2016年12月21日23時13分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(特別篇2)『原爆歌集ながさき』を読む(6)「娘を灼きし核を積みゐるかも知れず原潜せめて八月よ去れ」 山崎芳彦

 前回から、筆者の都合によって長く間を空けてしまったことをお詫びしなければならないが、『原爆歌集ながさき』の作品を読みながら、いま安倍政府が高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉方針を打ち出したものの、しかし核燃料サイクル政策の堅持とその中核となるプルトニウムを繰り返し使える高速炉の開発方針を打ち出し、長崎に投下された原爆に用いられたプルトニウムを使っての核発電を推進することを決め、すでに「高速炉開発会議」の1回目の会合を開いたことを許し難いと思っている。プルトニウムを利用した核エネルギーに依拠する体制の構築を目指す国策による「プルトニウム社会」化に、人間の未来はないと、長崎の原爆がもたらした悲惨を体験した人々の短歌作品を読みながら思わざるを得ない。「高速炉開発会議」を構成するのは経済産業大臣、文部科学大臣、日本原子力研究開発機構理事長、電気事業連合会会長、三菱重工社長(平成28年10月7日時点)である。もちろん、核発電推進・強化を目指す安倍政権の政策の柱の一つである。 
 
 「1945年8月9日。長崎。プルトニウムを用いた原子爆弾『ファット・マン』が長崎を襲い、一瞬にして八万余の命を奪い、長崎に地獄絵図を作り出した日である。それは同時に、その三日前に広島に投下されたウラン爆弾とともに、人類が『核』というパンドラの筐を開けたことを意味していた。ちょうど三年前に、顕微鏡の下にささやかに存在していたプルトニウムは、すでに巨大な鬼っ子としての姿を露わにしたのである。」(高木仁三郎著『プルトニウムの恐怖』、岩波新書) 
 
 プルトニウムがアメリカのマンハッタン計画によって原子爆弾として仕上げられ、そのすさまじい破壊力と猛毒の放射能を持つ原爆が長崎に投下された結果何が起こったのか、辛うじて生き延びた人びとが記録、証言、短歌作品、詩、小説、絵画などで様々に伝え遺し、今も伝えていて、この連載の中では短歌作品を読み、記録しているのだが、ここでアメリカの女性ジャーナリストのアイリーン・ウェルサムの著書『プルトニウムファイル』(アイリーン・ウェルサム著、渡部正訳 翔泳社刊、2013年1月)に記されているプルトニウム原爆が投下された長崎の被爆後ほぼ1カ月半後の状況(米国原子力委員会に新設された生物学医学部門を率いるハーヴァードの医師シールズ・ウォーレンをふくむ調査団が長崎に入り調査を行った時のシールズ・ウォーレンの手帳メモからの紹介)を要約、引用しておきたい。なお、同書にはマンハッタン計画(アメリカの原爆製造計画)から同計画幹部のスタフォード・ウォーレン(放射線学者)ら調査団が広島に9月8日に入って調査したことについても記しているが、ここではシールズ・ウォーレンの長崎に関する内容のみを記すことにした。 
 
 「シールズ・ウォーレンは、長崎の町を目にして肝をつぶす。一行は、段々畑と農村を数キロ走ってから、軍需工場に姿を変えたトンネルを抜けた。『トンネルを境に、光景は平和な田園から完璧な廃墟に一変した。…一八世紀の世界から二〇世紀の世界にワープした心地』/ウォーレンはあちこち病院をめぐり、日本の医師がつくった標本と解剖記録を調べた。焼け野原となった街をぶらつき、手帳に印象をメモした。」、「彼の手帳メモから一部を紹介しよう。爆心地の三キロ圏内は全面破壊だった。『鼠も蠅も蚊も全滅。死体にはウジも湧いていない』。『雑草がちょろちょろ生えかけていた』。『馬も犬も死に、しっかりと覆われた場所の動物だけ生き延びた。モグラさえ死んだらしい』。『ミミズの類も虫けらもまったく見かけない。』 
 治療用の資材も少なく、障害の原因もわからないため、まともな手当はほとんどできない。『輸血は不可能、血漿(けっしょう)がない。自由になるのは食塩水とビタミンABCの注射液だけ』。『皮膚ははがれ落ち、爆風で内臓が飛び出ていた』。『一日か二日、記憶を失った人が多い』。『爆風で鼓膜が破裂』。『また出血』。『消化管系に重度の損傷』。『着物も焼けそうなくらい暑いと叫ぶ人がいる半面、それほど暑さを訴えない人もいる』。『みたこともないほど眩しい閃光だったらしい』。『目の出血で失明が三名。一メートル先が見えない人も』…。以下の数字が、当時の混乱ぶりをよく語る…『長崎の死者十七万五千』。『即死四万』。『死者の推定三万以上』。 
 皮膚に大きな紫斑ができた人、鼻や鼓膜、子宮、尿道から大出血する人もいた。歯ぐき、喉、扁桃にたちまち潰瘍ができた人、扁桃と喉の組織が壊疽状態になって息を引きとる人もいた。危篤を脱した人もたいてい、免疫系が弱ったせいで肺炎などの感染症にかかった。 
 解剖で摘出した内臓も目を覆うばかりだった。放射線被曝で肺に水がたまり、腎臓・肝臓・心臓が出血し、骨髄は空っぽ、脳が充血し、細胞が変形して、細胞核が肥大していた。損傷は『あまりにも多岐にわたって理解不能』と四六年九月の論文に書く。」 
 「損傷のほとんどは、電離放射線、ガンマ線、中性子などが原因だろう。しかし放射能の効果が出るには数時間や数日、あるいは数週間かかる。それまでに閃光や火災、家屋倒壊で多くの死者が出たから、放射線そのものの被害が見えなくなった可能性が高い」。 
 
