2017年01月15日10時51分掲載  無料記事
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マルタン・パージュ作 「僕はどうやってバカになったか」 Martin Page "Comment je suis devenu stupide " フランス版バブル時代の青春の書

フランスの作家、マルタン・パージュ(Martin Page)の出世作が「僕はどうやってバカになったか」(Comment je suis devenu stupide ) という人を食ったタイトルの小説だ。これは大学で非常勤講師をしている知的好奇心に囚われた25歳の若者が生活を変えようとして試行錯誤を始める小説である。何ゆえに生活スタイルを変えようと決意したかと言えば、まずは生活が困窮している上に、通俗的な社会生活からはみ出してしまう、ということにあった。 
 
  「アントワーヌには、あまり友達がいなかった。ひじょうに寛容で物わかりがよすぎたことから社会に適応できず、辛い思いをしていたのである。彼の趣味は何物も排除せず、雑多だったので、嫌いなものを共有するということで成り立つ派閥から締め出されていた。アントワーヌは内部が憎悪で満ちた集団を警戒してはいたが、とりわけ境界や派閥を無視する好奇心と情熱のせいで自国にいながら無国籍者の境遇を味わっていた。彼が住む社会では世論が、はい、いいえ、意見なしの中から選んだ回答に押し込まれるのだが、アントワーヌはけっしてどれにも丸をつけたくなかった。」 
 
  優柔不断とも言えよう。なんでも手に取って真剣に考えるがゆえに大学での受講も雑多であり、それゆえ1つの専門領域を深堀りすることもできなかったようだ。だから、大学の非常勤講師になれたとしてもそれ以上の安定したポストにもつけなかった。専門を持つ、ということはそれ以外の分野を研究対象から捨てる能力を必要とすることであり、上のような性格の主人公アントワーヌにはできなかったのである。今風に言うならコストパフォーマンス(費用対効果)の悪い生活を送っていたのである。 
 
  それでもそんな主人公アントワーヌには薬の売人らしい人物や出版社の人間など、何人かの個性的な友達がいた。彼らはアントワーヌの個性を認めてくれていたのだ。しかし、アントワーヌはこうつぶやく。「僕は理性に呪われている。僕は貧乏で、恋人もなく、うつだ。もう何ヵ月も、物事を考えすぎるという僕の病気について考えてきた。その結果、僕の不幸と、自制できない僕の理性は、相関関係にあると確信するに至った」そこで、アル中になろうとしたり、自殺を試みたりした挙句、生活を一新するために本や資料などは全部捨てて、馬鹿になろうと真剣に決意するに至るのである。 
 
  フランスと言えば哲学や社会学、人文学など知的な風土があると考えられているが、みんながみんな満ち足りた研究生活を送っているわけでもないのだろう。本書の中ではその中に生きる一人の若者の厳しい孤独や絶望が描かれている。しかし、作家マルタン・パージュは主人公に距離を置き、ユーモアをもって俯瞰して語っているために、読者はそうした若者の苦難も風刺的に見つめることができるのだ。既存の通俗的世界を風刺するとともに、そうした批判の目を持つ自分自身にも鞭を入れる、という芸をパージュは披露しているのである。この本が日本で翻訳されたのは2003年で、フランスではシラク政権の二期目(2002年に国民戦線のルペンと大統領選の決選投票があった)の年であり、日本では小泉政権の時代である。日本でもフランスでも時代は新自由主義に向かって突き進んでいた。だからというか、本書が2003年に出版されたのはある意味で不幸でもあった気がするのである。 
 
