2017年03月24日14時02分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(227)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠「原発はパンドラの箱に潜みゐて開けに来る人今も待つらし」 山崎芳彦

 今回から福島県内の歌人グループ「翔の会」(波汐國芳代表、会員30名)の季刊歌誌『翔』の第52号(平成27年7月刊)〜第57号(平成28年11月刊)の作品群から、筆者の読みによって原子力にかかわって詠われた歌を抄出、記録させていただく。筆者の読みによる抄出なので、作者の方々にとって不本意な、作歌意図と違った誤読があるとおそれながらの抄出であり、その場合のお許しをお願いしなければならない。歌誌『翔』の作品については、この連載の中でこれまで第35号(平成23年4月発行)〜第51号(平成27年4月発行)迄、つまり平成23年の3・11東日本大震災・東京電力福島第一原発の壊滅的事故が起きた以後に発行されたすべての号を読ませてきていただいており、今回はその引き続きになるわけだが、筆者にとってこの『翔』との出会いはまことに貴重な、ありがたいものである。「翔の会」の会員歌人の皆さんに感謝を申し上げなければならないし、3・11以後の様々な苦難の中にあって、『翔』の発行をたゆまず、1号の休みもなく続けてこられた歌人の力に敬意をますます深くしている。 
 
 この『翔』の作品を読んでいる最中に、福島第一原発の事故により群馬県内に自主避難した被害避難者137人が国と東京電力に損害賠償を求めて起こした集団訴訟の判決が前橋地裁で下された。原道子裁判長は国と東電がともに原発事故の原因となった高い津波の到来を早くから予見していたことを指摘し、行うべき対策を行わなかったことにより防ぎ得た原発事故が起きたと、国と東電の責任を認める判決を下し、原告に対する損害賠償を命じたもので、原発事故訴訟で、国の違法性や国と東電による津波予見可能性を認める初めての判決として、いま全国各地で係争中の原発事故訴訟に大きな影響を及ぼす判断を明確に示したと評価される。国や東電の大規模地震・津波を「想定外」とする主張を退け、両者の責任を厳しく指摘したことは重要な判断と言える。「加害者」に命じた賠償責任に伴う賠償金の額は、被害の大きさ、深刻さからいえば過小と言えるが、原発事故による放射線被曝への恐怖にさらされず平穏に生活する権利を認める判断は、原発事故訴訟の重要な肝としてとらえられる。この観点は、前橋地裁判決のケースにとどまらず、さまざまな態様で核放射線の被害を被り苦しむすべての原発事故被害者に対して貫かれなければならないはずだ。 
 
 「安全神話」の罪は重く、「経済的合理性を安全性に優先させる」許し難い国と電力企業・原発関連企業の責任は、際限もなく重いし、核エネルギー依存社会をさらに続けようとしている現在の政府と電力企業さらにその関連勢力が今進めている原子力政策を許すことはできないと思う。前橋地裁判決の詳細についてはすでに報道されているので、ここで触れる事はしないが、同判決が下される前日に筆者は歌誌『翔』第53号の巻頭言「詩的虚の空間が写し出すもの」と題する波汐國芳さんの文章を読み、啓発されて2007年8月23日付の日本弁護士連合会の「原子力発電所の制御棒脱落事故隠蔽問題に関する意見書」を読んで、3・11原発事故のはるか以前から原発が潰滅的事故を引き起こす道筋を進んでいたことを強く印象付けられていたこともあって、前橋地裁判決に深く共感したのだった。 
 
 波汐さんの『翔』第53号の巻頭言全文は後記の通りだが、「スリーマイル島原発事故より一年半程前(昭和五三)に同第一原発(福島第一原発 筆者注)で制御棒脱落の臨界事故が起きており、二十九年後の平成十九年まで隠されていたという。」と書かれた部分を確認するため、筆者は日弁連の前記「意見書」を改めて読み返し、1978年11月に福島第一原発3号機で制御棒の「引き抜け5本・臨界事故」、1979年2月同5号機で「引き抜け1本」、1980年9月同2号機「引き抜け1本」、1991年同3号機「誤挿入5本」、1993年6月度3号機「引き抜け2本」、1998年同4号機「引き抜け34本」、2005年5月「誤挿入8本」(これらは日弁連意見書の中の「制御棒の引きぬけ・誤挿入事案一覧表」から福島第一原発に関する部分を抜き出したもので、それ以外の原発についても数多く記載されている。筆者注)などが記され、「東京電力福島第一原発3号機の場合には、7時間半も臨界を止められないという深刻な事態が生じていた」「また、福島第一原発4号機の34本の制御棒同時脱落は、原子炉の暴走にもつながる危険性を内包した事故であり、事態は極めて重大」などと指摘し、「さらに、これらの極めて重大な事故が完全に隠蔽され、したがって根本的な安全対策を取られることもなくこれまで放置されてきたことは、原発の安全規制システムの欠陥を示すものとして極めて重要である。」と強く警告していた。前橋地裁判決の津波予見が可能であったにもかかわらず、事故防止対策を怠った国と東電の責任の認定にも通底する原発問題にかかわる日弁連の「意見書」は、津波問題とは異なるが、2007年8月付である。 
 
