2017年01月05日21時14分掲載
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文化
シャルリエブド襲撃事件から2年 風刺画に詳しいイタリア人の映画監督が事務所を訪ねてインタビュー フランチェスコ・マッツァ( Francesco Mazza , regista, Italian film director )
世界を震撼させたパリの風刺メディア、シャルリエブドがイスラム聖戦主義者の2人組に襲撃されてから今年の1月7日でまる2年になります。この事件は言論の自由のあり方について様々な議論を巻き起こすことになりました。「他者」であるイスラム教の預言者を風刺画にすることは許されない、という人もいれば、その一方で「私はシャルリ」(Je suis Charlie) という札を掲げた支援の輪が起き、テロリストへの抗議の波が起きたことも記憶に新しいことです。
イタリア人の映画監督、フランチェスコ・マッツァ氏は風刺番組に長年携わった経験から、風刺文化を理解することの大切さを訴えてきました。風刺画はジャーナリズムの機能を持っており、その読み方を正しく理解する必要があると言うのです。昨年8月にはアマトリーチェで起きた地震をモチーフにした風刺画を掲載して批判を浴びたシャルリエブドを擁護する文章「母に捧げる風刺画の読み方」を発表しフランスでも翻訳紹介されました(日本でも在仏ブロガーのRyoka氏が日刊ベリタに翻訳)。そんな縁もあり、今回、マッツア氏は襲撃から2周年を前に、シャルリエブドの新しい事務所をパリに訪ねて、人事担当者と風刺画家の一人にインタビューをしました。
マッツァ氏はパリのシャルリエブドの新しい事務所を訪ねますが、場所は秘密で洩らしたら訴えられて刑務所に入れられるのだと言います。そしてインターフォンで用件を伝えて中に入るとセキュリティチェックがあり、護衛の男たちに案内されて事務所の部屋に向かいます。以下はマッツァ氏による2人へのインタビュー。
1)人事担当者のMarika Bret 氏へのインタビュー
Q Immagino non riceviate molte visite sul lavoro...
Nessuno sa dove ci troviamo. Sappiamo pero che prima o poi il segreto sara rivelato e dovremo trasferirci ancora, come abbiamo gia fatto.
Q 事務所への人の出入りはあまり多くないように想像しますが?
A 私たちのほかにはこの場所は誰も知らないのです。でも、遅かれ早かれいつかは秘密が漏れてまた移転しなくてはならなくなるでしょう。すでにこれまでにも移転したことがあるのですよ。
Q Ma come si fa a essere divertenti in un ambiente del genere?
Devi sforzarti di dimenticare dove ti trovi e concentrarti solo sul tuo lavoro. L’emergenza non e passata, ci devi convivere.
Q でも、このような状況で仕事が楽しめるのでしょうか?
A あなたはこの場所のことは忘れて仕事にだけ専念しなくてはならないのです。非常事態はまだ終わっていませんし、そのもとで私たちは生き延びなくてはならないのです。
Q Come e cambiata la sua vita dopo l’attacco?
Ho dovuto abituarmi a una routine in cui niente puo accadere in modo spontaneo. Tutto deve essere pianificato in anticipo. Se adesso - per dire - volessi correre a comprarmi una baguette, non potrei (buona parte dei collaboratori di Charlie ha la scorta, ndr).
Q シャルリヘブド襲撃以後、あなたの生活はどのくらい変わったんでしょうか?
A かなり異なる生活様式になれなくてはなりませんでした。どんなことでも自然なやり方で実現することはないのです。ここではすべて予め準備が必要です。もし私がバゲットを買いに行きたいと今、ふと思ったとしても、できないのです(1人の護衛をシャルリエブドのスタッフみんなで割り当てないといけないから)。
Q Chi e il responsabile per i fatti del 7 gennaio 2015?
La stampa internazionale, i politici francesi, gli intellettuali di sinistra. Charlie Hebdo e stato lasciato solo, nonostante pochi anni prima la redazione fosse stata incendiata. Ma allora i politici dissero che ce l’eravamo andata a cercare e che in fondo eravamo "solo" dei vignettisti. Cosi, e passato il messaggio che noi fossimo davvero responsabili di qualcosa. Il 7 gennaio fu un regolamento di conti che tutti noi sapevano sarebbe arrivato.
