2016年04月20日23時36分掲載  無料記事
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行田稔彦著『摩文仁の丘に立ち』を読む 根本行雄

 暴走を続ける安倍自民党政権は、夏の参議院選挙で勝利をおさめようと、ずる賢くたちまわっている。辺野古の問題を一時的に棚上げをして、沖縄の問題をごまかそうとしている。民進党や共産党など野党4党が国会に提出している安全保障関連法廃止法案ついては国会での審議をしようとしない。自衛隊についても、安保法制施行によって拡大した自衛隊の主要任務が実際に始まるのは参院選後になる。中谷元(げん)防衛相は3月22日の記者会見で、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)で離れた場所にいる他国軍部隊らを救助する「駆け付け警護」について、5-6月の交代要員の派遣時には実施しないことを明言した。安保法制が施行された今、沖縄戦の実態、戦争の実態とはどのようなものであるのか、その実態をしっかりと確認しておこう。 
 
 今回は、行田稔彦著『摩文仁の丘に立ち(「生かされた」人びとの告白)』「わたしの沖縄戦」シリーズ第4巻 新日本出版社 を取り上げたい。 
 
 この本は「小学校高学年から高校生、大人までが読める『沖縄戦を知る読み物』」として書き下ろされたものである。著者は、長年にわたって小学生とともに、「見て、聞いて、考える」学習である「総合学習」として沖縄体験ツアーを何度も、企画し、実施されている人物である。 
 
 ところで、政治学者の丸山真男は「戦後民主主義の『原点』」(1989年7月7日)において、次のように述べている。 
 
「60年安保の試練を経て、自民党は憲法改正をイッシューとするのはまずいという現実主義的配慮から具体的な日程に掲げることはなくなった。その代わり、いまの憲法をなしくずし的に、解釈の変化によってできるだけ自分たちの要求に沿わせるよう既成事実を積み重ねていく方向になってきた。支配層にとっての戦後の憲法問題は、三段階あると思います。第一期が、占領軍がいるから甚だ不本意であるが忍従するという、忍従期。第二に、改憲企図期、第三が、既成事実容認期、たとえば、第九条のように自衛隊の解釈を変えていく。実際、自民党政府は、これまで現憲法の精神を浸透させることはまったくしていない。逆に自民党は党の基本方針としては現在でもやはり改憲を明記しています。」 
 
 2013年末に、「国家機密法」を成立させた安倍自民党政権は「解釈改憲」路線を暴走し続けている。2015年5月、自衛隊法など既存の10法を一括して改正する「平和安全法制整備法案」と新設の「国際平和支援法案」を国会に提出した。これらの法案を安倍自民党政権は2016年9月19日に成立させた。この法律は、これまで政府が憲法9条の下では違憲であるとしてきた集団的自衛権の行使を可能とし、米国などの軍隊による様々な場合の武力行使に、自衛隊が地理的な限定なく緊密に協力するなど、憲法9条が定めた戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認の体制を根底からくつがえすものである。これらの法律は「安保法制」と呼ばれており、明らかな違憲である。 
 
 「解釈改憲」路線とは、議会の多数派であることをよいことにして、多数決は民主主義のルールであると正当性を主張し、法案を通し、既成事実を作り、自分たちの政策をごり押しに推し進めていくというやり方である。その典型は、自衛隊を作り、これは「軍隊」ではないと主張し、毎年のように巨額の予算を投じ、今では世界有数の「軍事大国」になっている、そのやり方である。 
 
 安倍自民党政権はこの「戦争法案」を成立させようとして、衆議院の憲法審査会に、参考人として3人の憲法学者(長谷部恭男早大教授、小林節慶大名誉教授、笹田栄司早大教授)を招いた。しかし、3人はそろって、「憲法違反である」と表明した。この事態は、自民党・与党政権の人々にとっては予想外のことであった。しかし、この事態は「戦争法案」が憲法9条を根底からなしくずしにしてしまうものだという危険性をだれもが認めざるをえないところにきていることの表れだといえるだろう。 
 
 この本を読むと、「戦争の真実を語り、再び戦争を繰り返さない国にする」という戦争体験者の声に耳を傾けない人々が政権を担っているという現状がよくわかる。 
 
「喜久子は、『解散』と言われた時、その意味が分からなかった。それまで、みんなが団体行動で助け合ってきているのに、『何で今頃解散なの?』と、意味が分からないので、教頭先生に質問した。すると、『これは、軍隊用語で、もう壕から出なさいということだ』と答えた。信じられなかった。しかも、17日の至近弾で、怪我をした8人が苦しんでいるのだ。」64ページ 
 