 『翔』第53号の波汐さんの巻頭言の全文は次のとおりである。 
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「我らが目指すものは直感による詩的現実の想像であって、その詩はもう一つの現実ではあるが別次元のもので、言ってみれば虚の空間でもある。そしてその空間の透明性は折々現実の真相を写し出すものである。 
 そこで、三・一一大震災の大津波と福島第一原発のメルトダウンは想定できたか、見えていたのかの問題に触れなければならない。大津波については、先祖から流れている血が知っていたので、浜辺に佇てば大津波が『来るかもしれない』という危機感を常に抱いていた。そして大津波の危機感を歌うに際しては、作品の中に大津波をイメージ化することは至極自然であった。勿論、地球科学の分野ではいつかは起こりうるものとして想定できた筈であるから、虚の鏡に大津波を写し出して警鐘を鳴らすことは文学の課題であった。原発問題についても詩想の上で、あるいはイメージの上では見えていたのである。なぜなら、私は電力企業内に身を置いていた関係上、早くから原発に関心を持っており、企業を去ってからも特に構造的問題を掘り下げ、危機感をイメージ化する作業を己に課して来たので、原発の至り得るところは想定出来たからである。福島第一原発のメルトダウンは津波による電源喪失であり、事が起きてからでなく、事前に他電力と協調し合う体制にあれば難を免れたに違いない。それを許さない企業体質にこそ、構造的問題性を求めることが出来る。そのような視座に立てば『想定外』などではなく、事故も視野にあったことことなのだ。にもかかわらず、我が国の原発は安全でスリーマイル島原発やチェルノブイリ原発のような事故は絶対に起こらないという、安全神話が作りあげられていたため、その安全神話こそ、視野を曇らせていたといえる。したがって、主題制作を続ける中で次のように問わないではいられなかった。憚らず拙歌を抄出する。 
 
 原発の炉心へ向かう扉(ドア)いくつ未来にノック過去世(かこぜ)にノック 
                     『夕光の落首』(平成七)所収 
 
 ところで、スリーマイル島原発事故より一年半程前(昭和53)に同第一原発で制御棒脱落の臨界事故が起きており、二十九年後の平成十九年まで隠されていたという。これも構造的問題だが、抄出歌の問いなど最初から嗤われていたようである。笑っていたのはエデンを負われたアダムとイブの中に棲む人面の鬼だろうか。」 
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 『翔』第52・53号から原子力詠を抄出、記録させていただく。いつものことだが、筆者の読みによる原子力詠のみの抄出は心残りが大きい。紹介できない多くの貴重な作品に心を打たれ、感動することが多かったことを記しておきたい。 
 
 ◇『翔』第52号(抄)・平成27年7月発行◇ 
みちのくの浜に連なる原発の送電線が首都へと続く 
雪解けの田の面を漁る白鳥と並び除染の鍬打つ我か 
マスコミのカメラの視線受けながら泥まみれなる身を繕ひぬ 
避難して放置されたる田の面にコロコロカへレと蛙の鳴けり 
                          (桑原三代松) 
 
ああ津波 みちのくの浜攫ひしを攫ひ残しのみちのくごころ 
人をらぬ飯舘村にかくれんぼ「もう」と啼くべき牛らも居らず 
夕顔が次々咲くをああ被曝 自業自得と嗤ったやうな 
泡立ち草 黄の波立ちて寄せゆかむ原発爆ぜし町の虚(うつ)ろへ 
原発爆ぜ人らも脱けてすかすかのこの福島ゆ見ゆるは何ぞ 
除染未だ進まぬ炎暑を人の群れ レントゲン画像ゆ出てくるやうな 
                          (波汐國芳) 
 
避難者の揣摩臆測が乱れ飛び里の寂寥滲み出づるや 
                          (三瓶弘次) 
 
白鳥らシベリヤ目指すを被曝ゆゑ近くて遠き古里楢葉 
                          (橋本はつ代) 
 
復興の亀の歩みをうべなはむ一日一日前へ進めば 
風評に闇夜が続くわがむらの直売所にも朝陽が差し来 
原発に追はれて流浪を語りたる仮設の友に陽よ強く射せ 
もくもくと連なる白き雲の上自転車をこぎ核無き国へ 
原発はパンドラの箱に潜みゐて開けに来る人今も待つらし 
陽を移す営みひたに太陽光発電パネルが黒く光りぬ 
手を挙げて受くる人無し福島の指定廃棄物日ごと増ゆるも 
線量の検査終へたる米袋を運ぶ人らの頬が緩みぬ 
ほんたうの川と野山が戻るまで仁王となりて立ちはだからむ 
福島のあらぬ風評飛ばすがに夜空狭しと尺玉が爆ず 
                          (児玉正敏) 
 
