2016年07月11日11時15分掲載  無料記事
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戦災傷害者の無念を描く  ドキュメンタリー映画「おみすてになるのですか〜傷痕の民〜」  村上良太

  林雅行監督のドキュメンタリー映画「おみすてになるのですか 傷痕の民」について書いたのは今から6年前になります。この映画は戦争で被災した民間人の戦後の苦しみを描いた傑作です。戦争法制ともいわれる「安保法制」が国会で可決した去年は戦後70年を飾る年でした。戦後70年に、戦争を容認する法律が強行採決されたことの意味を考えていると、そのことは戦争を直接に体験した人々の多くが死に絶えてしまったことなのだな、という事実につきあたります。そこでもう一度、この映画の紹介文を掲載したいと思います。 
 
■戦災傷害者の無念を描く  ドキュメンタリー映画「おみすてになるのですか〜傷痕の民〜」  村上良太 
 
  林雅行監督が新作「おみすてになるのですか〜傷痕の民〜」を完成しました。第二次大戦末期の空襲で重い傷を負い、暮らしに支障をきたしていても国家補償が得られず無念の思いを心に秘めて戦後を生きてきた民間の戦災傷害者たち。「国は私たちが死ぬのを待っているのか!」そんな彼らがカメラの前で体験を語り、傷ついた肉体を見せます。 
 
  戦災傷害者の一人の男性にカメラがズームアップすると両耳が焼けて溶けたためか、ありません。彼はウォークマンのヘッドフォンみたいなものを部屋の奥から取り出してきます。 
  それは今まで見た事もない奇妙なものでした。両側についているのは音響装置でなく、2つの「耳」だったからです。男性が説明してくれます。 
 
  「髪を洗う時、耳がないとお湯が耳の穴に入ってきます。すると、しょっちゅう炎症を起こして耳鼻科に行かないといけないのです」 
 
  耳は音を聞くだけでなく、洗髪の時、耳をお湯から守ってくれてもいたのです。 
  手にも重い火傷を負い、指は変形しています。 
  この男性は兵士ではなく、焼夷弾で焼かれるまでは戦時とはいえ普通の生活を営んでいました。 
 
  東京在住の女性は片手の義手をはずして見せてくれます。 
 
「最初につけた義手は男性用の大きなものでした。私の手は小さいでしょ。だから歩いていても左右の手の大きさが全然違っていて本当に恥ずかしかった」 
 
  彼女は被災後、病院の手術室である「音」を耳にしました。「キーコキーコ」という不気味な音・・・。祈ったそうです。 
 
「先生、腕を切らないで。親がいないし独身だから働かなくてはならないのです」 
 
  戦災傷害者はみな「あの日」さえなければ・・・心の中でそう思っています。 
 
  1944年11月24日B29来襲。以後東京は110回を超える空襲で焼け野原になりました。1945年3月10日未明の空襲では推定10万人が焼死、40万人が負傷しています。 
  3月13日は大阪、17日は神戸、19日は名古屋でも空襲が続きます。 
  6月末以後、米軍は焼夷弾による焦土作戦を全国でも展開し、55の地方都市で空爆を実行。 
  およそ47万人の市民が空襲で四肢を切断したり、視聴覚障害を負ったりしました。皮膚がケロイドになった人も多数存在します。 
 
  米軍は当初、軍需工場に的を絞っていましたが、兵器生産へのダメージが少ないと判断し、無差別爆撃に方針を転換します。その結果、民間の犠牲者が増えたのです。 
  その多くは戦後の復興や高度経済成長からも取り残され、孤独な生活を強いられました。軍人・軍属や原爆被害者に対しては国家補償がありますが、民間の戦災傷害者には国からの補償がなかったからです。その多くは80代や90代の高齢になっています。 
 
  林監督は戦災傷害者17人から話を聞きました。東京、横浜、浜松、豊橋、名古屋、岐阜、大垣、大阪と訪ね歩きます。しかし、取材中は一度も「傷を見せてください」とは言わなかったと言います。被災者が自らレンズに肉体をさらしてくれたのです。自分が戦後をどう生きてきたか、今、どんな心境でいるか、それを知って欲しかったからに他なりません。 
 
  戦災傷害者の多くが役場の就職相談窓口でひどい言葉を耳にしたようです。 
「手が使えなかったら仕事はないぞ」 
「その姿で売り子はつとまらない」。 
  生存を否定するそんな言葉に絶望して自殺した人も多数存在した事が証言から浮かび上がります。「戦後の方がもっと辛かった」という言葉は彼らが見捨てられてきたことを象徴しています。 
 
  腕や視力を失った女性が子育てする厳しさも描かれます。 
  インタビューの途中、「お母さんもう辞めて。こんなことして何になるの!迷惑よ!」と怒り出す戦災傷害者の娘さんもいました。林監督はこう説明します。 
 
「戦災傷害者は家族からも疎まれるケースが多いのです。毎年、8月15日が近づくと、反戦記事の取材が来ます。それに費やす1時間、2時間。その間、仕事を中断しなくてはなりません。インタビューしていた女性は視力がほとんどゼロですが、離婚してマッサージ師をしながら女手一つで子育てをしました。だから子どもさんも相当苦労しているんです。母親は収入を削ってまで取材に協力している。それなのに国は動かない。そんな年月の積み重ねで家族は取材を迷惑に思うようになっていくのです」 
 
  家族からも理解してもらえない。誰からも認めてもらえない。そうした戦災傷害者の無念を映画で描きたかった、と林監督は言います。 
 
  「過去にも戦災傷害者への補償を訴えた記事や番組はありました。それ自体真摯なものであっても、その関心が持続しないところがメディアの欠点だと思います。移り変わる時々の1トピックとして終わることが多いのです」 
 
  林監督は空襲で片目を失った名古屋市在住の杉山千佐子さんの人生をドキュメンタリー映画や劇で何度か描いてきました。杉山さんは1973年に全国戦災傷害者連絡会を立ち上げ、戦災傷害者への国家補償を訴えてきました。現在、94歳。30年以上、国家補償を求める法案を毎年上京して国会に持ち込みましたが日の目を見る事はありませんでした。 
  そうした中、戦災傷害者が高齢化し、杉山さんの仲間もひとりまたひとりと亡くなっていく現実があります。そこで、林監督は杉山さん以外の戦災傷害者にも今回取材を広げたのです。 
 
  「心の中では諦めています」 
  「国は私たちが死ぬのを待っている」 
 
  そんな絶望感が戦災傷害者の心の底に広がっています。 
  しかし、その一方で、今年こそ立法を成功させようという新たな動きも出ています。取材を受けた女性は「おみすてになるのですか〜傷痕の民〜」をぜひ国会で上映してほしい、と試写会の席上で訴えました。 
 
  今回の映画は杉山さんが高齢化する仲間を訪ねる旅から始まります。杉山さんは今日も諦めることなく平和に向って一歩一歩、歩き続けています。 
 
映画「おみすてになるのですか〜傷痕の民〜」 
制作:クリエイティブ21 
 
 
■【テレビ制作者シリーズ】(8) 反戦に意志を貫く個を描く、林雅行さん 
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