 苦しく長い引用になったが、米国から派遣された調査団の長崎被爆の実態把握の一端であり、シールズ・ウォーレンのメモは、例えば広島を調査したマンハッタン計画幹部のスタフォード・ウォーレンが意図的に放射能被害を極めて少なく見積もっているのと比べ、「被爆死者のほとんどは放射線障害によるものである。」とするなど、具体的な調査に基づくものとみられている。 
 マンハッタン計画の首脳は連邦議会における報告、証言において、おびただしい日本人が原子爆弾の放射能に倒れた事実を知りながら、放射線による被害の深刻さを隠し、過小評価することに決めていた。放射能の残留はないと断言した。アメリカの調査団が収集した調査結果のデータは長い間公開されず、データの改ざん、歪曲が疑われる。 
 
 『プルトニウムファイル』は「いま明かされる放射能人体実験の全貌」と題されているが、新聞記者であった著者がマンハッタン計画の下で開始された国家ぐるみの、プルトニウムの人体への注射などについての粘り強く克明な取材によって把握した事実を明らかにしながら、それを突破口にしてさまざまな人体実験の機密書類を政府に公開させたことをはじめ、核をめぐる闇の中に押し込められていた事実、歴史を明るみに晒した貴重な一巻であると思う。自然界には存在しない、科学者が実験によって発見し人工的に作り出した元素であるプルトニウムの核分裂によるとてつもない破壊力と恐るべき毒性を持つ放射能を戦争の武器、大量殺戮と破壊の兵器として使うという、科学技術の利用者の反人間性、非倫理性が世界を支配する力の源になる、なろうとしていることを承認することへの厳しい抗議の書でもあると思いながら読んだ。 
 
 アイリーン・ウェルサムは、同書のエピローグで、アメリカ合衆国政府が国民を使って人体実験をしていたことを、エネルギー省の長官が認めたことに関して次のように書いている。 
 「この件はさまざまなことを教えてくれた。政府と国民の信頼関係、国益と個人の関係、大量殺りく兵器の開発に付きまとう倫理のジレンマなど、社会そのものにかかわる大きな問題もそれだ。/だがもっと大事なことがある。核実験や放射能漏れ、原発事故のたびに政府が出す「無害・安全」宣言はあやしい…と国民がうすうす感じていた、その予感が裏書されたところだ。」 
 日本の核発電の歴史と現在・未来に向き合わなければならない私たちに示唆することは大きい。アリーン・ウェルサムはもっと多くの貴重なことを述べているのだが、その全容をここに記すことは不可能である。 
 
 『プルトニウムファイル』から多くの引用をしたが、いま、安倍政権と原子力推進勢力が、核発電について核燃料サイクル政策の維持推進・高速炉開発(実証炉の建設)を進めようとしていて、プルトニウムを使うプル・サーマル発電原発の拡大を推進しようとしているなかで、プルトニウムの持つ闇の歴史について改めて考えたい。福島原発事故から6年目に入ろうとしている中で、人間不在の「福島復興」を謳いあげ、被害者を苦しめる施策を進め、核発電に関わる深刻で解決の見通しがつかない諸問題をそのままに、脱原発を求める多くの人々の意思を踏みにじる核発電推進の道は、世界的に高まっている「核兵器禁止条約」の実現を目指すことに反対している安倍政治の最悪の道である。 
 
