2016年11月03日11時28分掲載
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文化
【核を詠う](特別篇2)】『原爆歌集ながさき』を読む(3)「被爆医師の証言記録読み返しまさに地獄絵図に顔そむけたく」 山崎芳彦
国連総会第一委員会(軍縮)は10月27日に、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について来年から交渉を開始するという決議が、123カ国の賛成によって採択されたが、日本政府は主な核保有国と共にこの決議に反対した。この「唯一の原爆被爆国・日本」の態度に対する怒りと失望は、広島・長崎の被爆者をはじめ、同決議を推進した内外のNGO関係者はもとより、国連加盟国の圧倒的多数を占める非核保有国の中で強まっている。これまで核兵器禁止条約についての国連決議に日本は「棄権」することを常としてきたが、今回はさまざまな理由をつけたとはいえ「反対」に踏み込んだことへの批判は、来年から始まる国連の会議が進むほどに強まることは明らかだ。ことあるごとに「『核廃絶』に向けて主導的な役割を果たす」と口にしてきた日本政府の「まやかし」はもはや通用しない。「対米追随」との声が多いが、核保有を企む安倍政府の本質であるというべきではないだろうか。米国のせいだけにしてはなるまい。
この安倍政権・日本政府の態度についての報道等に接しながら、筆者は今年の8月9日の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」のテレビ報道の中に見た安倍首相の能面のような、そしてしばしばその席にあることに耐えがたいのかと思わせる表情を思い起していた。特に、被爆者代表(井原東洋一氏)が「平和への誓い」を読み上げていた時の安倍首相の表情は、あくまでも筆者の感じ取りだが、明らかに「耐えている」かに見えた。
無表情にも表情はある。「長崎の原爆犠牲者慰霊式典にふさはしからぬよ安倍首相の顔は」(山崎芳彦)と、歌にもならぬメモを筆者は書いたのだった。
井原さんの「平和への誓い」には、原爆投下の悲惨についてふれながら、
「原子雲の下は、想像を絶する修羅場となり、日本人だけでなく、強制連行された中国人や動員された朝鮮人、戦時捕虜のアメリカ人や諸国の人々を含むおよそ7万4000人が無差別に殺され、虫や鳥や植物などすべての生き物も死滅しました。」
「私たち被爆者は71年もの間、毎日が苦悩の中にあり、2世、3世もその憂いを引き継いでいます。政府には『原爆症』や『被爆体験者』の救済について、司法判断に委ねず、政治による解決を望みます。」
「しかし、私たちは絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも、日中戦争やアジア太平洋戦争などで日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいません。/我が国は、過去を深く反省し、世界平和の規範たる『日本国憲法』を作りこれを守って来ました。今後さらに『非核三原則を法制化』し、近隣諸国との友好交流を発展させ、『北東アジアの非核兵器地帯』を創設することによりはじめて、平和への未来が開けるでしょう。」
「国会及び政府に対しては、日本国憲法に反する『安全保障関連法制』を廃止し、アメリカの『核の傘』に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけるなど、核兵器禁止のために名誉ある地位を確立される事を願っています。」
