2016年07月06日12時39分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201607061239203

文化

「嬬恋村のフランス料理」16 〜我ら兄弟、フランス料理人〜 原田理(フランス料理シェフ)

   僕には4つほど歳の離れた弟がいます。小さい頃は二人ともいわゆる悪ガキで、いたずらや問題を起こして、よく両親に怒られていました。僕の成長が遅く、弟のほうが身長の伸びも早かったので、よく双子に間違えられたりしたものです。僕はフランス料理人になることを早くから決め、16歳で家を飛び出して修行に入り、都内で一人暮らしを17歳の時に始めましたが、最初に自分の部屋に呼んだ家族は弟でした。彼が学生の時分に東京に遊びに来たりして、いろいろな場所に行きましたが、将来について特段意図はありませんでした。ある時、弟が「フランス料理人になりたい」と言っていると両親から聞いた時は驚きました。兄の背中を見ていたわけではないでしょうが、彼自身が望んで同じ道を歩むことになったのです。 
 
   調理師専門学校は別のところに通い、彼は首席で卒業し、僕が紹介して彼が最初に入った都内のフランス料理店で下積みを始めた頃には、僕は始めてシェフになった店で働いており、その近所に弟は住んでいました。当時彼は風呂なしの小さな物件で暮らしており、毎日のように僕の部屋に入浴に来ていましたが、その頃はよく雑誌や料理番組を見ながら、あーでもない、こうでもないとフランス料理について我が家で話していました。知り合いもまだ少ないころは二人でよく食べ歩きにも行きましたし、夜な夜な自分たちの考えをぶつけ合うことも多々ありました。懐かしい代々木上原のぼろアパートの日々です。そのうち僕の独立話が持ち上がり、多忙になっていく中で、いつしか距離が出来る様になってしまったのかもしれません。 
 
   独立したての店と言うものは、かなり強いコネクションや、有名シェフの店でもない限り、ぱっと出のフランス料理店は近所にすら認知されていないので、初期の頃はずいぶんと暇な時間悩まされました。弟も職場を替え、当時勢いに乗っていた超有名店に入ったばかりで、新しい修行先のあまりのハードさに、ずいぶんとお互い疲れていたような気がします。しばらくすると僕の店は落ち着き始めましたが、弟はと言えば相変わらずのハードさで、彼の遭遇した交通事故等もあり、しばらく顔を合わせない日が続きました。僕としても最初の結婚の頃で弟と会話する時間もなかったように思います。家庭を持った僕はさらに弟と疎遠になり、近くに住んでいるのに数年間声も顔も合わさない日が続きました。 
 
   最初の大きなぶつかり合いは僕の店が軌道に乗り、法人を立ち上げた後に新規に出店する話が出た頃でしょうか。勢いに乗って多店舗展開しようとする僕に弟は真っ向から反対してきました。兄貴は職人肌の料理人であって、経営者として多店を統括する器量は無い。絶対に出店は反対だ、と。一度は弟の声を聞き入れ踏みとどまったのですが、長く働いてくれている従業員のために店を出したい気持ちもあり、半ば強引に資金を集めて出店したのでした。開店の時に弟の顔を見ることはありませんでした。 
 
   そしてその出店の結果は「惨敗」の一言。売上が思ったように伸びず、さらに追い討ちとしてリーマンショックが到来し、顧客としてあてにしていた近隣の高級住宅街に住んでいる外国人たちは軒並み日本から出て行ってしまい、その他もろもろの閉塞感の中、2年ほどで会社をたたむ決断をしなければいけなくなったのです。会社閉鎖間際に僕が自暴自棄になっていた頃、助け舟を出してくれたのは弟でした。会社の経理を見直し、新しいスタッフを紹介してくれ、資金を集めて、落ち込んでいる僕を押したり引いたりして精神管理までしてくれたのは他ならぬ弟で、あの時彼が支えてくれなければ今の僕はありません。自分の会社を失う恐怖で現実から逃避している僕に「そこまで苦しいなら会社なんて畳んじまえ!フランス料理でなくても、何でも料理と名がつくものはすべてゼロからやってみりゃいいんだよ!」と一番言いにくいけれど、一番大事な一言をくれたのも弟でした。当時の妻との離婚の際の話し合いに立ち会ったのも弟でした。数年間会っていなくても、会話していなくても、弟は全身で兄を支えてくれました。弟の一言のおかげで僕は外に出る決心がつき、包丁ケースひとつをよすがにホテルのアルバイトで見習いから始めなおし、幾多の偶然が生み出す数々の出会いからここ嬬恋村で根を生やすことになったのです。(No.3参照) 
 