Q 2015年1月7日の襲撃事件の責任は誰にあるのでしょうか?
A 世界の国際的な報道機関、フランス警察、そして左翼の知識人です。シャルリエブドは孤立させられていたんです。たとえ、何年も前に編集室が放火された事件があったのだとしても。その時、政治家たちは私たちは自業自得だと言っていたんですよ。そして、結局のところ私たちはしょせん漫画家に「過ぎない」んだ、と。こうした言説によってことの責任は私たちにこそあるのだ、という思潮が広まってしまいました。1月7日の襲撃もみんなが待っていた復讐が起きたに過ぎないのだ、と。
Q Che ricordi ha di quel giorno?
Per un’incredibile coincidenza durante l’attacco non ero in redazione. Ero in banca e avevo il telefono spento. Quando l’ho riacceso, sono stata inondata da una valanga di messaggi e ho capito. Ancora non si sapeva se ci fossero state vittime, ma io ne ero certa. Era dal 2007 che ce l’avevano giurata. Alla stazione di polizia, chiesi a un detective perche nessuno avesse protetto Charb, che era stato esplicitamente minacciato da Al-Qaeda. Rispose che non ne aveva idea, soprattutto perche, in base alle informazioni di cui disponevano, da mesi la questione non era "se" ci sarebbe stato un attacco, ma "quando".
Q その頃はどんな日々だったんですか?
A 襲撃事件の時、私は編集室にいませんでした。私は銀行で用事があったのです。その時、私の携帯電話の電源は入っていませんでした。携帯電話の電源をその後入れたら洪水のようにメッセージや呼び出しが押し寄せてきました。私は即座に理解しました。人々はまだ犠牲者がいたかどうかわかっていませんでしたが、私は確信しました。2007年から私たちはいつでもそうでした。憲兵隊の刑事になぜ編集長のシャルブを護衛してくれないのか、質問したことがありました。というのはおそらくシャルブはアルカイダ組織によってはっきりと脅されていたからです。刑事はそのようなことはあり得ないと言いました。それまで数か月の情報を総合したら猶更ありえないことだと。でも実際にはもしかしたら起こるかどうか、ということではなく、テロが起きることは時間の問題だったんです。
Q Vi ha sorpreso il supporto "popolare" che avete ricevuto dopo il 7 gennaio?
Ci ha commosso, ma ci ha anche messo in difficolta, perche sapevamo che molte di quelle persone non avevano idea di cosa fosse Charlie e quindi sapevamo che in futuro saremmo andati incontro a fraintendimenti. L’esempio piu eclatante e stato quando Obama ci ha invitato alla Casa Bianca, ma solo a condizione che nessuno di noi gli rivolgesse una domanda. Abbiamo rifiutato.
Q 1月7日の後に起きた支持の渦に驚きましたか?
A 確かにそれにはとても感動しました。しかし、同時に居心地の悪さをも感じました。というのは「私はシャルリ」と支援してくださる人々の大半はシャルリエブドが何かあまり知らなかったからです。ですから、今後は誤解される憂き目にもあうことになると感じました。その最たるものはオバマ大統領が私たちをホワイトハウスに招待したことです。しかし、それは私たちの全員が大統領に質問をしないという条件付きだったのです。もちろんながら私たちは断りました。
Q Parliamo della vignetta sul terremoto all’italiana. Come mai ha sollevato un’ondata di indignazione cosi enorme?
Il problema e stata la rappresentazione dei corpi. Come per la vignetta del bambino siriano, la gente non ci perdona la rappresentazione del corpo martoriato delle vittime. Ma quello che e decisivo ribadire e che la rappresentazione e un mezzo, non e mai un fine. Mi creda: il rispetto per la morte e per le vittime lo conosciamo da vicino. Ma il problema, nel caso dell’Italia, e anche un altro.
Q そろそろあの有名な風刺画について話しましょう。イタリアの地震を風刺したフェリックスの作品についてです。この時、イタリアから3万4千もの非難と侮辱のメッセージが国境を越えてパリの編集部に届いたということですが、これをどう考えますか?
