2016年10月13日17時00分掲載  無料記事
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コラム

中身のない言葉が蔓延する今、再読したい戯曲はヴァーツラフ・ハヴェル作 「ガーデンパーティ」かと

 日本はソ連に近づいている、と言ってよいのではないでしょうか。経済は好調であるとか、男女の平等は進んでいるとか、自衛隊が活動する所が「非戦闘地域」とか、戦闘ではなく衝突だ、とか。どこにこれらの言葉の真実があるのか、もはや国民にはわからなくなりつつあります。そうした今、ふと思い出されるのが、ソ連に威圧されていた東欧の小国、チェコスロバキアの天才劇作家ヴァーツラフ・ハヴェル(Vaclav Havel )が書いた「ガーデンパーティ」(1963)という戯曲です。ソ連の主導する「社会主義」のもとで言葉がいかに空虚になり、コミュニケーションが非人間的なものになっているかを風刺した喜劇です。この作品でハヴェルは国際的な劇作家として知られることになりました。 
 
  大まかな筋書きはこうです。チェコスロバキアの若者の両親が息子の将来を案じて、影響力のある党の幹部の男に合うようにアポイントを取ってくれます。ところが若者が会いに行くとその人物はガーデンパーティに行っていると知らされ、若者もまたある庭で行われているパーティに参加してみます。若者の周りにいる人々の会話はどれもこれも中身のない、空虚なスローガンばかり。党の要職に就くにはそのように空虚な言葉遣いをものにできないといけないのです。若者はそうした言語に素早く適応し、出世の手がかりをつかんでいくというものです。 
 
  実はこの筋書きはウィキペディア(英語版)を見てまとめたもので、筆者が「ガーデンパーティ」を読んだのはかれこれ25年以上前のことです。細かい台詞は忘れたものの一読して天才の作品だと感銘を受けたのを覚えています。何といっても会話に出てくる言葉の無意味ぶりが素晴らしく可笑しい。そして今の日本の言語運用状況は、すでにこの危険水域に近づいているように感じられます。 
 
  思潮社から出ている「線路の上にいる猫 〜 現代チェコ戯曲集 〜」にハヴェルのこの戯曲も収録されていて、翻訳では「庭のパーティ」だったかも知れません。プラハの春がソ連の戦車で鎮圧された1969年に出版されています。この鎮圧で迫害を受け、のちにフランスに亡命したミラン・クンデラの戯曲も収録されています。 
 
 
■劇作家バツラフ・ハベル(Vaclav Havel)の死 
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「・・・ハベルは何よりもまず言葉の人だった。言葉を学んだのは企みを暴くためだった。全体主義のイデオロギーは言葉の異常な使い方に基づくものだった。そこでハベルは言葉を駆使する不条理劇をもって対抗した。それはカフカの遺産であり、ベケット、イヨネスコ、ストッパードの影響であった。言葉は意味を奪われ、機械化された官僚統制の中で強張っていた。ハベルはそうした非人間的な言葉の使用法を舞台に乗せて観客に示した。」(ルモンド 2012年12月20日付) 
 
■改憲後の新聞  「プラウダにイズベスチヤ(ニュース)なし、イズベスチヤにプラウダ(真実)なし」 
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■新聞の翻訳力 
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■言葉とその中身  「左翼リベラル」とは何なのか? 
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