2016年03月24日11時17分掲載  無料記事
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ダニー・ラフェリエール著「帰還の謎」(小倉和子訳)

 ダニー・ラフェリエールの「帰還の謎」を読んでいる。この本はハイチの黒人作家ダニー・ラフェリエールがジャーナリストだった青年時代に自国の政治的迫害を恐れてカナダに移住した後、作家として国際的な名声をあげ、のちに故郷に帰省する物語である。ハイチという国の人びとの生がわかると同時に、面白いのは人が行き来することによって、ハイチだけでなく、カナダとハイチとの違いが見えてくることだ。人は2つの世界を旅することで1国にいるだけでは見えない関係性に気がつく。 
 
 「今朝ぼくは最初の黒い手帳を取り出した。 
  そこにはモントリオールに到着したときのことが書かれ 
  ている。 
  1976年のことだった。 
  ぼくは23歳で、 
  故郷を後にしたばかりだった。 
  母の目の届かないところで生活するようになって 
  今日で33年になる」 
 
  これは小説と言ってもほとんど詩なのだ、と気がついた。 
  このような韻文的な文体と、散文的な文章とがサンドイッチのように組み合わされているのである。 
 
  ラフェリエールがカナダに移住した理由は、翻訳者の小倉和子氏によると、ハイチの日刊紙「ヌヴェリスト」で政治・文化欄を担当していた記者時代に当時のフランソワ・デュヴァリエ独裁政権のもとで危機感を感じたことだった。ジャーナリストの知人が殺されたことが決定打だったらしい。カリブの暖かい島から、冬は雪が積もるカナダへの移住は生活環境的にも文化的にも大きな変化だった。 
 
  「新しいアパートに到着するとすぐ 
   ぼくはテーブルの上に自分の本を並べてみるのだった 
   すべて何度も読み返されたものだった 
   ぼくは読みたいという欲求が 
   自分を苦しめる空腹よりも強いときしか 
   本を買うことはなかった」 
 
  「ぼくはここで 
   一冬の間に 
   ハイチの貧乏人が一生かかって食べるのと同じだけの 
   肉を消費している。 
   ほんのわずかのあいだに、 
   菜食主義を強制されていた者が、肉食を余儀なくされ 
   ることになった。」 
 
  ハイチからもカナダからも遠い日本においても、本書で書かれている状況はよくわかる。植民地をかつて有していた国と植民地だった国、とも言えるし、リッチな国と発展途上の国とも言える。日本もそうした歴史と無縁ではない。しかし、ラフェリエールの作家としての資質にはユーモアが核となっており、ユーモアによって息苦しくなることがなく、生の実相として読める。今、文学にユーモアが必要とされていることがよくわかる。それはこまごました状況を俯瞰して見る巨視的な姿勢のことだ。 
 
  「バナナの木の下で 
   眠っている老人を発見する。 
   夢の中でも 
   微笑みつづけるために 
   彼はどんな人生を 
   送ったのだろうか?」 
 
  「コロンブス以前の発明であり、 
   当時の社会がいかに 
   洗練されていたかを 
   雄弁に物語る 
   ハンモックの中で、 
   人は昼寝しながら 
   人生を送ることもできる。」 
 
北の先進国と南の発展途上国、というよりむしろ極貧の島では物質の質や量も、生活のリズムも何もかも大きく違っている。その二つの世界を往来する、というのはフランス語で小説や詩を書くフランコフォン作家ではしばしばあることだ。どちらかの国ないし社会にのみ定住している人とは異なる双方向の視点がある。 
 
 
  「カツオドリの群れのように 
   ぼくたちはほとんど同時に出ていった。 
   地球のいたるところに散らばったのだ。 
   そして今、30年後に、 
   ぼくの世代は戻り始めている。」 
 
  「この流血事件で 
   ぼくを感動させたのは、 
   ベナジール・ブットが 
   葬儀のために 
   ラルカナの生まれ故郷に帰ったことだ。 
   人は最後には、生きていても死んでいても、 
   故郷に戻るものだ。」 
 
   詩としての味わいが楽しめるのは翻訳者の小倉和子氏の訳がよいからだろう。 
 
  ダニー・ラフェリエールを日本で出版しているのは藤原書店である。藤原書店はこの作家によほどほれ込んだためか、次々と翻訳出版を行ってきた。 
 
「ハイチ震災日記 私のまわりのすべてが揺れる」 
(立花英裕訳 Tout bouge autour de moi, 2010) 
 
「吾輩は日本作家である」(立花英裕訳 Je suis un ecrivain japonais, 2010) 
 
「帰還の謎」(小倉和子訳 L'enigme du retour, 2009) 
 
「甘い漂流」(小倉和子訳 Chronique de la derive douce, 1994) 
 
「ニグロと疲れないでセックスする方法」(立花英裕訳 Comment faire l'amour avec un negre sans se fatiguer, 1985) 
 
  ダニー・ラフェリエールはフランス語で小説やエッセイを書いてきたから、いわゆる「フランコフォン」の作家になる。最近はアカデミー・フランセーズ入りしたことで注目を集めた。今、コレージュ・ド・フランスで植民地文学の教授を始めたコンゴ出身の作家アラン・マバンクゥ氏の友達でもある。 
 
 
■アカデミー・フランセーズ入りした時の報道(フィガロ) 
http://www.lefigaro.fr/livres/2015/05/28/03005-20150528ARTFIG00193-academie-francaise-le-magistral-eloge-de-dany-laferriere.php 


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