2016年07月24日16時27分掲載
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オルハン・パムクの文学 西欧近代主義とイスラム主義の狭間で
クーデター未遂の後、トルコではイスラム主義政党「公正発展党(AKP)」を率いるエルドアン大統領が世俗派に対する弾圧を強めており、時々刻々とその報道が入って来る日々です。トルコはもともとイスラム国家の盟主だったオスマン帝国が第一次大戦で敗れ、領土が縮小し、国も政教分離を原則として近代化に邁進してきましたが、時々にイスラム主義への揺り戻しがあり、時計の振り子のようにオスマン帝国への復古主義と、政教分離の近代主義に揺れてきたとされ、今はエルドアン大統領のもとで激しく再び復古の側に動きつつあります。
こうしたトルコの政治を背景に、ノーベル文学賞を受賞した作家のオルハン・パムクはその受賞記念講演に際して「父のスーツケース」という文章を発表しました。彼の父親はトルコの近代主義を支えたエリートの一人と言ってよく、文学を愛し、フランスの詩を翻訳したりしたこともありましたが、当時のトルコでそのような近代西欧文学の需要は少なく、文人として生計が立てられなかったため実業家として生きたとされます。「父のスーツケース」ではそのようなトルコの文学事情が語られています。このエッセイは活字として出版されており、短く、読みやすく、トルコの事情が簡潔に面白く読めます。
オルハン・パムクはトルコの歴史の中にイスラム主義と西欧近代文明との葛藤を描く小説で知られており、たとえば「白い城」はベネツィアの技術者がオスマン帝国との海戦に敗れた関係でイスタンブールの古城に拉致される物語です。ヴェネツィアはトルコにとっては当時の先端技術を持つ都市であり、そのため技術者は西洋技術について城主から訪ねられたり、互いの文明について論じあったりします。
オルハン・パムクの最大のヒット作である「私の名は紅」も、「白い城」と通底するテーマを持っており、ヴェネツィアからトルコに西洋近代絵画の象徴である「遠近法」が導入されたことのインパクトをテーマにしています。エンターテインメントとして楽しめるように、ミステリ形式に仕立てられていますが、核心は西欧近代文明とトルコのイスラム主義あるいはトルコの古来の文化との葛藤にあります。
この葛藤が最も先鋭に描かれた作品が「雪」であり、これはそのまま現代トルコの政治的な状況が描かれています。イスラム主義の人間と、近代主義の知識人との対立葛藤の物語で、イスタンブールから離れた地方都市の冬が寒々と描かれています。この小説はテロが背景に描かれており、オルハン・パムクの作品群の中ではおそらく最も今日のトルコ社会の分裂を描いているものです。この小説の登場人物の中にはイスラム国にも通底するものが出現しているように感じられます。実際、イスラム国はトルコ国内の支援を受けてきたと報道されています。
オルハン・パムクはそうしたトルコの政治的・文化的葛藤を政治の論文ではなく、血の通った人間同士の対立を通して描き、現代トルコの進むべき道を模索しようとしたとも考えられます。その自らの道程は「イスタンブール」という自伝エッセイに率直につづられています。父の世代の時代的な限界、そしてそれでも文学を選び取った自分自身の体験。そして、トルコから離れて渡米した経験。トルコを離れてみた経験が作家として、トルコを大きくつかむことができることにつながったようです。こうしたトルコの歩みは非西欧だった日本とも重なる点が少なくありません。脱亜論や和魂洋才など、明治の過渡期には日本が置かれた矛盾と葛藤をどう整理すべきか、試行錯誤した痕跡が言葉に残されています。
そして今、日本もまた非西欧に振り子が揺り戻される傾向にあります。トルコの文学を読むことで、日本がそこに重なって見えるはずです。西欧になりきることはできないけれども、イスラム主義の過去に戻ることもよしとしない、オルハン・パムクの文学はまさに泥沼を歩む文人の蛮勇をうかがわせるものです。しかし、今日、イラク戦争に顕著なように欧米国家の傲慢さが日増しに強まり、国連もそうした国々の指導者の誤りを処罰することすらできません。そうした中で、西欧に失望する人が増えています。かつては欧州連合入りを目指したトルコですが、欧州側はトルコを歓迎しましませんでした。腐敗が進むとされるエルドアン政権ですが、それでも今日のトルコではイスラム主義のエルドアン政権を支持する人々が一定数存在し、第一党を今も揺るぎなく占めています。今後、オルハン・パムクは文人として今の状況にどのような行動をとり、どのような小説を書くのでしょうか?今後もウォッチし続けたいと思います。
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