2016年06月29日16時14分掲載
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子安宣邦著 「『大正』を読み直す」(藤原書店) 戦後70年の原型としての大正時代
近世日本思想史が専門の子安宣邦教授の話題の最新刊が「『大正』を読み直す」(藤原書店)です。話題の、と書いたのは様々な新聞で書評が書かれ、注目を集めているからに他なりません。
なぜ今、「大正」時代に注目するのかと言えば、大正時代が明治と昭和の狭間の15年ばかりの短い時代(1912−1926)だったにも関わらず、日本で戦前の軍国主義・全体主義が揺籃された決定的な時代だったからであり、これが子安氏が本書を書いた動機にもなっています。
子安宣邦
「『大正』を読み直すことは、『昭和』を、戦前の『昭和』だけではない、戦後の『昭和』をも読み直すことになるだろう」と本書・序章の最後に私は書いた。大正前夜の『大逆事件』、やがてくる大正の政治社会に国家権力が先手を打った国家的テロルというべき『大逆事件』について書きながら、私は社会主義とその政党がほとんど溶解してしまった21世紀日本の政治的現実と『事件』との間を重く暗い線をもってつなげざるをえなかった。そしてまた河上における『貧乏物語』の破棄と『第二貧乏物語』の成立をたどりながら、現代日本における<貧困論>がまさしく貧困であることの理由を考えざるをえなかった。私が読み始め、読みながら確認していった『大正』とは、『戦後民主主義の日本社会への定着』をいうものが、その前夜として見出す『大正デモクラシー』としての『大正』ではない。もしわれわれの民主主義についていうならば、<民>をただ迎合し、喝采し、投票する<大衆>としてしか見ない<民主主義>、<民の力>を本質的に排除した<議会制民主主義>への道は、すでに『大正デモクラシー』そのものが辿っていった道ではなかったのか。私は『大正』を読みながらそのように考えるようにになった。」(本書のあとがきから)
実はこの大正時代は戦後の70年の歴史と重なって見えてくる、このことが重要です。
大正時代と言えば「大正デモクラシー」という言葉で象徴されているように一見明るい時代に感じられます。吉野作造の「民本主義」という言葉も、民主主義への道のように感じられます。ところが、なぜそのあとに暗い軍靴の響きがこだまする時代が押し寄せたのか。誤った大正時代論が戦後おびただしく出回り、大正時代をゆがめてしまった、というのです。大正時代を見つめなおす本書は、まさに今を直視するものといって過言ではありません。
村上良太
■子安宣邦氏( 近世日本思想史 大阪大学名誉教授 )
思想史家として近代日本の読み直しを進めながら、現代の諸問題についても積極的に発言している。東京、大阪、京都などの市民講座を開催している。
以下は子安氏のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/
■子安宣邦著「帝国か民主か 〜中国と東アジア問題〜」
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