福島の憂ひを知れば再稼働の声のしるきに耳塞ぎたり 
                          (紺野 敬) 
 
震災から四年が過ぎてやうやくに除染の知らせわが町寒し 
物産展アコヤの母貝に守られて汚染なき海の真珠が光る 
除染まだ進まぬ夫の墓原に二十七年忌の卒塔婆寒し 
                          (古山信子) 
 
濤荒く猛々しきは亡き人の無念の声か相馬の浜辺 
ポリアンサスの蕾ぞつくり首もたげセシウムなんのそのと膨らむ 
いわきなる「ほるる」の竜よ原発なき太古の良さを今に伝へよ 
震災を忘るるなかれアーカイブ夜想曲響け海の果てまで 
                          (畑中和子) 
 
危惧いだく原発処理の現状に目が離されず焦立つわれら 
被曝四年まだ収まらず海中の生き物達の嘆きは如何に 
                          (黒川喜代) 
 
仮設より終の住処のマンションに移る家族にエールおくらむ 
三・一一が攫ひし春の還りしや今朝咲き初めし枝垂れ紅梅 
                          (御代テル子) 
 
震災を詠む歌以外とられぬと避難住民の歌びと語る 
                          (鈴木紀男) 
 
四年目の被災の映像延々と続くに吾のまなこ乾けり 
年毎に筍呉るる友あれど今年も暗き目を返すなり 
わが庭の柿の実と柚子四年経つも未だセシウム検査通らず 
雪消えて山の汚染も消ゆるなら湖の青さに染めたきものを 
                          (波汐朝子) 
 
 ◇『翔』第53号(抄)・平成27年11月発行◇ 
憎しみの種の袋か山積みのフレコンバッグに『黒い雨』降る 
すつぽりと氷室の中に入れられしままに四年の時が過ぎ行く 
見捨てられし口の利けない家畜らの潤みし眼われに宿りぬ 
粉々に引き裂かれたる団欒を思ひ起こさす仮設のきしみ 
魂を傾けて聞け為政者よ 被災の民の火照りし声を 
「熱し易く冷め易い」とふ民なれば夜空に映さむあまねき狂気を 
                          (三瓶弘次) 
 
精を出す除染に己が贅肉も削ぎ落とさむと鍬を打つなり 
福島の風に光を戻さむと今日も除染の鍬打ち下ろす 
膨らみし除染費用の大きさを想ひて振るふ鍬の重たし 
セシウムはもう降り来ぬかバスの中作業待機の雨空仰ぐ 
今日もまた熱中症の人出でぬ除染現場は灼熱の中 
残照のぢりぢりとして除染後の被曝検査を待つ列長し 
                          (桑原三代松) 
 
被曝地に生きつつ朝を吐く息のめらめら火焔帯び行く如し 
原発の安全神話に乗せられて走るをわれら鞭打たれたり 
安全神話に乗せられ来しを笑へとやわれへ向け置く口裂け石榴 
目指したる原発成らず津波にも遭はぬを怪我の功名とせむ 
アダムとイブの裔成るわれら文明とふ滅びへの道ひた走るなり 
セシウムを夷狄に見立て夏深野 安達太良マグマ率て討たむかも 
                          (波汐國芳) 
 
ひたひたと従きくるセシウム振り払ふ思ひに強くアクセルを踏む 
                          (橋本はつ代) 
 
原発の処理の遅れに怒りてや吾妻の山が噴煙を上ぐ 
山桜の落つる花びら眺めつつ除染の不満ひとつづつ消す 
外遊びどつと飛び出す園児たちセシウムどもを吹き飛ばしつつ 
                          (児玉正敏) 
 
鳥遊ぶ五月の森に入りゆけば除染土数多積まれてゐたり 
心をば弾ませながら訪ぬるに「小鳥の森」は除染中なり 
「原釜」に十メートルの津波きて浚ひ残しの土台つらなる 
漁具入るる白き倉庫の群れ建つも漁する船の見えぬこの浜 
出漁をひたに待ちゐる漁師らに海の汚染の何時まで続く 
                          (紺野 敬) 
 
四度目の春巡れども聞こえ来る「仮設」住まひの人らの嘆き 
忘れまじ原発事故に家を失ひ多くの人が仮設に住むを 
                          (渡辺浩子) 
 
再稼働巡る司法の判断が真二つに割れ吾は戸惑ふ 
口惜しや後期高齢者となりて廃炉の顛末見届け得ぬは 
                          (三好幸治) 
 
向日葵のすくすく伸ぶる所より明日の福島始まりてゐむ 
                          (鈴木紀男) 
 
汚染土の山隠さむとわが庭に植ゑし夕顔怪しく灯る 
町中の庭の美観を損ねゐる汚染土の山消ゆるはいつぞ 
                          (波汐朝子) 
 
 次回も歌誌『翔』の原発詠を読み、記録する。      (つづく) 


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