2016年02月20日17時28分掲載  無料記事
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アフリカ

燃え上がるリビア 「アラブの春」の果てに

  リビアが日増しにシリア化、イラク化、つまりはイスラム国化しているようです。リビアのシルトがリビアにおけるイスラム国の拠点になり、イスラム国戦士が続々集結している事態は中東、アフリカ諸国に詳しい平田伊都子氏の記事に出ています。 
 
  2月19日つまり昨日になりますが、米軍がリビアのSabrathaという町の近郊を空爆しました。この町は地中海岸にあり、首都トリポリの70キロほど西に位置し、チュニジアとの国境とトリポリとの中間あたりに位置します。 
 
  米軍によると、この日の空爆の狙いはSabratha近郊にあるテロリストの訓練キャンプとのことで、ここでチュニジア人のNourredine Chouchane容疑者が活動していたとされています。このチュニジア人は昨年、チュニジアで起きた2回(3月と6月)にわたる西欧人へのテロ行為の容疑者である、と米軍は発表しました。とはいえ、空爆で狙ったこの人物の生死は不明。ガーディアンによると空爆で41人が死亡しました。死者数が出ても、容疑者の生死が判別できないのは爆薬で肉体が原型をとどめていないからでしょうか? 
 
さてガーディアンの記事で「?」と思ったのは、英国防大臣のマイケル・ファロン氏が米軍に「英軍基地」を使用させたと語っていることです。チュニジアのテロでは英国人が多数殺されたことがその前提になっているとされるからですが、いったい英軍基地がリビアにあったのでしょうか? 
http://www.ibtimes.co.uk/libya-us-special-forces-land-wattayah-airbase-west-tripoli-1533838 
  ロシアのRTの報道(Libya unity deal could see British troops deployed to fight ISIS)によると、カダフィ大佐亡き後、リビアで互いに殺し合ってきた2つの大きな「政府」(トリポリ政府とトブルク政府)が国連の介入による連立政権作りのための協定を結び、その際、リビアで活動を強化しているイスラム国対策のために英軍が1000人くらいを上限としてリビアに駐留することが取り決められたようです。 
 
  昨年暮れの12月にトリポリの近郊にある空軍基地、Wattayah airbaseに英軍が降り立ちました。しかし、欧米の特殊部隊に対して、地元市民の評判は一般に悪いようです。さらにトリポリ政府やトブルク政府とは異なるこの地方の部族の兵士は英軍特殊部隊と早くも衝突を起こしたと伝えられています。 
https://www.rt.com/uk/326408-libya-troops-peace-deal/ 
  RTの記事を読むと、カダフィ政権つぶしのために国連の決議に違反し、一方的に反政府側をテコ入れした欧米の部隊は今、ふたたびリビアを訪れ、リビアの空軍基地を使用しているのでした。そして昨日米軍の戦闘機が飛び立ったのは、英軍が駐留しているこの空軍基地、Wattayah airbaseのようです。それにしてもリビア国家の基地を英軍は使わせてもらっている立場だと思うのですが、英国防大臣の決断1つで米軍に使わせることが可能なのでしょうか? 
 
  ニューヨーク・タイムズも昨日の空爆を伝えていますが、こうした武力行使を積み重ねている一方で、政治的・外交的な抜本的な解決策がまったく進んでいないと批判的に書いています。イラクやシリアでも欧米の外交は迷走に迷走を重ねていますが、ここリビアでも事態は同様で、いずれはリビアももっと窮乏化し、シリア同様の事態になって、後には欧州への移民問題をさらに強化していくと思われます。http://www.nytimes.com/2016/02/20/world/middleeast/us-airstrike-isis-libya.html?_r=0 
  この地中海岸の地域にイスラム国戦士が集結し、その最大の拠点はカダフィ大佐の故郷だったシルトですが、各地にも潜伏拠点が多数あるようです。彼らは今、海岸地域にある石油精製施設を繰り返し、攻撃中と伝えられます。英米軍が駐留を始めたのも、石油という金のなる木が関係しているのでしょうか。デイリーメイルには1月下旬にリビアのイスラム国兵士が攻撃したため、燃え上がるラスラーヌーフ(Ras Lanuf)の施設の写真が掲載されています。ここには石油タンクが多数並んでいます。今、本家のイラクやシリアのイスラム国に対してロシアや米国が石油トラックを空爆し、石油収入が大幅ダウンしており、戦闘員に支払う給料も半減していることが伝えられたばかりですから、新天地リビアの石油ビジネスに期待がかかるのでしょうか? 
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3414324/Firefighters-battle-quell-massive-oil-terminal-fire-ISIS-Libya-attack-cost-3-MILLION-barrels-oil.html 
  皮肉なことは「アラブの春」の先駆けとなったチュニジアがイラク・シリアのイスラム国への最大の戦闘員の派遣国となっていることです。推定3000人と見られています(※5500人という数字もあり、さらにそれ以上の青年がイスラム国行きを事前に阻止されたという報道もあります)。そして、本家イスラム国への包囲網が狭まってくる中で、帰郷してくる兵士も少なくありません。今回、米軍のターゲットとなっていたNourredine Chouchane容疑者は米軍によると、チュニジアやリビアなど北アフリカからイスラム国に若い兵員を送る窓口になっていたとされます。チュニジアで政変が起きた後、若者たちが期待したようには国がなかなか動かず、しかも政変で観光客が激減し、食い扶持がなくなった若者たちの多くが地中海を超えて欧州連合に入っていこうとしました。イスラム国になだれ込んだ若者たちの背後にはこうした不毛な状況があったと考えられます。 
 
 
※UK spent 13 times more on bombing Libya than rebuilding 
https://www.youtube.com/watch?v=-yVJvDCumyk 
※2006年に米軍の空爆で亡くなったアルカイダのザルカウィ氏は中東から北アフリカにかけてアラブ諸国の世俗政権が次々と崩壊して、その空隙に巨大なカリフ制国家を建設することを構想していたとされる。この構想を米軍や英軍、仏軍は知らなかったのだろうか?アラブの春によって、世俗政権が次々と崩壊し、大量に流出した兵器と多くの若者がそれらの国々からイラクやシリアに入り、イスラム国の戦闘員となった。もし、欧米の情報機関がザルカウィ氏の構想を知っていたなら、「アラブの春」の先に何が起きる可能性があるか、事前に掴んでいたと思われるのである。 
  私見だが、ドミノ倒しである「アラブの春」の本当の終着駅はイランであり、イランが2013年秋にオバマ政権とシリア問題を入口として対話に入ったときに「アラブの春」はイスラエルを含めた欧米諸国の保安当局にとって、その役割を成功裏に終えたのではなかろうか。 
 
※イラン包囲網 〜5ヵ国の合同作戦が仏誌で報じられる〜(2010年の記事) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201012132316461 


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