  それは本書で描かれている社会批評がその後の時代をあたかも予言するかのようだからだ。大学の講師の職を捨てたアントワーヌは高校時代の友人のおかげでヘッジファンドの会社に転職し、金融賭博で巨額の収入を一夜にして稼ぎ出し、貧乏学者時代とは打って変わった日々が突如開けてくるのだ。だからというか、この小説は非常にリアルであり、おそらく2003年の日本ではこの小説の深度が十分に理解されず、才気あふれるユーモア小説くらいに受け取られたのではないかと推測するのである。世界を震撼させ、今もどん底に陥れているリーマンショックは2008年の秋だが、実はその1年前の2007年に世界はバブル崩壊の始まりを経験しており、それはフランスの銀行で始まっていたのだ。アメリカのくず債権やギリシアのくず国債を多量に買い、さらに顧客の金で投機を行っていたフランスの金融界はアメリカと同類の存在だった。しかし、金融崩壊する前は投機によって巨額の金を儲けていたのである。アントワーヌが大学を去って足を踏み入れたのはこのような世界だった。庶民の大多数は地道に働いていたのだろうが、こうした一部の人々が国民をどん底に追い詰めてしまったのだ。 
 
  2007年はサルコジ大統領が登場した年で、サルコジ大統領のモットーは「もっと働き、もっと稼ごう」だった。このメッセージはパージュの書いた「僕はどうやってバカになったか」と通底していると思う。ものを考えたり学んだりするのに必要なものは何よりも時間だからだ。その時間を金に換えよう、というのがサルコジ大統領の最大のメッセージだったのである。もちろん短い時間でより多くの金を稼げれば稼げるほどよい、ということになるだろう。その中で最もコストパフォーマンスがよかった業種はヘッジファンドだったのではないだろうか。 
 
  ヘッジファンドや金融界の人間はバカか、というとそんなことは言えないだろう。優秀な大学で金融工学を専攻したエリートも少なくない。それでも彼らの人生の本質はすべてを〇か×かに分類するような極度に単純化された人生と言えるのではないだろうか。大切なものは数字だからだ。投機によって社会がどのように影響されるか、世界がどのように変化していくか、そういうことを真剣に考える人間が投機の世界で長年生きていけるものだろうか。いや、彼らくらい世界を先読みできる人間はいないだろう、けれども、そうした投機者の知のあり方は人間としてどうなのか、ということがこの小説で問われているのである。今、この小説を読むと、そういうことを思わずにはいられなかった。本書が世に出たのは未だフランスのバブル経済が絶頂に向かって加熱している頃だった。だからというか、本書は一過性のブームで終わらせてはいけない貴重な文学のように僕には思えるのである。80年代にジェイ・マキナニーの「ブライトライツ・ビッグシティ」というアメリカの青春小説が流行したが、本書はフランス版とも言えるのではないだろうか。狂った時代の青春がそこには見事に刻印されているからだ。 
 
 
※「僕はどうやってバカになったか」(大野朗子訳 青土社) 
翻訳者である大野氏によると、本書は2001年にフランスで刊行されベストセラーになり、アメリカ、ドイツ、韓国など世界23ヵ国で次々と翻訳された(2003年の時点で)。 
 
 
■大ヒット作 「僕はどうやってバカになったか」(2001) の著者、マルタン・パージュ氏に「その後」を聞く  Interview : Martin Page ( romancier "Comment je suis devenu stupide " ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201701171701202 
 
■作家ジャン=フィリップ・トゥーサン氏にインタビュー  〜衝撃的デビュー作「浴室」はどのようにして生まれたのか?〜 Interview : Jean-Philippe Toussaint 'How the masterpiece, " La salle de bain " was born ? " 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201611101342434 
 
■コンゴ出身の作家アラン・マバンクウ氏がコレージュ・ド・フランス教授に 3つの大陸で黒人の生と文学を見つめる 3月17日に就任記念講義 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201512181349535 
 
■「筋骨たくましい女性の体について」 ナタリー・ガッセル(ベルギーの女性の作家) 'Sur le corps feminin athletique' Nathalie Gassel 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603100242234 
 
■フランスらしい洗練されたイラストを描くフランソワ・ラヴァールにインタビュー  Interview : Francois Ravard 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201701040039263 


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