2016年06月15日14時43分掲載
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コラム
あまりの存在の軽さを見せつけたG7の結末 大野和興
伊勢志摩で開催された主要先進国首脳会議(G7伊勢志摩サミット)は一国の首脳の見当違いの茶番にかき回されるというさんさんたる結果に終わった。一国の首脳とはいうまでもなく日本国首相安倍晋三である。国際的にも周知の事実なので詳しく述べる必要はないだろう。ことの経過を簡単に整理しておく。
◆アベが演じた茶番劇
5月26日に開幕した首脳会議冒頭で安倍首相は、1枚のペーパーを示しながら、いま世界経済はリーマンショック前夜に類似した危機的状況にある、と力説した。各国首脳はあっけにとられ、「危機とはいえない」という発言が飛び出した。IMFの世界経済見通しでも2017年に成長率がマイナスになるのはG7の中で日本だけで、あとは軒並み緩やかな成長の軌跡に入っているからだ。
海外メディアがさっそく飛びついた。フランスのル・モンドは「安倍の無根拠なお騒がせ発言にG7が仰天」、英テレグラフ紙は「経済で失敗している安倍のお話を聞く必要はない」と手厳しかった。英経済紙フィナンシャル・タイムズ、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルはさらに一歩突っ込んで、消費税増税延期の口実づくりという内政上の政治策略だと断罪した。
◆グローバル資本主義への対応力喪失
先進国首脳会議が議長国とはいえ一参加国の内政上の思惑に振り回されるといった事態が起こったことは、やはり注目に値する。なぜこんなことが起こったのか。現在の世界政治におけるG7の位置から考えてみたい。
経済学者で社会運動家である小倉利丸(元富山大学教員)は「G8/G7サミットは明かにグローバル資本主義の調整メカニズムとしては機能不全に陥っている」と彼のブログ「no more captalism」で述べている(「G8/G7サミット批判:西欧近代の欺瞞の象徴として」。以下、引用は同論文から)。G8は「1975年にフランスのジスカール・デスタン大統領の提唱で始まったG8サミットは、グローバルな資本主義の危機(当時の文脈でいえば石油危機と通貨危機に伴う深刻な不況とベトナム戦争敗北に象徴される政治的危機)に対応するための先進国の利害調整の装置としての機能」を期待されて発足した。
こうした生まれ性からG8のスタンスは常に以下のようなものであったと小倉は分析する。
「G8/G7サミットは構成国の内政にはほとんど関心を寄せず、むしろ途上国をG8/G7サミットに象徴される既存のグローバル資本主義の枠組に組み込むために、先進国相互の摩擦や軋轢を調整する役割を果している」
G8からロシアが外れてG7になった今も、この構造は変わらない。そこに日本の安倍は、ピント外れの論理を振りかざして、一国の内政上の政略をまるで土足で踏み込むように持ち込んだ。それは裏返せば、G8/G7がグローバル資本主義の危機への対応力も先進国相互間の摩擦調整能力も喪失してしまっていることを意味する。
◆幕引き役を演じたアベ
それは世界の構造変化に見合うことでもある。現在、世界の激動の震源地はかつての東南アジアや東アジア、ラテンアメリカから中東、アフリカ、東欧や中央アジアにシフトしている。いずれも米国が単独で圧倒的な強さを発揮できる地域ではない。東欧と中央アジアは中国とロシアを抜きには語れない。アフリカはかつての旧宗主国のヨーロッパと中国の利権争いの場になっている。さらに中東―アフリカ―南アジアは近代西欧の価値観に基づく支配システムが破たん、その矛盾は「テロリズム」として噴出している。
さらに世界では、現在のグローバルな支配体制に対する様々な形での異議申し立てが既存のイデオロギーを超えて湧き出ている。米国のトランプ旋風もその一つだ。こうした世界でG8/G7サミットは合意形成システムとして実質的な意味をもたなくなった。安倍首相は、本人の意思にかかわりなく先進国サミットの幕引き役を演じてしまった。それはまるでピエロであった。
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