 『原爆歌集ながさき』の作品を読み続けたい。 
 
 ◇原爆に想へば 宮村有人 
夕茜秋鳴く鴉の今日も飛ぶ原爆丘の焼野が原に 
夜な夜なに青き焔はゆらめけり原爆死骸広場を埋めて 
炎天の埃にまみれ素肌焼く顔爛れたり誰が誰ぞや 
嗚咽して草生のなかを墓詣で老母の独り夕べ祈れり 
ひと眼に今ぞ痛かり博物館の黒焦げシャツの一群 
炎天にトタン叩きて街辻にバラック急造の市役所員ら 
不具になる友の松葉杖眼につきて原爆丘の夕路に歩く 
死を告ぐる被爆の友のかそか息我が手を握る原爆病床に 
平和の像明日あるために日本の象徴にてあれと黙禱捧ぐ 
長崎の曼珠沙華年毎に多し浦上川辺呪ひをもちて 
 
 ◇まんじゆしやげ 故 森内まさ 
爆心地に涙垂るごとし飛行機より香と花束降らしてゆけり 
朝風の寂しと思ふ八月九日草生はすでに秋の匂ひ来 
弔楽に涙湧くとき魂のみな起きたたむけはひしてゐき 
爆心地にちかく埃をあびて咲く地蔵の前の赤き曼珠沙華 
国宝の唐寺の偉容も夢にして瓦礫広々と世に遠きまま 
炎天に濃き影落す緋カンナのひそやかにして近づきがたし 
 
 ◇十一時二分 森下 社 
八月十七日担架で過ぐる浦上川川辺に死体の重なれる見ゆ 
血に濡れしシャツ腹に当てひび入れる壁に凭れし工員ひとり 
はみ出せる腸を両手に押へつつ瞬時を走りて斃れし工員 
左臑骨折して吾は此処にあり隣室は焔をふき初めてをり 
空襲警報鳴りつぐ今を臥す吾に付添ふ父の避難し給はぬ 
全身のだるさを訴へゐたる少女もま裸のままに死にてゆきたり 
金綱で吾を縛るなとわめきゐる隣床の農夫も狂ひたるらし 
黙禱のサイレン鳴りつぐ十一時二分今なりき吾は血まみれてありし 
燃え盛る夜の炎に照り出され敵機のかたち青白く過ぐ 
一秒の差にて生命を保ちつつわれが迎へし八月九日 
 
 ◇業火 山口美樹枝 
潰滅の熱線注ぎ地の息吹燃え尽すべく生くるをゆるさぬ 
剥奪の閃光の下数を知らず焼けただれゆく地底のうめき 
業火とも狂う紅蓮の炎が昇る空に星一つ無気味に光る 
戦は終ると聞きしその夕寂けさの中にものの脈搏つ 
壁飛びて屋根突抜けし小屋の片隅に子らを抱きて黒き雨避く 
鉄骨の捩れ錆び付く空洞に灰色の陽は永劫を告ぐ 
被爆療養二十年悲しき生を保ち来て或日ひっそりとその命逝く 
曼珠沙華ひそかに捧ぐ辻の碑の真上を碧き空は展くる 
栄光の灯は巷に丘に耀へど過まりし惨は神話にあらぬ 
衛星船めぐる上空ぞ陰のなき理性を欲りて深き空を仰ぐ 
 
 ◇織女星 山崎季夫 
妹を庇ふかたちに倒れゐる娘の手に光る割れしかわらけ 
吾れをを呼びいゐる声甘き記憶にて今も幼なし灼かれたる娘ら 
必死にて這ひて来にけむ川原に倒れし屍(かばね)みな水に向く 
人類の灰さへ残さぬ戦ひの練られつつありてこの娘らの墓 
懸命に鶴折りつぎし娘を逝かせ七月愛に燃えゐる織女星(ベーガ) 
徒らになすデモならず青き鳥呼びつつ懸命に吾が歌ふ声 
デモ隊のシュプレヒコールを聞きてをり何と悲しき日本の声 
デモ果てて夜台に一杯のビール飲み個性にもどりし生命たしかむ 
娘を灼きし核を積みゐるかも知れず原潜せめて八月よ去れ 
原爆に娘は灼かれにき原潜に裡は燃やされて父われの夏 
 
