2016年10月12日15時35分掲載  無料記事
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TPP/脱グローバリゼーション

ハリケーンに襲われたハイチ  グローバリズムで主要穀物のコメの農業が打撃を受けていた  「マイアミライス」の大量流入とビル・クリントン元大統領の謝罪

  今月、ハリケーン「マシュー」に襲われ、救援活動が行われているハイチ。そのハイチでは1980年代から加速したグローバル化によって主要穀物のコメの農業が打撃を受けており、今日に至っても未だにその影響があると「ハイチ移民を支えるハイチ女性の会」事務局長のNINAJ RAOULさんが「デモクラシー・ナウ!」で話しています。自然災害の被害だけでなく、ハイチの貧困の足元には脆弱になった農業事情と食の構造がある、と告発しているのです。 
http://www.democracynow.org/2016/10/11/bill_clinton_s_trade_policies_destroyed 
  その概要はハイチはもともとコメが主要作物で地元の農家が生産していましたが、1980年代から1990年代にかけてアメリカ産のコメの輸入が激増していった実情があると言います。最大の要因は米国の圧力でコメの関税が劇的に下げられたことです。その仕掛け人こそビル・クリントン大統領(当時)であり、自分がかつて知事を務めていた地元アーカンソー州の余剰米を米国民の税金を投入して補助金をつけ、低価格でハイチに輸出したのだと言います。この説明にはダンピング(投げ売り)という激しい言葉が使われています。これについては2010年にクリントン大統領が当時の政策を振り返って謝罪している映像が「デモクラシー・ナウ!」で紹介されています。なぜコメを自国で作っているハイチにコメを輸出しようとしたのか、と言えば裏の理由は先述の通り自分の選挙基盤の農民票を得るためでしょうが、表向きの理由は「ハイチの貧困に手を差し伸べる」、というものだったようです。実際にはハイチのコメ農業を解体してしまったのですが。 
 
  これは基本的にはクリントン大統領が最終的に署名した北米自由貿易協定(NAFTA)と同じ構図です。北米自由貿易協定はアメリカ、カナダ、メキシコの3か国で貿易と投資の障壁を撤廃することを目標にしており、多数の商品で関税が撤廃されました。アメリカ国家の補助金に守られたアメリカ産の低価格のコメやトウモロコシが大量に輸出されたために隣国の穀物生産農家が打撃を受け、とくにメキシコでは生活の場を失った農民が都市部に移動してルンペン化したり、アメリカで移民労働者となることを強いられたりしました。このメキシコ移民に厳しい言葉を浴びせてきたのが今、話題を呼んでいるドナルド・トランプ米大統領候補です。移民の激増はもとをたどれば自由貿易協定に起因していると言って過言ではありません。1980年代半ばに米国内のヒスパニック系住民は不法移民を含めても500万人ほどと試算されていましたが、自由貿易協定が進んだ今日では10倍の5000万人を超えています。 
 
  ハイチの場合もこれと同じ構造のようです。米国は自由貿易が大切だ、と言っていますが、輸出する農作物には貧困国では不可能な大量の補助金が投じられており、その圧倒的な価格競争力で競争相手国の農産業に打撃を与えています。北米自由貿易協定(1992年署名、1994年発効)は共和党の父ブッシュ=ジョージ・H・W・ブッシュ政権下で交渉が始められましたが、最終的に発効まで進めたのは民主党のビル・クリントン大統領(1993年〜2001年)です。ヒラリー・クリントン氏も当時は自由貿易協定支持を打ち出していました。このことは2008年の米大統領選の際の民主党予備選の時にバラク・オバマ候補(当時)がヒラリー・クリントン候補(当時)を批判した時に述べられています。 
 
  ハイチのコメ事情について「デモクラシー・ナウ!」に出演したNINAJ RAOULさんの話をもう少し調べてみるために関連サイトを調べてみました。ワシントンDCにあるアメリカン大学のウェブサイトにハイチのコメの生産事情の研究資料があります。Josiane Georgesという人がまとめた論文です。 
http://www1.american.edu/TED/haitirice.htm 
  この資料によると、ハイチではアフリカ産のコメが200年前から生産されて主要穀物になっていました。しかし、グローバル化が進行して3%まで関税が下がり、これはカリブ周辺地域でも最低水準であると書かれています。そこに「マイアミライス」と呼ばれた米国産のコメが安価で大量に入ってきました。マイアミライスと呼ばれた理由はマイアミの港から輸出されていたからです。 
 
  アメリカから輸入されたコメ、つまり米国で生産されているコメはアジア由来の品種であり、ハイチで生産されているコメは西アフリカ原産のコメでした。コメの品種がまったく異なっていました。アメリカでアジア産のコメが生産された理由はコメの収穫が機械化しやすく、大量生産に適していたからだとされます。しかも1粒のカロリー量が多いのです。しかし、ハイチ産のコメは痩せた土地でも生産でき、食物繊維も豊富で住民にとっては生産が持続可能な貴重な食料品だったということになります。 
 
  そしてまた、かつてハイチではコメは貴重な食べ物であり、日曜日の家族一緒の食事で出てくるご馳走だったようです。週日は様々な穀物を周期的に食べ、コメばかり食べていませんでした。ところが米国産のコメが集中的に大量に安く入ってきたため、住民は毎日コメを食べるようになり、その結果摂取するカロリーが増え、糖尿病患者が増えてきたと言います。これは興味深いことに米国内でも食生活の異変から肥満が激増してきた事情と鏡のように符合しています。 
 
  1980年のハイチの人口は約570万人でしたが、2010年代には1000万人を超えています。その間にハイチの米事情はどうだったかと言えば、1985年におよそ16万トン国内生産されていたコメはグローバル化が進行した1995年には8万9000トンへと半減しています。 
https://www.google.co.jp/publicdata/explore?ds=d5bncppjof8f9_&met_y=sp_pop_totl&idim=country:HTI:JAM&hl=ja&dl=ja 
  一方、米国からのコメの輸出は1985年に約7300トンだったのが1995年には19万1千トンへと激増してハイチ国内産を圧倒しています。2000年には米国からの輸入は21万9000トンを越えています。また、ハイチ産のコメも多少生産を拡大して13万トンまで回復しています。この資料では2000年までしかフォローしていませんが、1980年代からの大まかなコメ事情を知る手掛かりになります。国内産、米国産の輸入ともに1985年より増えているのは先ほど書いた通り、ハイチの人口が1980年代からほぼ倍増したという人口事情があります。人口が倍増しながら、国内産は減少しており、圧倒的にシェアを握っているのが米国産なのです。 


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