栗木選 小平市・栗原良子) 
 
 ◇9月21日◇ 
下駄(げた)ばきの水上機に乗る特攻兵見おくる人なく指宿を発つ 
                   (岡野選 奈良県・大村三郎) 
 
 ◇9月28日◇ 
山越えて襲い来たれる米軍機にぐる間もなく呆然と立つ 
                  (岡野選 鎌倉市・長谷川州寛) 
 
モリユキよゲンキデスかと父が笑むビルマより来し亡き父の文 
                  (栗木選 今治市・藤原守幸) 
 
 次回も新聞歌壇の戦争法にかかわる短歌作品を読む。  (つづく) 


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