A 問題は常に死体の表現に関するものです。たとえばギリシアの渚に打ち寄せられたシリア難民の少年の遺体です。人々は犠牲者として神聖化された少年を風刺画に描くことを許しませんでした。でも、人の死体を描くことはそれ自体が決して目的ではないのだ、ということを繰り返し訴える必要があると思います。それはテーマを語るための手段なのです。犠牲者に敬意を払っている点では私たち自身も決して他の人々に劣るものではありません。この点は信じていただきたいのです。問題は他の場所からくるのです。
Q Quale?
Per me e stato decisivo il ruolo giocato dalle Istituzioni. Il sindaco di Amatrice ha strumentalizzato Charlie per evitare l’unica domanda che conta davvero, ovvero come una tragedia di quel tipo sia potuta accadere.
Q 他の場所とは?
A 私の意見ですが、イタリアの地震の風刺画の場合について言えば、町の自治体の行政に重大な問題があったのだと思っています。アマトリーチェの町長はシャルリエブドの風刺画を非難することによって世論を誤った方向に誘導しようとしたのです。それはなぜこのような惨事になってしまったのかという真の原因究明から人々の目をそらすためです。
Q Ci avviamo alla fine dell’era Illuminista fondata sul primato assoluto della liberta di espressione?
Io vedo comunque una luce in fondo al tunnel. Dopo la strage, mi ha colpito come hanno reagito i bambini. Loro amano la liberta, e disegnare e uno dei massimi gesti con cui esprimerla. Il 7 gennaio 2015 molti bambini in tutto il mondo hanno capito che delle persone sono morte per un disegno. Eppure i bambini disegnano ancora.
Q あなたは言論の絶対的自由の上に打ち立てられた啓蒙の世紀が過ぎ去ろうとしているとお考えですか?
A 私はトンネルの向こうに光を見ています。シャルリエブド襲撃の後、私が一番打たれたのは子供たちが思いを示した方法でした。子供たちは表現の自由を愛しているのです。だからこそ子供たちは絵を描くのです。というのも絵を描くことこそ自由を表現する最も強く、本能的な行動だからなんです。2015年の1月7日に世界各地で多くの子供たちが風刺画家たちが死んだのは1枚の絵のためだったことを理解したのです。そして恐らく抗議に参加した子供たちは描くことをやめていないでしょう。
Q Le persone che le vogliono bene non le chiedono di smettere?
No, perche sanno cosa questo lavoro rappresenti ora per me. Vede, se io domani smettessi, riacquisterei in parte alcune liberta, ma rinuncerei a un altro tipo di liberta, secondo me piu ampio e importante. Cosi resisto, aspettando che questo momento finisca.
Q あなたのご家族とか、あなたが愛する人々がシャルリエブドを辞めるように言ったりはしませんでしたか?
A いいえ、なぜならみんなこれが私を一番表現する仕事だと知っているからです。もし私が明日この仕事を辞めたなら、なるほど多少は自由に振る舞えるでしょう。しかし、逆に別の自由を私は犠牲にしなくてはならなくなるのです。そちらの自由の方が私の意見では重要なものです。だからこそ私は表現の抑圧に対して闘い、こうした日々が終わる日を待っているのです。
Q Crede davvero che finira?
Oh, certo che no (ride, ndr).
Q そんな日が来ると本当に信じているのですか?
A いいえ、まったく信じていませんね(笑)
2)風刺漫画家であるCOCOへのインタビュー
(彼女は襲撃のあった1月7日の朝、最初に2人組に銃を突き付けられ、シャルリエブドの事務所へ入る扉の鍵を開けさせられた風刺漫画家である)
Q Come funziona il suo processo creativo?
La satira ha a che fare con la ricerca. A volte dura cinque minuti, a volte ore. Quello che cerco di fare e creare un incrocio tra piani di senso diversi in modo da creare una sfumatura completamente nuova sul determinato pezzo di realta che osservo. Quella sfumatura, quel senso nuovo, e la satira.
Q 1枚の風刺画はどのようにして生まれるのですか?
A 私の考えでは、風刺画というものは対象について研究することなしに描けるものではありません。アイデアを思いつくまでの時間は、時には5分で済む場合もありますが、時には何時間も要する場合もあります。私はいつも対位法的に考えをまとめてみようとします。異なる視点によるものを1つの構図の中にぶつけてみるのです。それによって私が描こうとしている1片の現実の中に、存在しないニュアンス(雰囲気)を与えようとするのです。このニュアンスこそ、その新しい感覚こそ、風刺の持ち味なのです。
Q Sceglie deliberatamente di provocare una reazione forte?