「県庁や警察部の課長らが、住民が毎日、毎日、餓死するのを見ていられなくなって、『民間人だけでも出してほしい。自分たち警察部の若い者は協力するが、民間の子どもと年寄りを出してほしい。あのまま見殺しにするのは見ておれない』と、日本軍部隊の隊長格だった大塚軍曹にかけあった。軍曹が、『君が、強いてそう言うのなら、出せ』と言ったので、課長が『ありがとうございます』と言うと、軍曹は、『壕を出る者は、後ろから全部撃つぞ』と言った。結局、出すこともできなかった。」96-97ページ 
 
 この本を読むと、「軍隊では平和はつくれない。軍隊は国民を守らない。この言葉の意味は、軍隊は国民を守ろうとしても守れないということではありません。軍隊はそもそも国民を守らない。むしろ、まず国民を殺すものだということです。」と述べていた前田朗の発言を裏付ける証言が数多くあることがわかる。 
 
「栄喜には、きちんと伝言しておかなければならないと思っていることがある。それは、首里一中にいる時に、校長の命令で、『遺書と遺髪』を出させられたことである。現在、残っているものは、那覇の鉄血勤皇一中隊展示室に展示されている。すごく、勇ましいことばで書かれているが、非常に観念的なものだった。事実、遺書を書いた時、栄喜たちは米軍の顔も、姿も、見たことがなかったのだ。なんであのような遺書が書けたのだろうか。栄喜は、国民学校、国民学校高等科、中学校等で進められた皇民化教育の教えにもとづいて、遺書はしたためられていると思っている。栄喜だけでなく、島尻に下がった学友は、みんな勇ましく書いた。しかし、実際は、勇ましいどころではなかった。武器も何も持たずに、毎日を、死に物狂いで生きてきただけだ。今日生きられるか、いつ死ぬのかということばかり考えていた。今、この鉄血勤皇隊の遺書を取り上げて、一中生は勇敢に戦ったように思っている人がいるが、実は、米軍が眼の前に現れてからは、まったくの逆だったのだ。」42-44ページ 
 
 これが「皇民化教育」の実態である。だれも本当のことを言えなくされていたのである。そして、権力者が主張している建前ばかりが世の中を席捲し、人権は蹂躙されていたのである。 
 
「(瑞慶覧)長方は、戦争が終わった時、言いようのない空しさを感じた。教育とは何だったのかと、ものすごい教育不信に陥った。戦争では、『人間が人間でなくなる』。つまり、人間性を失う。そして、軍隊は、決して住民を守らない。最も犠牲をこうむったのは、最も弱い住民だった。特に何も知らない純真な学生は、皇民化教育で洗脳され、軍隊に協力させられ、あげくの果てに完全に裏切られた。」35ページ 
 
「戦争とは、政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治にほかならない」とクラウゼヴィッツは『戦争論』(14ページ 岩波文庫)のなかで述べている。安倍首相は、近代国家には軍隊が必要不可欠なものだと頭から信じ込んでいる。そして、彼は戦後の、この70年あまりの「平和」は「平和憲法」があったからだということに気づいていない。 
 
 沖縄戦の証言者たちは、「話の終わりに、『みなさん、『わたしの沖縄戦』を聴いてくださってありがとう』と、感謝のことばを伝える。そして、『私の話を、みなさんの身近な人に伝えてくださいね』と付け加える。それは、『平和のバトン』を次の世代にリレーしたいという強い願いから出てくることばである。」179-180ページ 
 
 安倍晋三首相は、2016年3月2日の参院予算委員会で、とうとう、憲法改正について「私の在任中に成し遂げたい」と明言した。夏の参議院選挙において、自民、公明両党に一部野党も加えた勢力で改憲発議に必要な3分の2以上の議席を確保することに強い意欲を示した。衆参同日選も、安倍首相の視野には入っているはずだ。 
 
 私たちは、この本を読んで、沖縄戦の実態を知り、「戦争」の実態を知ることができる。 
 
 安倍自民党政権は、参議院選挙において議席を確保し、「解釈改憲」ではなく、文字通りの「改憲」を目指している。この安倍自民党政権の政治的意図を挫いていかならければ、日本は「戦争」にさらに近づいていくことになる。私たちにできることは何か。私たちは、どのように「平和のバトン」をつないでいくかをしっかりと考えながら行動していかなければならない。 


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