2016年06月14日14時02分掲載
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アフリカ
【西サハラ最新情報】40年来の指導者を失っても、西サハラ難民の願いは一つ 平田伊都子
2016年6月6日から、アルジェリアにある西サハラ難民キャンプも断食月ラマダンに突入しました。 一か月間、日の出から日の入りまで、一滴の水も、タバコもセックスもだめです。 50度を超える砂漠の断食をやり過ごすのは、昼寝が一番かな??
(1)パン・ギムン国連事務総長の弔文:
2016年6月1日、パン・ギムン国連事務総長は、「本日、私はモハメド・アブデルアジズが死去されたという弔報を受けた。彼はポリサリオ戦線の創設以来、中心人物として西サハラ紛争の平和的解決に向けて努力を続けてきた。その目的のために彼は、国連事務総長を含む多数の国連高官と会談を重ねてきた。最近では3月に当方(パン国連事務総長自身)と会見した。早すぎたご逝去に遭遇されたポリサリオ戦線とお家族に、心からお悔やみを申しあげる。西サハラの人々に民族自決権を与える、両当事者の納得がいく政治的解決を目指すことを誓います」と、弔文を西サハラ難民キャンプに送った。
(2)アブデル・アジズ西サハラ難民大統領埋葬:
2016年6月4日、アブデル・アジス西サハラ難民大統領でポリサリオ戦線事務総長の遺体がビル・ラフルという名の砂漠に埋葬された。どうして西サハラ難民キャンプから150キロメートルも奥深く西サハラ砂漠に入った、ビル・ラフルなのか?それは、ここで、40年前の1976年2月27日に、RASDサハラ・アラブ民主共和国の建国宣言が行われたからだ。5月31日にアルジェリア首都アルジェの病院で癌のため逝去された大統領の遺体は、6月3日に2,000キロメートル離れたアルジェリア・ティンドゥフに空輸された。
故大統領は、ティンドゥフにある西サハラ難民キャンプで、40年間苦難を共にしてきた西サハラ難民たちに別れを告げ、6月4日の早朝に車でビル・ラフルに出発した。
(3)ポリサリオ戦線特別会合:
2016年6月4日、アジズ大統領を埋葬した後、その地でポリサリオ戦線は特別中央委員会を開いた。40日の喪中に新西サハラ難民大統領兼新ポリサリオ戦線事務総長を選出する事を決めた。それまでRASD憲法61条の,47項,48項に従って、ハトリ・アドウ西サハラ国会議長が代行を務めることになった。ハトリ・アドウ氏は第14回西サハラ民族大会など、数々の重要会議を主催してきた。特別中央委員会の議長は、葬儀委員長のブラヒム・ガリが仕切る。ガリ氏はスペイン代表やアルジェリア大使などを歴任してきた、ベテラン外交官だ。
葬儀委員長のもとには、各国の首脳から弔文が届いた。先着順に、アルジェリア 国連、AUアフリカ連合、南アフリカ、キューバ、ベネズエラ、ジンバブエ、ウルグアイ、エチオピア、タンザニア、モザンビーク、アンゴラ、と続く、、
そして、今も続いている。
モロッコの王様は、勿論、お悔やみの言葉など送ってきませんでした。 モロッコ国営通信MAP(マグレブ・アラブ・プレス)が、「アルジェリア通信社によると分離主義指導者が死んだ」と、論評抜きで伝えただけでした。
7月の初旬に、新西サハラ難民大統領、新ポリサリオ戦線事務総長が憲法の手続きを踏んで選挙によって決まるそうです。 難民がサハラ・アラブ民主共和国を建国し、憲法までも制定しているのは驚きです。
指導者をうしなっても、慌てず粘り続ける西サハラ難民の人々には、一か月の断食月ラマダンなんて、ドッテコトないのかも??
改めて、アブデル・アジズ西サハラ難民大統領兼、ポリサリオ戦線事務総長のご冥福をお祈りします。
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2016年6月14日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
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