2016年06月21日10時16分掲載
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ひたすら記録することの意味 『圧殺の海 第2章 辺野古』を観る 笠原眞弓
藤本幸久・影山あさ子監督の「圧殺の海 第2章 辺野古」を観に行った。前作『圧殺の海 −沖縄・辺野古』は1時間40分のほとんどが、闘争というか、キャンプシュワブのゲート前の座り込みと、大浦湾の埋め立て現場のカヌー隊行動の場面だった。たぶん今作もそうだろうと、分かっていた。だから、どんなふうに上映されるのかと、とても楽しみだった。私も、今年の2月には、遅まきながらゲート前に行って、監督の藤本幸久さんにもお会いしているし、山城博治さんの参加者を守ろうとの配慮にも接していた。工事資材の搬入などなかったものの、ゲート前では日の出前からの座り込み、歌を唄った。この映画を観ていて警官の動きなど、その分以前よりリアルに感じられたのは、当然かもしれない。
師匠の言葉に従って「記録」に徹する
前作が翁長知事誕生で終わったので、このフィルムは、そこから今年の3月までの1年3ヵ月ほどの「記録」だった。藤本さんは、「我が師匠、土本典昭監督は『記録なければ事実なし』と言っていた。ナレーションもインタビューで相手に聞くのも、こちらの言いたいことを言わせていることになるので正確な記録とはいえないと思うから、それらも出来るだけ排除した」と言う。
警備する人々の本音
前作で影山さんの首を締め上げた海保のお兄ちゃんもまた出てきた。ゲートの通行を確保している県警の「にーに」たちは、時に表情を緩めることもある。平気でウチナンチューのおばぁやおじいを罵倒して引っ掴む警視庁派遣警官。「危ないですから」と声を掛けながら、乱暴に肩を確保して運んでいく。フェンス越しにカメラを回す海兵隊員たち。
海上では、カヌーと漁船に乗って阻止行動をする人たちと海保の黒ボートが入り乱れ、もつれていたと思うと、悲鳴と共に画像が突然水中になる。転覆させられたのだ。ヘルメットに取り付けたカメラが潜っているのだ。
新しい戦術を編み出しながら、攻防を繰り返していく。
「もっていかれた」人を救い出すために、県警前での徹夜の座り込みもする。
時々、翁長知事と官邸との裁判経過などが挟まって、時の経過もわかる。
「和解」後に、本土から話し合いに来たという防衛庁の役人など国側の人たちが全員、上等なかりゆしを着ていた。それって、安倍のいう「沖縄に寄り添う」ということなのかと、吐き気がした。
たくさんの県民、本土からの参加者が辺野古の海を守っている。映画の中で、知人が声を上げている。もみくちゃにされている。そんな中で今回の「記録」は終わった。
私も沖縄に行ってもいいんだ!!
前回の「圧殺の海」では、沖縄の知人はいても、本土の知人はほとんど映っていなかったが、今回のには国会前でたびたび見かける方など知人が何人かいた。それだけ沖縄・辺野古が、私はもちろんみんなの中で近くなったんだな、だれでも行っていいんだと思えるようになったと感じられた。連帯の輪は確実に広がっている。
今後6/25から8週間ポレポレ東中野にて公開 大阪・沖縄上映中 全国展開予定
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