2016年10月01日21時35分掲載
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文化
【核を詠う】(218)『朝日歌壇2015』から原子力詠を読む(2)「ふる里は遠きにありて思えとや原発避難民十万余」 山崎芳彦
「原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず」(竹山広 歌集『地の世』)という短歌を、いま開催中の臨時国会における安倍総理大臣の所信表明演説をテレビ放送を聞きながら、不意に思い起した。長崎の原爆被爆者である歌人が、その最晩年に詠った一首である。竹山さんはは2010年3月に90歳で亡くなった。25歳の時、長崎市で原爆に被爆し、被曝地の惨憺たる状況の中にあって「悶絶の街」の実相を身をもって体験した竹山さんは、それから65年を原爆被爆者として生き抜き、この国の短歌界にあってまことに貴重な、すぐれた歌業をなした人であることはよく知られている。この歌人の前記作品を安倍総理の所信表明演説中に思ったのは「福島では、中間貯蔵施設の建設、除染など住民の帰還に向けた環境整備、廃炉・汚染水対策を着実に進めながら、未来のエネルギー社会を拓く『先駆けの地』として、新しい産業の集積を一層促進…」と語っているときだ。
竹山さんの短歌が、原爆の被爆の真実、その底知れず残酷な核爆弾による被害のいつ終わるともいえない苦難について国家権力はまともに向かい合おうとしない、被爆者に「受忍義務」があるとまでいう冷酷で反倫理的であることを、被爆者として生きた65年を積み重ねたその晩年に遺歌として詠ったものであると筆者は読むのだが、だからこそ安倍総理の福島原発事故についての言辞のあまりにも原発事故による被災の実態、その現実、被害者の生活の実際からの乖離は、たとえ国会での所信表明の中でのものであったからこそ、この国の最高権力者だと自認している安倍晋三の真実、本質を竹山さんの歌は明るみに引き出していると、筆者は思ったのである。
安倍晋三の「福島認識」の途方もない現実乖離、再臨界のおそれさえ抱えた在り処も現形態も把握できないデブリを抱え込んだ潰滅原発構造は廃炉の見通しが立たないで30年だ、50年だと処理計画だけが言われている。
核汚染水の止まらない増加、外部への排出、水で冷やして抱え込んでいる核燃料、行き場のない高レベル核汚染物質の処理も見通しがない。山林や海、川などの除染はせず(できず)、避難指示区域の解除と損害賠償打ち切りをセットにした帰還促進政策の推進、放射線許容基準の一方的な緩和、リスクコミュニケーションの名による「放射線安全神話」の宣伝…いまや開き直り、居直りの「福島復興」が安倍政権のもとで、原子力利害共同勢力によって進められている。福島を「未来のエネルギー社会を拓く『先駈けの地』」にするとは、よくも言えるものだ。
それと併せて、安倍政権の原子力政策は原発再稼働の推進、「定年」を迎える原発の運転延長、MOX燃料使用のプルサーマル発電原発の増加、「高速増殖炉『もんじゅ』の廃止も含む核燃料サイクルの見直し」を謳って新たにフランスとの提携での高速炉開発などへと進もうとしている。核発電の継続を、さまざまな事故の危険性を排除できないまま進める方針に変わりはない。司法の判断があってもそれを無視あるいは軽視し、最近では立地県の首長(鹿児島県・三田訓知事)の申し入れを電力会社が門前払いし、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働問題で厳しい姿勢をとる新潟県・泉田知事に対する地元新聞による怪しげな疑惑キャンペーンにより同知事が知事選不出馬になるなどの動きも注目しなければならない。
