2016年10月05日07時48分掲載
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コラム
親を出しぬく若者になろう 格差社会では子供自身の情報収集力が夢の実現の鍵を握る 村上良太
新聞に「おやじの背中」みたいなシリーズが組まれて、いかに父親が偉大だったか、いかに父親の背中を見て育ったか、いかに父親が自分を愛し、思ってくれたか。そんな涙と愛の美談がてんこ盛りになっています。
たしかにそんな父親もいるでしょう。しかし、親というものはいろんな親がいて、素晴らしい親もいればそうではない親もいるのです。親が子供のことを理解しているか、と言えばそんな親もいると思います。でも、そうでない親もいるのです。子供が何に悩んでいるか理解不能であるばかりか、そういう想像力もない親も存在するのです。
確かに親は子供を世話してくれるし、飢えないように、恥ずかしい思いをしないように、いろんな努力をしてくれるのが普通です。でも、だからと言って、子供のことを子供の立場になって、考えているとは限りません。子供が将来何になりたいと思っているのか、そういう子供の切実な思いなどは全く感知せず、一方的に人並みのサラリーマンになってくれたらいいとか、くいっぱぐれなければなんだっていいじゃないかと思っている親が実際は多いと思います。つまり、親たちは人並みの幸せを親自身が味わいたいから、子供を産み、育てている、ということでもあります。
親が子供のことを本当は理解していない。こういう家庭は結構あるんじゃないでしょうか。子供が大学に入って就職をしよう、と言う頃、親自身が会社の内部闘争や生き残りで必死になっていて、子供のことどころじゃない、そんな人が少なくありません。親には親の人生があり、子供にかまっている余裕はないのです。そういう家庭がたくさんあるのだから、子供もまたそのことを冷徹に見ることが必要です。親も人間であり、子供と大差はないのです。だから親に遠慮する必要はありません。
僕が言いたいことは親が子供のことをまったく理解していなかったとしても恨んではいけない、ということなのです。そうではなくて、親が子供のことが理解できないのは当たり前なのです。親もまた子供であり、多くの場合、大人だからと言ってさして知性とか成熟があるわけではないのです。
だから、子供は本当に自分がやりたいことがあれば、親を出し抜き、騙してでも自分がやりたい道に進むことが大切だと思います。親に遠慮してやりたいことを我慢する必要はないのです。たとえば、親が大学の文学部に入ることを子供に認めなかったとしても、「法学部を受験する」と嘘をついて文学部に願書を出して受験すればよいのです。もし親が嘘を察知したとしたら、「文学部でも法学部のコースに転部できるんだよ」などと出し抜けばよいのです。それでも親が信じなければ、誰か理解してくれる大人に大学教授のふりをしてもらって、協力してもらう手もあります。
もちろん、本当は親に理解してもらえれば一番よいのです。でも理解してくれなかったら、自分で頭を使って行動することです。家族に理解者がいなくてもどこかに協力してくれたり、どうすればよいか教えてくれたりする人が必ずいるものです。今のように社会に格差が生まれてくると、子供の将来に関して解決策を知っている人が家族の中にいないケースが少なくないと思えます。格差社会においては親の持つ情報の格差が〜金銭の格差と同様かむしろそれ以上に〜子供の未来に大きくものを言うのです。親は先に死んでしまうのだから、親を出し抜いてでもたくましく生きる力が必要です。
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