 ◇万灯流し 山下多鶴子 
爆音を夜半に聞きて戦慄す原爆地ここの丘に寝おれば 
原爆忌近づく日々に緋のカンナ色褪すまでに強き日射しす 
原爆の丘に住みおり炎昼に爆音聞こゆ記念日は明日 
サイレン鳴れば捧ぐ黙祷目裏に爆音聞こえキノコ雲顕つ 
原爆を知らぬ子供ら声あげて万灯流しの灯籠持ちゆく 
万灯の浦上川を流れゆき二十年目の今宵静けし 
万灯の流るる川辺原爆に逝きし娘に会うと佇つなり友は 
遺稿になるやも知れぬと思えば歌出来るなると被爆者の友の厳(こご)しき 
罹災者のねむる広場に目白鳴かす競技がありていまの平和ぞ 
原爆の丘に住みおりクリスマスイブを聖堂の鐘の音清し 
 
 ◇原爆忌 山下寿美 
原爆忌めぐり来れり幾万の亡骸越えし記憶は暗し 
十八年経てなほ胸痛しおのが皮膚襤褸の如き幾人の声 
かすかにも呼ばふ声ありふりかへり屍のなかに動く眼を見き 
水・水とかすかに訴ふる声聞けどせむ術あらめや炎天のなか 
学生服焼けただれしが歩みきてはたと倒れぬ息絶えにけり 
膨脹せし馬の爆死体の傍に探し萎えたる足休め居り 
眼おさへ橋に凭るままの爆死体少年なれば声放ち泣く 
壕内に母子の五屍体並び居り末子は乳房にすがりたるまま 
壕に籠る屍臭堪へがたく走り出で敵機の旋廻の下に佇ちゐつ 
全身の筋肉こわばりて痛みつつ今年も暑き原爆忌迎ふ 
 
 ◇友の変貌 山下治子 
原爆症認定患者の自覚に吾れしばし遠ざかりて夏に真向う 
鉛のごとときに動かぬ躰となれば家事沈滞を焦燥としぬ 
子らに尽すことおろそかになりゆきて梅雨期吾れの空白の日々 
原爆に会いし友らがガンとなりて死にゆきし思う被爆者吾も 
モンペ穿き国民服着て通いたる戦時下吾れの学生生活 
原子雲の下をさまよい逃れ来し美しかりき友の変貌 
仮葬場の遺体のそばに臨終なる友の一人と逢いてわかれぬ 
片手無き手にロザリオをまさぐりつケロイドの友壕に逝きしに 
絶えだえに息する友の胸にわれ小さきクルスわかけてやりたり 
丘の上の十字架墓碑にしるされし八月八日の文字も古めく 
 
 ◇焼原 山田豊子 
現とは思わざりけり焼土に埋れし夫が骨を拾ひつつ 
夫が命果てしたまゆら我は我が命守るに一途なりしか 
君在さぬ世に生き延びて我が命ひたに守りし彼の刻を悔ゆ 
狂わざる我が感情を疑いつつ立ちつくしたり焼原が中に 
今は亡き夫が結びし疎開荷の行李のひもの固き結び目 
夫と我が住まいし家の焼跡に雑草は伸びちちろ虫鳴く 
入ることもなかりし原爆記念館朝より巡る児童等を率て 
原爆の死者幾万とよみさしてこみ上げくれば歩をうつす 
記念館を巡りて朝を疲れおりしめりし芝に腰をおろせり 
夫の屍をさがしうろつきし道なりき平和通りと標識立てり 
 
 ◇世紀の炎 吉川吉雄 
投下した世紀の炎の燃やしたる思い出の雲浮く八月の空 
皮膚剝れ棒にすがりてトボトボと家路を辿れる被爆者に会ふ 
友探しさまよいあぐみ疲れはつ廃墟の地に放射能うく 
被爆后の二次放射うけ二十余年皮膚炎ながく歴としてのこる 
歯ぐきより血のにぢみいで痛むとき原爆症かと怖れおののく 
疲れはて望も絶えてさまよえる焼けあとに佇つ被爆者の群 
校庭につぎつぎに焼く絶えまなく風が運びくる死屍の臭い (伊良林、上長崎小学校々庭) 
疎開材の上に焼かるるむくろにて奉仕者のみに見守られゐつ 
大陸の風が運びくる放射能被爆せるわれに不安わきいづ 
拙きもまこと伝へる歌詠みて原爆禁止叫びつづけむ 
 
 次回も『原爆歌集ながさき』を読むが、それが最後になる。  (つづく) 


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