「私たち被爆者は『武力で平和は守れない』と確信し、核兵器の最後の一発が廃棄されるまで、核物質の生産、加工、実験、不測の事故、廃棄物処理などで生ずる全世界の核被害者や、広島、福島、沖縄の皆さんと強く連帯します。長崎で育つ若い人々とともに『人間による安全保障』の思想を継承し、「核も戦争もない平和な地球を子供たちへ!」という歴史的使命の達成に向かって、決してあきらめず前進することを誓います。」
などの誓い、決意が含まれていた。
長崎の原爆体験をその生命に刻みつけた、そして「被爆国日本」にとどまらない視野に立ち、被爆の歴史を過去・現在・未来にわたるものとして述べられた「平和への誓い」は、この国が進めてきた原子力政策、いまその新しい危険な段階に踏み込もうとしている安倍政治に対する厳しい指弾でもあると筆者は聞いていた。
原爆、原発に関して歴史的・思想的・科学的な研究を精力的に進め、論考を明らかにしている奥田博子氏の、
「 戦後、日本政府は、国際社会のなかで、『唯一の被爆国』であることを標榜することによって、『敗戦国』というよりむしろ『被爆国』のイメージを前面に打ち出してきた。しかし、アメリカが『さきの大戦』において広島と長崎に原爆を投下したことに対する日本政府の公式見解は、原爆被害を戦争災害の一部みなして、被爆者に犠牲や苦難を強いる『戦争受忍論』である。そのため、第一次大戦の終結以降に戦争犯罪が再定義されるなかで生まれてきた戦争違法化の流れに反して、核兵器の非人道性や非合法化を巡る法的議論には否定的でさえある。つまり日本政府は、戦後、原爆や被爆の記憶に、広島と長崎の被爆者に真正面から向き合ってこなかったのである。/そして、敗戦から六五年余を経て起きた東京電力福島第一原子力発電所事故をめぐっても、結局、日本政府の責任については何一つ明確にレズ、当然のことながら、戦後の原発推進政策と原発事故の因果関係についても、しっかりとした検証はなされていない。」(奥田博子著『被爆者はなぜ待てないか― 核/原子力の戦後史』 慶応大学出版 2015年6月刊)
などの指摘にも重ねながら、あらためて、安倍・日本政府が国連の法的な拘束力を持つ「核兵器禁止条約」を作り上げていく議論の開始に反対した、核保有国と同調する態度の、単なる「対米追随」論では済まされない本質を見なければならないと思う。(奥田博子氏の『原爆の記憶』、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』や、『核の戦後史』〈木村朗氏との共著〉などに学ばされることは多い。)
前回に続いて『原爆歌集ながさき』の作品を読んでいく。
◇爆風 久間政重
防火用水を掃除しをれば彦山の空のあたりに爆音聞ゆ
爆音消えて五分ほどたちし頃爆発音と共に火の柱立ちぬ
爆風と熱き光を我が受けて川の中に急ぎ飛び込む
我が家に帰り見れば戸は破れ畳ははがれねだは落ちをり
米粒の如くに割れし硝子の上すすに汚れし飯を食ふ
頭より流るる血潮を押へつつ人にすがりて帰る人人
何事かと聞けば浦上がと指さして言葉つづかず通り過ぎゆく
山里の友を訪ねて来て見れば町町焼けて重なる死体
家は焼け茶の間と思ふ場所にして友夫婦は焼けて横たはる
友夫婦が原爆に死にしこの丘に我れは彼らを思ひつつ生く
◇阿鼻叫喚 木下隆雄
ただれたる皮膚に発生(わき)たるうぢ虫が肉をも喰ふが痛しとうめく
爛れたる皮膚にうごめくうぢ虫をつまみて捨てる割箸もちて