   僕は料理人として腕の部分のただ一点のみで弟には勝つ自信はありますが、経験値や社会性や営業、販売の経験などの総合力では弟には完敗に近いかもしれません。それぞれ特性の話かもしれないのですが。 
 
   嬬恋村に移住して、今の妻を迎え、生活も安定して、今のホテルで副総料理長となって過去を過去として見られるようになって落ち着いた最近、かなり忙しい時期や重要な宴会のときなどに、弟に嬬恋村に仕事の手伝いに来てもらいました。落ち込んだ僕のことしか、印象のないであろう彼に、回復した僕を見て欲しい気持ちもありましたし、今のよき上司や仲間に会ってほしい気持ちもありました。僕は26年、彼は20年の料理人生の中で、弟と一緒に働くのは実は始めてです。料理談義を狭い部屋で夜な夜な繰り返した頃から一気に20年すっ飛ばし、初めて調理場という場所で弟と腕比べをするのです。 
 
   修行先もついたシェフや経営者もまったく違う環境で育った料理人同士は意思疎通がなかなか難しいものです。常識や基本が違うので、同じ言葉もとらえ方を間違えると結果はまったく違うものになってしまい、イメージした料理が出来上がらなくなってしまいます。すりあわせをやって、少しづつチームやパートナーになっていきます。弟との仕事はストレスがありませんでした。仕事中はあまり会話もありませんが、家に帰ってからは二人で愛妻や仲間にいろいろな料理を作り、皆でわいわいと食べていると新旧の家族がひとつになるような気がします。 
 
   今回の大きな宴会では弟をボスに付けて全面的なサポートをさせ、僕は全体の管理と指揮。いつもは進行状況を気にして怒鳴り声が出る総料理長からも、ついぞ大声を聞くことがありませんでした。なにより弟のコミュニケーション能力は高いのには舌を巻きました。弟にとっても初めての料理ばかりでかなり疲れたとは思いますが、尊敬する僕の上司とも仕事が出来、初めて僕の愛妻にも会い、見たこともない大きな宴会料理ばかりでいい経験になったと本人も満足気味です。長い長い喧嘩の時期を経て、やっとお互いそれなりの料理人として認め合えるようになったのがここ最近なのですから、「兄弟」と言う男同士の関係はいつまでも子供のままなのかもしれません。同じ職業を選んだからこその長い常識のすれ違いを乗り越えてやっとパートナーになれる日が来るのも、近い将来のような気がします。 
 
原田理(おさむ)  フランス料理シェフ 
( ホテル軽井沢1130 ) 
 
 
■「嬬恋村のフランス料理」1 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507250515326 
■「嬬恋村のフランス料理」2 思い出のキャベツ料理 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507282121382 
■「嬬恋村のフランス料理」3 ぼくが嬬恋に来た理由 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508021120200 
■「嬬恋村のフランス料理」4 ほのぼのローストチキン 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508131026364 
■「嬬恋村のフランス料理」5 衝撃的なフォワグラ 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508272156474 
■「嬬恋村のフランス料理」6 デザートの喜び 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509051733346 
■嬬恋村のフランス料理7 無限の可能性をもつパスタ 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509112251105 
■嬬恋村のフランス料理8 深まる秋と美味しいナス 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509202123420 
■「嬬恋村のフランス料理」9 煮込み料理で乗り越える嬬恋の長い冬 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201510212109123 
■「嬬恋村のフランス料理」10 冬のおもいで 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511040056243 
■「嬬恋村のフランス料理」11 我らのサンドイッチ  原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511271650435 
■「嬬恋村のフランス料理」12 〜真冬のスープ〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201601222232375 
■「嬬恋村のフランス料理」13 〜高級レストランへの夢〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603031409404 
■「嬬恋村のフランス料理」14 〜高級レストランへの夢 その2〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603172259524 
■「嬬恋村のフランス料理」15 〜わが愛しのピエドポール〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604300026316 
■「嬬恋村のフランス料理」16 〜我ら兄弟、フランス料理人〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201607061239203 
■「嬬恋村のフランス料理」17 〜会食の楽しみ〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201609142355513 
■「嬬恋村のフランス料理」18 〜 魚料理のもてなし 〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201611231309133 
■「嬬恋村のフランス料理」19 〜総料理長への手紙 〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201707261748033 
■「嬬恋村のフランス料理」20 〜五十嵐総料理長のフランス料理、そして帆船 〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201707291234426 
■「嬬恋村のフランス料理」21   コックコートへの思い   原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201709121148442 
■「嬬恋村のフランス料理」22 原木ハモンセラーノで生ハム生活   原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201711271507321 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。