2016年04月07日09時30分掲載
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川口由彦著「日本近代法制史」 戦前の法制度を明治維新まで遡って一望する
この夏の参院選で自民党が勝利した場合に憲法改正の試みが行われる予定ですが、自民党の改憲案では個人の尊重という戦後憲法の核がそがれ、「人として尊重される」という風に個が欠落していくことが象徴的です。一方で天皇は国の元首となります。一見、戦後憲法の体裁をある程度残している改憲案ですが、核となるところどころはしっかりと自民党の思想でおさえられているのが特徴です。改憲を悲願としてきた安倍首相は戦後レジームからの脱却を政治家としての目標に掲げてきました。つまりは戦前に国を戻すために、憲法をはじめ、法体系を抜本的に変えていく復古運動が今、日本で展開されています。
そうした昨今、戦前までの法体系とはどうだったのか。そのことを明治維新に遡って記載した本が川口由彦著「日本近代法制史」(新世社)です。明治時代に国を新たにするにあたって、それまでの江戸時代の法制度から早急に欧米の近代法制度へと改変していく必要がありましたが、動機の1つには法律を欧米に則って整備しなくては治外法権や関税自主権の欠如と言った不平等条約を改めることができないという国情がありました。そうした中で英国、フランス、ドイツなどの法制度を参照しながら、またボワソナードなどの欧州の法学者をお雇い外国人として招きながら、明治政府は急速に法体系を確立していきます。本書「日本近代法制史」では憲法、刑法、民法、商法など様々な法律がどのような経緯でできていったかが記されており、極めて興味深いものになっています。記憶はすぐに忘却されるもので、次々と物も空気も変わっていく中で10年前の生活ですら、もうそのリアルな感覚は思い出すことすら難しくなっていくものです。
本書で取り上げられている一つの話題に、「旧民法をめぐる論争」があります。保守派の法学者・穂積八束(ほづみ やつか)が「民法出でて忠孝亡ぶ」と言ったことで有名ですが、欧州の個人主義は日本の倫理体系を破壊するものだとして法の制定を延期せよ、と主張した時のものです。
「その主張のポイントは、「祖先教ノ国」である日本には、キリスト教の下で展開した「個人本位」のヨーロッパ的民法は適さないというにある。ここでいう「祖先教」とは、「祖先ノ神霊」によって守られた「家」を代々継承していくのが家長であり、「家」は、不可侵の「家長権」によって保持され、この「家」の拡大されたものが「国家」であるという考え方である。この観点にたつと、旧民法は、「家」を「一男一女ノ自由契約」の所産とする「冷淡ナル思想」によるもので、「忠孝ノ国風」は破壊されざるを得ない。八束の主張は、「家」の管理者として家長をとらえ、家長権の拡大のなかに天皇支配をみいだすという、国家―家の単純な貫通論であるが、単純であるだけに印象に残り易く、旧民法批判の一方の極をなした。」
平成24年の自民党改憲案では家族の役割が国の基本であることが明記されており、家族の助け合いが憲法上の義務として記されています。個人という価値観の後退、家族の浮上そして天皇の元首制。これらはまさに戦後レジームからの脱却の柱となる価値観であり、それが憲法第九条の改正による自衛隊の国軍化と対応しています。
さて、「日本近代法制史」を読むと、今の日本の様々な制度の由来が見えて非常に興味深いのですが、意外なところでは新聞のあり方がなぜ欧米と違うのか、ということも本書にヒントが記されていました。この違いとは欧米ではニューヨークタイムズでせいぜい200万部弱、ルモンドでも35万部前後しか発行されていませんが、日本の大新聞では500万部から1000万部くらいの規模を誇ると同時に、報道の中身は欧米のクオリティペイパーよりも水準が低く、パースペクティブに欠け、しばしば何が言いたいのかわかりにくい不明朗な内容になっています。この理由の1つとして挙げられているのが1883年に明治政府から出された新聞条例です。何が大きかったかというと、新聞発行者は多額の保証金を納入しなくてはならない点でした。
「この原型は、19世紀前半の西欧諸立法にある。それらの法令は、「適正な」報道は、一定の資産ある者(「財産と教養ある者」)によってのみなされ得るという当時のヨーロッパ社会の「市民」法的思考に由来するものだが、いわゆる「大衆社会」化のなかで、「自由」の担い手が一般民衆に拡大する19世紀後半には、西欧ではみられなくなっていった。我が国の出版法制は、この制度を19世紀も終盤に入った時点で新規に採用し、新聞発行を一定の資産ある者にのみ可能な事柄にしようとした。
この規定の影響は大きく、この後各地で廃刊を余儀なくされる新聞が続出する。ただ、興味深いことに、この規定は、穏健な市民的常識に基づく報道の促進という西欧諸国で果たした役割と違い、新聞の商業的大衆紙化を促進することとなる。つまり、必ずしも商業的利益と結びつかない政論新聞を廃刊に追い込み、「中立的」報道と読み物を売り込む商業ベースの大衆新聞を作り上げていく結果を招来することとなる。政治・社会状況を大所高所から考察する「市民」向けの「クオリティペーパー」と、社会ダネを扇情的に扱う大衆紙とに新聞が二分化されていく西欧との顕著な違いといっていい。
わが国では、民衆から超越し、「社会」から遊離した、士族インテリ・壮士層による大上段の政論新聞が淘汰され、一般民衆うけする大衆新聞が生き残って、新聞は、商業大衆紙に一元化されてしまうのである」
今まで漠然と思っていたことが、ここにその背景として新聞条例と言う発行条件を定めた法律の時代的な「ずれ」が原因として記載されていて興味深く思いました。
※川口由彦(よしひこ 法政大学法学部教授)
東大法学部卒業。著書に以下のものがあります。
「近代日本の土地法観念」
「戦後改革期の農業問題」など。
村上良太
■ジョン・ロック著 「統治二論」〜政治学屈指の古典〜
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■ジャン=ジャック・ルソー著「社会契約論」(中山元訳) 〜主権者とは誰か〜
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■トマス・ホッブズ著 「リヴァイアサン (国家論)」 〜人殺しはいけないのか?〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312292346170
■モンテスキュー著「法の精神」 〜「権力分立」は日本でなぜ実現できないか〜
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