寝返りをするたびごとに爛れたる背中の皮膚は床にへばりつく
ヂャガ芋の薄皮はぎしさまに似る焼死の幼児皮膚めくられて
臭気たつ仮救護所にくばられし握飯一つむさぼりて喰ふ
タイやなきリヤカー曳きて暗闇に重傷(いたで)の兄を乗せて避難す
水、水と末期の水を求む声かすれて消えぬ遂に死にしか
無慙にもへし曲げられし鉄骨の下敷となれる兄は応えず
脳天が二つに割れてのたうてる血みどろの学友(とも)になすすべはなく
赫く燃ゆ夕空かすめ乱れ舞ふ死臭求めて群れ鳴く鴉
◇使徒の石像 黒岩二郎
この丘をめぐりて信者の家群は焼原の中に小さくもあるか
この丘にそよぐ百日紅の低木あり一度焔に焼けし後の芽
福済寺焼跡に鳴く蝉の声波動をなして山にこだます
焼けはてし福済禅寺の跡どころ象を彫りたる石残りけり
原爆の焰あびたる石の獅子ぽつねんとこの庭先に立つ
弟の骨を拾ひし丘の上枯草に交りて萌ゆる豆あり
この丘の追憶として草むらに横たはりゐる使徒の石像
火を浴びし石の像にもまつはりて蔦が栄ゆる丘のみ堂は
青々と丘にひるがへる藷畑それに接して低き墓むら
秋の日は寂かになりて庭隅に向日葵の種子日毎こぼるる
◇原爆忌 小林愛児
一片の肉塊さへも残さずて報国隊の少女散けり
華麗なる花輪はむなし被爆せる少女等よ声なく眠る丘
教え子の幾百をうばひしこの丘にひまはり咲きて原爆忌むかふ
雨しきる原子が原に腕章の短かき命よ少女(おとめ)を偲ぶ
原爆を何のためにつくりしかとケロイドの乙女泣きて訴ふ
ケロイドの傷ややに癒えてよりほがらかに語る春粧の少女
ケロイドの頬を片手にかくしつゝ縁談なきを教え子はかこつ
紫とも青ともつかぬ妖しきひかり鍬とる人の背中焦がせり
安住の地とも思へて姉妹肩よせあひし山の防空壕
茶褐色に引きさかれし樹木がならぶまなことづれば稲佐の山に
◇余白のさむさ 小林 正
ひとり住む余白のさむさ夜もふかむかくしきたケロイドの傷もみほぐす
マネキンに屈した履かす人もあり遠く被爆の空をおもわす
釣りあげし魚ばたぐるい死ぬ岸に原爆に死にし子の赤い靴流る
手鏡のひびわれに想うかなしみ曲がった塔とちぎれ雲
拳にてたたきつけたる水の面生きて豪華な空なだれこむ
"春"子等のままごとに美食ありてほほえましきか原爆の傷痕
人が死ぬ悲しみ雨は悲痛な回想葉裏に虫が身をひそむ
壁穴の土のこぼれが時に止む原爆死の父母の写真一枚もなし
暮らしのごと塵流れ着く川下にたたかいの日の破船も浮く
鉄色小便たれて廃墟の丘に立つぼくの日本のすり減る自負
◇原爆悲歌 坂本君枝
被爆医師の証言記録読み返しまさに地獄図に顔そむけたく
日蝕かと血の色の空仰ぎ見る原爆と知らざれば遠く望みき (有明町大三東にて)
声揚げて落下傘よと眺めし人一瞬の間に黒焦となる
上半身原爆の火傷覆ひなく吾が店に立つ薬求めて
目の見えぬ母と四人の子と夫を友残し逝く原爆症にて
被爆の妻四名の子らを残し逝くに声荒らげて泣くのみの夫
病院を殆んど吾が家の如く住み原爆患者つひに老いゆく
ケロイドに傷心抱く乙女の前ミス長崎のパレード通る
原爆の傷に食ひ込む蛆に泣く薄幸の友ついに世を去る
戦争はまたとすまじく地底より霊叫ぶがに平和像建つ
◇熱き溜池 笹山筆野
防空必携の教へし姿勢にて死にいたる子の背に暑し八月の空は
たたかひに喪ひしものの尊くてケロイドの貌に乙女老いゆく
今日の平和を信じてゐただろうか大橋橋下の木炭状のむくろは
拾はむと掬えば崩るる支店長の骨原発中心地漠として音なく
幼児三人爆風の方向にむきかがまりて熱き溜池に小さく浮けり
黄カンナは被爆無縁仏の墓にふれ咲きゐて今年も原爆忌近く
