2016年03月03日14時09分掲載  無料記事
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文化

「嬬恋村のフランス料理」13 〜高級レストランへの夢〜 原田理(フランス料理シェフ)

フランスにはセレブリティ御用達の高級レストランから本当に庶民的なビストロまで多種多様な飲食店がありますが、フランス料理人を目指す志を持った若人たちは皆だれもが一度は高級レストランへの夢を持つのだと思います。きらびやかな内装、恭しくもフレンドリーなサーヴィス、豪華なワインセラーに辞書のようなワインリスト、そして磨きぬかれた技術と料理への情熱、選び抜かれた食材で作られる、伝統と最新のフランス料理。 
 
しかし、その舞台裏は生き馬の目を抜く競争と、評論家やガイドブック、インターネットレビューからのプレッシャーと、たゆまぬ努力による血と汗と情熱の結晶です。夢を持って厨房に入ってくる大多数の料理人候補生の若者が耐えかね、わずかな時間でへこたれ、項垂れて去っていきます。 
 
 僕自身も福岡のはしから出てきて、最初に入った東京の高級店は一年を待たずに去っています。言い訳になってしまいますが、17歳の少年には余りにも過酷で厳しい世界でした。しかし、そのわずかな時間に毎日泣きながらも、必死になって身に着けた基礎の技術の数々はいまだに体が覚えており、料理の世界に足を踏み入れて26年経つ今でも、日々の仕事の各場面で役に立っています。腕が立ち、良識をわきまえ、顧客への愛情を忘れない料理長はつまるところ職人であり、アーティストであり、多数の料理人をコントロールしてひとつの作品を皿の上に表現するコンダクターなのです。 
 
  自分の店を持つというのは多くの料理人が持つ夢ですが、その独立の時期は若くても、あるていど年輪を重ねてからでもそんなに変わらないような気がしています。若くして独立しても経済、経営、料理と身に着けていくのは同じですし、身に付いた後に満を持して独立しても変わらないのかな、とも思います。要はタイミングが大事で、店を持ってひとつずつ進歩していくも良し、ひととおり身につけ余裕を持って独立も良しです。 
 
  しかし、これが高級店を持つとなると話はまた別です。単価が高いお店は客層がかなり限られますし、場所選びもまた非常にシビアです。初期投資も半端ではありません。多くの料理人が高級レストランへの夢を持ち、都内有名店やフランス星付きレストランで想像を絶する修行を重ねて帰国し、必死で大量の資金を集め、満を持して独立してもわずかな時間で泡のように消えてしまった高級店がいくつあるでしょうか。 
 
 そんな中で30年間以上も珠玉の輝きを持つ、僕が料理人を志した頃からずっと憧れのレストランがあります。 
 
  そのフランス料理店の名は「Chez Inno シェ イノ」。 
これは先日26年間のおもいをかなえて、愛妻と訪れた時のお話です。その予約の電話をかけるのに何分悩んだでしょうか。おそらく30分以上は携帯電話を片手にかけるか、かけまいかと苦悩していたように思います。26年前に井上旭シェフの著作を手にしたときから、いつかは行きたいと考え続けた名店の電話番号を画面に表示させたまま、固まったままの僕はとりあえずビールを飲み干しました。うっすらと回るアルコールが僕の背中を押し、3度目のコール音が鳴り止まぬうちにレセプショニストの柔らかい声に向かい、急な明日の夜の予約を告げることが出来たのでした。電話を切り、ようやく予約を終えたあと、やっと行けるのだという高揚感と久しぶりの上京への緊張で、更にもう1本アルコールの力を借りることになるのですが。 
 
  東京には、ここにいたい、ここで主役になりたいというようなエキサイトな魔力があるように思います。嬬恋に移住してからというもの、東京のアドバンテージとその逆のことについてはよく考えました。住みにくいのだけども、人が多く集まるからこそ必然的に発生する経済効果や競争、マンパワーと言ったものがそこにはあります。20余年過ごす中で都会ならではの疲れることも多々ありましたが、ゆっくりと過ごす中では得られない経験もまた、たくさんあったのでした。それはたくさんの専門性を持った人同士が擦れ合うからこそ生まれるドラマ、と言ったものだと個人的には思います。もちろん、やれたこと、やれなかったことについての思念も必ず付いてまわり、都度、後悔と都心への回帰と、今の生活の安堵との間で葛藤することになるのですが。 
 
 都内に住んでいたとはいっても、中央区まで足を伸ばしたことは数えるほどしかなく、久しぶりに歩く銀座は嬬恋村になれた自分にとってはまぶしく、煌びやかです。めかしこんで銀座を歩くと自分が富裕層かなにかなのではないかと思うような、そんな魅力がこの街にはあるように思います。そんな銀座の直近、京橋にあるレストランの重い扉を開けると、そこから先は日本屈指の美食の殿堂。期待と不安入り乱れる僕を見越してか、席に着いてすぐに笑顔とともに薦めてくれたシャンパンはリラックスとこういうものかと、歩きつかれた僕のからだは知ることになったのです。(続く) 
 
 
原田理  フランス料理シェフ 
( ホテル軽井沢1130 ) 
 
 
※シェ・イノ (東京都中央区京橋) 
http://www.chezinno.jp/index.html 
 
 
■「嬬恋村のフランス料理」1 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507250515326 
■「嬬恋村のフランス料理」2 思い出のキャベツ料理 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」3 ぼくが嬬恋に来た理由 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」4 ほのぼのローストチキン 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」13 〜高級レストランへの夢〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603031409404 
■「嬬恋村のフランス料理」14 〜高級レストランへの夢 その2〜 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」15 〜わが愛しのピエドポール〜 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」16 〜我ら兄弟、フランス料理人〜 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」19 〜総料理長への手紙 〜 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」20 〜五十嵐総料理長のフランス料理、そして帆船 〜 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」21   コックコートへの思い   原田理(フランス料理シェフ) 
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