福島原発事故が収束せず、原発の過酷事故を防止する手立てもなく、地震や火山爆発その他天変地異によって引き起こされる事故も防げない、さらにテロ攻撃なども含む人為的な原因による事故の可能性も排除できない、さらに原子力規制委員会による審査も「安全を保障するものではない」といわざるを得ないなかでの核発電促進である。原発が稼働ゼロであった5年にわたって電力不足危機はなかった。核発電が単に安価で安定した電力を生産する目的で国策として推進されているわけではないことも、福島の事故を経験しては明らかではないのか。そうだとすると、しばしば権力当事者が、おそらくは意図的に、「潜在的核武装能力の保持」を表に出すことに神経質ではなくなってきたと見えることに注目し、警戒をしないわけにはいかない。これまでもしばしば浮上し、非核三原則のなし崩し形骸化の問題が取り上げられてきた。プルトニウムの大量保持に対する国際的な懸念も少なからずある
安倍総理大臣の所信表明演説を聞いたことから、まとまりのない筆者の思いを書き連ねてしまったが、それにしても同演説の「世界一への執念」、「世界の真ん中で輝く日本の未来」、世界の中でのリーダーシップ、世界一を目指す気概…などの言葉をちりばめての安倍自画自賛・讃歌に辟易したが、そのうえに「我が国の領土、領海、領空は断固として守り抜く、強い決意をもって守り抜くことをお誓いします。」と述べた上で、「現場では夜を徹して、今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっています。極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りをもって任務を全うする。その彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか。」と昂揚した口調で呼びかけ、これに自民党のほぼ全議員が起立して拍手するという場面を演出し、自らも拍手をした。異常な、光景であり、このような総理大臣と多くの国会議員の姿に唖然とし、そして激しい嫌悪感といささかのおそれの感情を持たないではいられなかった。この政府と国会がこれから何をするのか。この国はどうなっていくのか。
筆者の思いをまとまりなく書いてしまったが、前回に続いて『朝日歌壇2015』から原子力詠を抄出、記録させていただく。
広島の原爆で死んだアメリカ人十二人という戦争のむごさ
(5月4日 高野公彦選 福山市・武 暁)
除染から廃炉作業に身を投じやがて福島がふるさとになる
(5月11日 高野選 いわき市・池田 実)
防護服六千日々に使ひ棄て廃炉の道の真闇続けり
(5月11日 永田和宏選 福島県・斉藤あきら)
好きなだけ掘れとスコップわたさるる出荷停止の解けぬ竹の子
(5月11日 永田選 日立市・加藤 宙)
相馬からいわきは迂回しています復興リレーの地図の悲しみ
(5月18日 佐佐木幸綱選 福島市・武藤恒雄)
腰曲る妹が作りしキャベツなりフクシマの土の黒きを洗ふ
(5月18日 佐佐木・馬場あき子共選 三鷹市・増田テルヨ)
戦争で象が殺され原発で牛が殺され絵本になった
(5月18日 佐佐木選 四街道市・中村登紀子)
格納容器あまた抱えし列島にしずごころなく花散りにけり
(5月18日 高野選 福島市・美原凍子)
原爆を二度も投下し反省を一度だに聞きしことのなきかな
(6月1日 佐佐木選 前橋市・萩原葉月)
原発の司法判断可否割れて避難生活五年目に入る
(6月1日 高野選 国立市・半杭螢子)
ヒメジョオンセイヨウタンポポネコジャラシよく来てくれた除染の庭に
(6月8日 馬場選 福島市・米倉みなと)
ネジバナにホタルブクロにイカリソウ庭の除染土のみ込んでゆく
(6月8日 佐佐木選 さいたま市・箱石敏子)
オキナワやフクシマ眼中に無きごとく安保法制に見せる昂ぶり
(6月14日 佐佐木選 西海市・前田一揆)
カッコウの声ひびききてふくしまの空一枚が洗われてゆく
(6月14日 高野選 福島市・美原凍子)