爆死者の埋まりし川も今はすがし桜落葉の浮きて漂ふ
放射能浴びし石刻の聖者像春陽をうけて暗き表情
原爆に崩れしドームの赤き煉瓦に春かげろふの淡々と射す
蛇紋石の原爆投下碑をなでて居り砂状のむくろ拾ひしところ
◇茫漠の瓦礫 菅 孝
千人の児童いち度に死にしといふ原子弾落ちて校舎引き裂ける
片づけてなほ散らばれる石瓦跨ぎて吾ら天主堂に来ぬ
茫漠の瓦礫の中の天主堂に一夜明かしぬ神をあげつらひ
物の象(かたち)灼きつきし門をくぐりしが松山公園のそれかかの時の門
キリストを信じ得ぬまま別れしがモンフェツト神父も年老いにけむ
何といふ小学校か忘れゐて無残なる形いまも眼にあり
◇原子核の行方 下田晃業
核所有一国一国と増えつつあり二十余年反対の叫びをよそに
核兵器持たざる国の遠吠えと聞きすましゐむ保有国増ゆ
二大強国に被爆あらしめよ核兵器廃止の実はそれからのこと
目を蔽い耳ふたがむ核被爆の残虐のさま計算の上に
オレも持ってるオレもやるぞといふ威嚇核武装の競ひ廃(よ)す筈なけむ
原子雲グロテスクながら痺れさす美の極致とや強国群
日本国民よ泣き喚くをやめ核武装競争に血道挙げては如何
核武装やるだけやらせ己が身をわが手に灼く愚誰がれるのか
保有国げたげた嗤ひゐむ尺国の懼れをののく反対の声に
威嚇のための愚(をぞ)もういい加減に廃し平和利用に切り換へよ原子核
◇守護刀 鈴木忠次
瓦礫浅きところが蹈まれ道をなせり行きあふ人のただ黙り過ぐ
幾万の生命亡びし焼原や耳につたひくる蝉の声もなし
炎天に瓦礫掘り起こす男居り赭くさびたる塩顕れて見ゆ
目にはただ瓦礫の起伏蹈みゆけばミシン・蓄音機などの燃えながら
姉住みし家の甍の砕けたる区域を見やりしばし息をのむ
一瞬にして甍は土に伏しにけむ如何なりしよ姉落命のさま
わが姉の祀れりし刀拾ひあぐ焼けただれたるあはれ守護刀
混凝土壕無残に崩えて見おぼえの橙の木が焦げ細りたつ
腹這ひてわが入り来たる壕の中餘炎のごときものに動悸す
この壕に避くるいとま無かりけめ日は直射して秋の炎天
◇ケロイドの顔 瀬戸口千枝
浦上川の水堰き止めし幾百の死体瞻りつつ「生ける」は歩む
手綱構へし馬車挽きの死体に寄り添ふごと息絶えし馬のぶどう色の瞳の
幾日も原爆に陽は濁りつつ山陰に紅し夾竹桃の花
てのひらに心を置きてむしるごと首なき聖像・原爆碑傾(かし)ぐ
をとめみな美しくなりぬケロイドの顔は潜みてつつましき母
烈日を浴ぶる死体を冷やかに見捨つるがに行きき命惜みて
原爆に家族失ひ十年経て友が得しものエリトマトーデスの醜き赤斑
紅いろに彩(あや)なす花火打ちあげて死者を悼むと安けき人ら
バス待つ人も蔭もとめ来つ原爆に裂けしあふちの片茂る幹
原爆症術なしと自ら縊れたる友の七回忌迎へんと居り
◇万燈流し 高尾綾子
原子野と呼ばれて十年経たるけふ若葉もえたつ平和公園
陽の落ちし浦上川を沿い行くにくっきりし燈の十字架の見ゆ
公園に坐す平和像おほらかに天を指し片手を平らにおける
畏れつつ水に移せし燈籠のたゆたひにつつ流れゆきけり
夏川に流す燈籠ひそやかに連らなりてゆく今日原爆忌
原爆に逝きたる御霊鎮めむと長らへし吾ら万燈流す
原爆に逝き給ひたる舅の墓やうやくなりて秋彼岸過ぐ
水欲りつつ逝き給ひたる人偲び墓石洗へば涙あふれぬ
原子野と呼ばれきし町ひしひしと甍重なる夕かたまけて
二十年経て静かなる浦上の川広らかに水を湛ふる
次回も『原爆歌集ながさき』の短歌作品を読み継ぐ。 (つづく)
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