2017年03月27日14時42分掲載
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『国家と石綿 −ルポ・アスベスト被害者「息ほしき人々」の闘い−』を読んで 松原康彦
先日、新聞の書評欄に『国家と石綿 −ルポ・アスベスト被害者「息ほしき人々」の闘い−』(永尾俊彦著 現代書館出版 2016.11.30初版)という本が昨年末に出版されたのを見て、購入し、読んだ。
アスベスト被害についてほとんど知識がなかった。ただ、阪神大震災で崩壊したビルなどから大量のアスベストが飛散した。神戸市議の粟原富夫さん等がこの問題、アスベストによる健康被害が20年以上の経過の中で出てくることを指摘している。ところが本文中にこういう一節があった。
「重信さんの営業経歴の中では、1995年の阪神大震災から2年間くらいの間が、石綿製品が一番よく売れた。まず倒壊しかかった建物を解体する際、鉄骨などをバーナーで焼き切る必要があり、その際飛び散る火花の防止に石綿シートが使われた。また、復興で新しいビルなどを建てる際も溶接に石綿シートが大量に使われた。1メートル幅で30メートル巻の石綿シートが飛ぶように売れた」(同書70頁)のだそうだ。私たちは、これから阪神大震災の現在の問題として向き合わなければならないのだろう。そんな思いから読んだ。
産業のあらゆる部署に使われた石綿(アスベスト)は、自然界を掘れば出てくることから安価な資源として産業革命の中で急激に様々な用途に使われた。とりわけ船舶などに。戦争はその需要を一気に高めた。しかし、その細かい繊維(鉱物であることから溶けることがない)によって、肺などの健康被害、そして発がんが1930年ころから指摘され始め、ヨーロッパやアメリカでは需要が抑制され、代替え品が開発されていった。
日本でも1937年、国の機関によってその人体への被害が労働環境に悪影響がでることが指摘された。しかし、その年に国家総動員法が施行され、その指摘は無視された。戦後も、国はその事実を知りながら、戦後発展、とりわけ高度経済成長の中で、無視され続けた。
「戦時中、大本営は戦争に負けているのに勝っていると発表した。戦後は石綿は危険なのに国は危険だと教えず、安全管理の方法を徹底させないまま使わせ続けた。古川さんら、戦前から働いていた石綿労働者は二回も国家のウソにだまされた」(同書192頁)
細かい石綿のクズは、あたり一面に広がり、真っ白に積み上がり、石綿労働者は、衣服についたそのクズだけでなく、体内にも吸い込んだ。そのあまりの労働環境の酷さが、差別を生んだ。全国の生産量の7割から8割を泉南地域で生産が行われた石綿労働には、被差別部落、朝鮮人、あるいは炭鉱離職者が多く従事し、社会の最底辺を構成した。
すでにイギリスやアメリカでは、その深刻な労働災害から1970年代には石綿からの全面的な撤退が始まる。しかし、その後にむしろ日本での石綿使用量はピークを迎える。2005年、尼崎の久保田鉄工の工場周辺で住民に石綿被害による「クボタショック」が起こる。
石綿の被害は、20年、30年の経過の後に起こる。「クボタショック」から泉南地域で問題となり、弁護士たちや市民を中心にした調査がようやく始まる。貧しい中で石綿労働に30年、40年と従事し、ようやく安定した生活を築いてきた人たちの立ち上がりは厳しいものがあった。
2006年に開始された裁判は、国による執拗な反動によって、幾度もの困難を経ながら2014年に最高裁で住民の全面的勝利(といっても一部原告の排除があった)として終わった。多くの原告がその過程で、「生きていくことの苦しさ」を訴えながら亡くなられた。
以上が、本書の概略ですが、一人一人と向き合い、聞き取りを軸にした凄いとしか言いようのないルポです。そして「知らないことが多い」という想いをまた強くした。裁判の経緯など丁寧なルポに学ぶことも多い。一読を勧めます。
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