2016年07月19日18時32分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201607191832482
国際
クーデター未遂のトルコをどう見るか 国際問題評論家・北沢洋子氏の記事から
国際問題評論家の北沢洋子氏が亡くなったのは昨年の7月、今から1年前に当たります。南北問題やアパルトヘイトなど、世界の問題に果敢に取り組んできた人だけに惜しまれます。その北沢氏が晩年、精力的に筆を起こしていたのがイスラム圏の問題であり、とくにトルコとイスラム国のことでした。今、折しもトルコでエルドアン政権に対するクーデター未遂事件と、そのあとの激しい粛清が進められています。北沢さんが書いたトルコについての記事を紹介します。
2013年の記事ではエルドアン大統領の独裁ぶりが批判されており、興味深い点は軍部だけでなく、一般市民や民族主義者の中にすら、大統領の横暴を看過できなくなっているというくだりでしょう。
【北沢洋子の世界の底流】「トルコの春2013」の背後にある事実 政治・経済、そして人びとの思い (2013年)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201306131459284
「・・・・エルドアン首相の強気な姿勢は、彼が率いる「公正発展党(AKP)」が、2002年の総選挙で地滑り的な勝利を占めたことから来ている。イスタンブール市長時代から、彼が、貧困層に住宅を供給するなど、手厚い政策を採ってきたので、人気が高かった。
しかし、これまでの10年間、エルドアン率いる公正発展党が権力を握っている間に、首相とその取り巻きたちが、汚職、利権など腐敗し始めた。ゲジ公園の再開発計画も首相の義理の息子がからんでいると言われる。選挙で民主的に選ばれたエルドアン首相自身も、独裁者になっていった。・・・」
「今日、強権的な首相に対して反対しているのは、世俗派の中産階級ばかりでなく、敬虔なイスラム教徒も、右派の民族主義者もいる。また左翼の共産党やアナーキストもいる。これはエルドアン首相にとって、危険な兆候である。」
昨年、北沢氏が亡くなる1か月前に書かれた記事ではトルコ経済の危うさが指摘されています。リーマンショックの後、米国はFRBが低金利政策を継続したため、ウォール街に集まるマネーは新興国に投資される構造になりました。トルコが経済活況の資本投下場所として世界の経済雑誌で取り上げられたのがその頃です。トルコは人口も多く、地の利もよく、将来性があるとして、日本からも投資が行われました。しかし、トルコに投資されたマネーの大半はドル決済、ユーロ決済であり、トルコの通貨リラが切り下げられたら、大変な事態になることを北沢氏は指摘していたのです。アメリカの金利の引き上げがいつになるかが注目されます。
【北沢洋子の世界の底流】トルコの総選挙−地滑り的変化
(2015年6月)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201506251522404
「・・・・欧米諸国が、2008年のリーマン・ショックで経済不況にあえいでいる時、世界の金融市場は、新興国と呼ばれた国ぐに投資を集中させた。とくにゼロ金利の米国からは高い利子を求めてウォール街からホット・マネーが殺到した。そして、エルドアン政権のもとで、「トルコの奇跡」と呼ばれた経済ブームが実現した。俗称「アナトリアのタイガー」は、ヨーロッパだけでなく、開発経済協力機構(OECD)の中でも、最も高い成長率を記録した。
しかし、このような非持続可能な発展は、決して続かない。国家、企業、銀行ともに、巨額の対外債務を抱え込んだ。例えば、90%の企業が持つ債務はドルやユーロなどの外貨である。ここで問題となるのは、債務の返済も外貨で払うのだが、トルコ・リラは、2008年以来、60%も下落してしまった。これでは、とうてい返済は不可能である。」
北沢さんの原稿に、北沢さんが亡くなった後の情報を加筆すると、去年6月の総選挙で与党は過半数割れしたにも関わらず、組閣をめぐって連立協議がまとまらなかったために、なんと再選挙となり、11月の再選挙で与党が再び過半数を占めるということが起きています。6月の選挙から11月の再選挙の間までにイスラム国のテロや軍と野党勢力との確執などが起きて、不安に思ったトルコ市民が再び与党に票を入れたようです。選挙の与党敗北から再選挙での与党復活勝利までの、この5か月間、いったい何が起きていたんでしょうか。ちなみにトルコは一院制で550議席 任期4年 複数政党制です。以下は外務省のサイトから。
「2015年6月の総選挙では,クルド系野党の国民民主党(HDP)が得票率13%を獲得した結果,AKPは議席数を大幅に減らし(258議席),過半数割れの結果となった。エルドアン大統領から首班指命を受けたダーヴトオール首相(当時)は野党との連立協議を行ったが合意に至らず,エルドアン大統領は憲法上の既定に基づき再選挙の実施を決定した。2015年11月1日に実施された再選挙では,AKPは得票率49.32%を獲得し,過半数を超える317議席を確保し,11月30日,ダーヴトオール首相(当時)による第64代内閣が発足した。2016年5月22日,ユルドゥルム運輸海事通信大臣がAKPの新党首に選出されたことに伴い,ダーヴトオール首相(当時)は辞任を表明。エルドアン大統領から首班指名を受けたユルドゥルム首相による新内閣が組閣され,2016年5月29日,トルコ大国民議会における信任投票の結果,信任多数で第65代内閣が発足した。」
もし北沢氏が今日生きていたら、おそらくまた記事を書いていたことでしょう。それが読めないのは残念です。
■北沢洋子氏の著書(ウィキペディアによる)
『東南アジアの叛乱』情況出版 1974
『アパルトヘイトへの日本の加担 日本・南ア経済関係調査報告』アジア太平洋資料センター 1975
『私の中のアフリカ』 1979年 朝日新聞社 のち現代教養文庫
『私の会った革命家たち アジア・アフリカ30人』1980年 第三文明社
『黒いアフリカ』1981年 聖文社
『日本企業の海外進出』1982年 日本評論社
『暮らしの中の第三世界 飽食と繁栄VS飢えと貧困』1989年 聖文社
『開発は人びとの手で - NGOの挑戦:フィリピン農村再建運動(PRRM)』PARC booklet 1998年 現代企画室
『IMFがやってきた - アジアの経済危機と人びとのオルタナティブ』1998年 現代企画室
『利潤か人間か グローバル化の実態と新しい社会運動』コモンズ 2003
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。