Non e una scelta: e inevitabile. Disegnare spinge a scostare il velo delle apparenze sociali e delle ipocrisie morali. Oltre quel velo c’e sempre qualcosa di scioccante, senno non ci sarebbe bisogno del velo.
Q あなたは意図的に読者の鮮烈な反応を求めているのですか?
A 意図的にやる必要はありません。それは風刺画であれば必ず引き起こすものだからです。描くことは、より遠くを見通すことです。つまり社会通念や道徳に見せかけた偽善など、表層にあるベールをはがすことなのです。ベールの奥にはショックに満ちた現実があるのであり、だからこそベールで包み隠しているのです。
Q Perche quello choc invece che far riflettere si trasforma in rabbia cieca?
Perche siamo letti con il vocabolario che si usa per capire i media tradizionali, ma parliamo un linguaggio completamente diverso. Per capirci dovresti prima studiare quel linguaggio, e in piu avere il senso dell’umorismo. Quindi capisco benissimo la gente che si arrabbia e ci insulta. Quello che non capisco e chi ci vuole morti. Noi non abbiamo mai torto un capello a nessuno.
Q あなたのお考えではなぜそのショックが、ものをじっくり考えてみる方向に向かわず、しばしば憤りや盲目的な怒りに人を駆り立てるのでしょうか?
A 人々は伝統的なマスメディアを理解する時に使用する言葉を使ってシャルリエブドにも接するわけです。でも、シャルリエブドはそれらのメディアとは異なる言語を使用しているのですよ。もし私たちの表現を理解したければ、まず私たちの使っている言語を学ぶ必要がありますし、さらにユーモアの感覚を持つ必要もあります。私には私たちを理解しない人々のことがよくわかります。彼らは怒りにとらわれ、私たちを侮辱します。こうした人たちのことは理解できますが、私たちが理解できないのは私たちの死を望む人々です。私たちは誰にも指一本触れていないのです。
Q Avere una figlia molto piccola le e stato di aiuto per superare quel periodo?
Nei giorni immediatamente successivi ero spaventata due volte. Come persona e come madre: non volevo che mia figlia vedesse che avevo paura, e non era facile. Ma poi e stato anche grazie a lei se sono riuscita a tornare ad avere una vita normale, pur con le limitazioni che vede. E ci sono anche tutte le persone che ho perso quel giorno e che erano tra le piu importanti della mia vita. Continuare a disegnare e l’unico modo per continuare a farle esistere. E per essere in pace con me stessa.
Q このような惨事の時に幼い娘を持つということは悲劇に打ち克つ助けとなりますか?
A あの事件の後、私には2つの不安がありました。人間としてもちろん不安を感じました。しかし、同時に母親としても不安を感じないではいられませんでした。私は幼い娘にたとえ一瞬であろうと、不安を持っていることを見られたくなかったのです。その後、私は娘のおかげでほとんど通常の生活を取り戻すことができるようになりました。もちろん、ご覧のように、制約はあるにしてもです。そして私にはあのテロ事件で失った仲間が多数います。彼らは私の人生にとってはもっとも大切なものに含まれる存在だったんです。私にとって風刺画を描き続けることは、彼らをこれから先も生きながらえさせる唯一の行為です。そして、それこそが私が自分自身の心の平和を取り戻す方法でもあるのです。
Interview
Francesco Mazza フランチェスコ・マッツァ
(イタリアの映画監督 regista, Italian film director )
翻訳 村上良太(フランス語からの重訳)
※このインタビューの記事はまずイタリアの新聞に掲載され、その後、フランスのリベラシオン紙に今日、フランス語に訳されて掲載されています。日刊ベリタもマッツア氏の了解を得て原文のイタリア語のインタビューに訳をつけて転載します。ただし、この訳は原文からでなく、リベラシオンの仏語訳からの重訳です。
■イタリア人の映画監督がイタリア中部アマトリーチェ地震の被災者らをパスタにたとえた風刺画を読み解く 〜母に捧げる風刺画の読み方〜 Francesco Mazza(翻訳 在仏ブロガーRyoka)
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■イタリアの報道の自由と政治の圧力について、未来について、独裁について Francesco Mazza(イタリアの映画監督)
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