原発をリードした中曽根康弘も集団的自衛権は認めざりしに
(6月22日 高野選 長野県・小林正人)
木枯しの音なり春の夜の風が吹いても被曝牛は生きてる
(6月22日 馬場選 川越市・小野長辰)
原発に真に壊されたるはなに山河か町か田畑か家か
(6月22日 佐佐木選 いわき市・馬目弘平)
沖縄・原発・改憲・拉致・票の格差我等愚鈍で狡猾で
(6月29日 佐佐木選 いわき市・馬目弘平)
国境まで風車群を眺めつつ行くオーストリアは原発持たぬ国なり
(7月6日 馬場・高野共選 常滑市・井上啓子)
福島のしだいに遠くなりゆくか多摩ナンバーを愛車につける
(7月6日 佐佐木選 国立市・半杭螢子)
五年目へ原子炉建屋に人寄れず高額ロボット溝に動けず
(7月12日 高野選 鹿嶋市・栗崎耕三)
ふる里は遠きにありて思えとや原発避難民十万余
(7月12日 馬場選 山梨県・遠藤民子)
甑島(こしきじま)に群れて咲きたるカノコユリ川内原発に物申すごと
(7月20日 高野選 福岡市・松本千恵乃)
フクシマとヒロシマナガサキオキナワと日本国中カタカナとなる
(7月20日 馬場選 さいたま市・田中ひさし)
迫り来る己が運命知らぬまま汚染の土地で牛は草食む
(7月27日 馬場選 横浜市・田口二千陸)
四年たちて自宅除染の知らせくるみなし仮設に六月の雨
(7月27日 佐佐木選 会津若松市・植田辰年)
蟇(ひきがえる)今年の半ばは過ぎにけりまたも延びたる廃炉工程
(7月27日 佐佐木選 福島市・青木崇郎)
一日に三百トンの汚染水溜まりゆく日々果てしもあらず
(7月27日 高野選 福島市・美原凍子)
激動の昭和は遠くまた近し時代(とき)超えて立て原爆ドーム
(8月3日 馬場選 名古屋市・諏訪兼位)
過ちは繰返しませぬという碑文安保法案成らば嘆かむ
(8月10日 佐佐木選 三原市・岡田独甫)
原発事故に抗( あらが)ふ如く荒れ果てし土地に凛然とわが家立ちをり
(8月10日 佐佐木選 いわき市・多田千恵)
事故後四年関西訛りの交じりたり原発集会に集いし避難者
(8月10日 佐佐木選 田村市・久住秀司)
原爆を二つもあびた国なのに「特殊な国」を何故放棄するの
(8月16日 佐佐木選 加古川市・長山理賀子)
まだ仮設ありて五度目の夏を耐え忍ぶ人らよミンミンが鳴く
(8月16日 永田選 福島市・美原凍子)
百二歳の自死の哀しき飯舘にあまた除染土黒き山なす
(8月24日 馬場選 横須賀市・梅田悦子)
ヒロシマとナガサキの後の三つ目の街 見たいのは誰決めるのは誰?
(8月24日 佐佐木選 横浜市・毛涯明子)
地球儀をまわせどこの国だけにある百日紅(さるすべり)の花咲く原爆忌
(8月24日 高野選 水戸市・中原千絵子)
この夏は節電の声小さくて原発再開静かに進む
(8月24日 高野選 福山市・武 暁)
〈HIROSHIMA〉を正当化せし記録番組(ドキュメンタリー)をアメリカ人と並び視ており
(8月31日 馬場選 アメリカ・郷 隼人)
あと出しのジャンケンみたい九日の式辞には盛る〈非核三原則〉
(8月31日 佐佐木選 さいたま市・紺野ちあき)
戦争を是とする人がのうのうと原爆忌に来てあいさつをする
(8月31日 佐佐木選 宇部市・崎田修平)
砂袋重しに置かれ縛られて除染土堆(たか)く裏庭にあり
(8月31日 佐佐木選 福島市・青木崇郎)
「ブレーキは未装備ですが走れます」再稼働とはそんなところか
(8月31日 高野選 仙台市・角田正雄)
窓外の簾きらめき陽を反(かえ)す原発ゼロが終りたる昼
(8月31日 高野選 市原市・小田優子)
ナガサキは最後か唯の二番目か戦争知らぬ我らの原点
(8月31日 永田選 福生市・斉藤千秋)
次回も『朝日歌壇2015』の原子力詠を読む。 (つづく)
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