2016年09月25日12時22分掲載  無料記事
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コラム

押し寿司    木村結

 私が幼い頃、ケーキなどと言うおしゃれな食べ物は知らなかった。大晦日に一緒に歳を重ねる習慣がまだ残っていた新潟の田舎なので、個別の誕生日にお祝いをしてもらう風習もなかった。しかし、若い頃から横浜の親戚に何度も行っていた母は、オーブンがなかったのでケーキこそ焼けなかったが、家族のお誕生日にはいつも押し寿司で祝ってくれた。 
 
 我が家の押し寿司は大阪寿司のような生ものの一段ではなく、フレーク状の鱒、鯛でんぶ、炒り卵、しいたけの甘煮、ひじき、人参、絹ざや、干瓢と、主に野菜の煮物と酢飯を8段重ねにしたもの。お米を一升五合炊き、茗荷の葉を丁寧に敷き詰めた大きな専用の箱の中に重ねていく。最後にはいりこ状の蓋をして上に子どもが載って固める。私はこの箱の上に載るのが大好きで、片足ずつに力を掛けてグイグイと押していく。出来上がりを楽しみにわくわくしながら手伝った。 
 
  巨大な押し寿司は切り分けられ、美しい色とりどりの層となってお皿の上に晴れがましい姿をさらすのだ。いつも炒り卵の美しい黄色が最上段に鎮座し、絹ざややいんげんの薄切りが飾られていた。 
 
  小学校の頃、同級生に押し寿司の具は何が好きかと聴いたことがあったが、誰もが押し寿司そのものを食べたことがなかった。母はとてもハイカラな人で、スコッチエッグなど珍しい料理を作ってくれたので、我が家だけの料理なのだと思った。 
 
  15年ほど前だろうか、長岡駅の売店で「頸城の押し寿司」新発売と知り買ってみたが、笹の葉に包まれた野菜の煮物などを載せた一段だけのもので、母のものとは似ても似つかぬものだった。ただ、私が育った新潟県頸城地方の郷土料理であったことを知ることができた。多分、昔は何処の家にも我が家にあったような大きな寿司用の箱が大切にされていて祝いの膳を飾っていたのだろう。 
 
友人に宴席でその話をしたのか、ある時、大きな箱が届き、中には手作りの押し寿司の箱が入っていた。5段程度の深さしかないが、核家族の我が家には充分な大きさであった。茗荷の葉が入手困難で、あの茗荷の移り香が母の押し寿司の美味しさの秘訣であったのだとようやく知った。 
 
 
木村結 (東電株主代表訴訟 事務局長) 
 
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