2016年12月09日02時11分掲載
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イタロ・カルヴィーノ作 「まっぷたつの子爵」 On Italo Calvino's " Il Visconte Dimezzato" ( The Cloven Viscount )
イタリアの作家イタロ・カルヴィーノと言えば空想力のたくましい寓話作家としてのイメージが強い。そればかりではないのだけれど、やはりカルヴィーノの寓話は面白いな、と今更ながら感じさせられたのが晶文社から出された「まっぷたつの子爵」という小説だ。
イタリアの寒村からトルコとの戦場に馳せ参じた若い跡継ぎの領主が重傷を負う。かろうじて一命をとりとめて郷里の村に帰ってきたのは半身だった。すっぽり頭から足先まで縦に真っ二つになっているのだ。この半身になった子爵は戦争で心がねじれてしまったせいか、周りの生き物も人間も植物も片腕で真っ二つに剣で切り裂くようになり、領民たちは恐れおののく。
ところがしばらくのちに、今度は戦場で失ったと思っていたもう半身が帰って来る。それでわかって来るのだが、こっちは善人だったのだ。人間の中にある善と悪が真っ二つに分かれることで人間はどう変わるのか。
カルヴィーノの面白さは善人だからオッケーではないというところにある。最初はほっとして歓迎していた領民たちも、次第に道徳的すぎるこの半身がうっとおしくなってくる。人間は完全に正しい人にはとうていなれないからだ。かくして結末はもう言うまでもないが、そこに美女や思春期の若者や機械職人や乳母や外国人の医師らが絡んできて、興味深いおとぎ話になっている。墓場の風景とか、馬に乗って殺しにやってくる領主とか、全体に寒々しい寒村の描写があり、その不気味さに吸血鬼映画のような味わいがある。カルヴィーノのストーリーテリングの巧みさはこうした視覚に強く訴える描写にもあるが、同時にまた半身が時間差で戦場から帰ってくることに見られるように、1つ1つ計算に基づいて時間差で順を追って筋を展開していくところにもある。
カルヴィーノには「見えない都市」という寓話があり、これはマルコ・ポーロが元の王様であるフビライ・ハンを相手に様々な不思議な都市について語る短編集みたいな体裁になっている。空想で生まれた様々な都市がそこでは語られ、これもまた想像力を刺激される作品だが、欧州ではこれにインスパイアされた漫画(BD)も描かれている。
こうした寓話はいずれも現代から少し距離を置くことを可能にしてくれる。言葉を1つ1つレンガのように積み上げれば新しい世界を作ることができるのだ。そのことは、現実にべったりと引きずり回される日々を送っている現代人にとって、自由を束の間でも垣間見せてくれる芸術であるように思う。勝ち組も負け組もシステムの奴隷になっていることには変わりがない。だが、世界の秩序を作り上げているのは人間であり、その人間が想像力を駆使して異なる秩序を作り上げることもできるのだ。
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