2017年04月14日09時27分掲載  無料記事
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TPP/脱グローバリゼーション

グローバル化(貿易の完全自由化)の是非 人類の将来見据えた議論を 落合栄一郎

  トランプ氏の出現で、「保護貿易主義」的な動きが活発化しているようです。この紙上でも、そうした問題の連続講座の知らせ(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201704111542002)が載っています。およそ7年前に、小生もこの問題を簡単に議論しましたので、それも参考になるかと思い、再掲載します。(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201012081043433) 
 
 グローバル化そのものは、15世紀(以前からもあったではあろうが、大規模なものはなく、人類の全体への影響は些少)から始まった西欧からの、海上交通を通じての交易(といっても初期には、西欧による他国からの資源(金銀)の収奪)から進行していたと考えてよいであろう。グローバル化はそうした他国人同士の接触がもたらしたもので、広い意味では、人類が、国境の枠を越えて、他国の民や文化に接し、意識し、影響し合う動きとしてよいであろう。そしてこのようなグローバル化は人類の向上のためには望ましい。 
 
 しかし、狭い意味では、第2次世界大戦後の全世界的貿易自由化の動きであり、現在では、WTO(世界貿易機構)が代表的推進機構である。関税その他の障害を取り除いた自由貿易により世界の経済活動を活性化し、人類全体の福祉を増大するというのが主張である。世界のあちこちで、地域レベルの自由化は行われている。ヨーロッパ経済連合や北アメリカ経済連合などがある。2010年のAPEC会議(横浜)では、アジア地域での貿易の自由化、環太平洋域の自由貿易協定(TPP)が話題になった。多国籍大企業や、政府からのバックアップのある大農業生産国などは、関税障壁などがなくなれば、自由に商圏を拡大することができる。 
 
 世界の全ての国が競争可能な程度の経済状態にあり、資源も同程度に保有しているならば、自由貿易で、互いに益するところはあるであろう。しかし、現状は、そのような状態からは程遠い。競争力が伯仲している国々もあるが、大部分の国は,競争力が弱く、自由貿易では,競争力の強い相手に負けて,負けた国の国民が困窮するのは目に見えている。例えば、農業などの競争力のない、しかしその国にとって不可欠な産業がつぶされることは必定である。このような事態はすでにかなりの程度起っている。すなわちグローバル化は、経済大国や多国籍大企業の経済支配をさらに押し進め、国家間の経済格差を増大させるのみであろう。 
 
 また、グローバル化の結果、例えば農作物が単一化されがちである。それは、特定の支配的大企業が、種子供給を独占し、地域の生態系などを無視して、単一種に絞りがちであるから。それが、企業にとっては、利益という点では有利なので。作物の単一化は、その生態系を不安定にする。自然その他の原因(天敵発生など)で、その作物が消滅の危機に晒されると、作付けされたその植物が全滅する。すなわち、人類が必要とするその植物が一気に消滅し、人類は食料危機に陥る。 
 
 さらに長期的視野に立ってみると、グローバル化にはもう一つ重大な問題がある。大量の物資の長距離輸送を必要とすることである。例えば、カナダバンクーバ−のスーパーマーケットにオーストラリア産のマンゴーが並んでいる。このような例には多くの問題がある。まず長距離輸送の運賃、現在は輸送手段のエネルギー源が不当に安く設定されているので、経済的に可能だが、いつまで続くか。長距離運送に伴う環境への負荷、また人の口に入るまでに長時間かかるので、保存の仕方(それが引き起こす汚染問題など)などなどの問題がある。 
 
 大量に必要とされるが、自国で生産(農業)できるものは、できるだけ自給自足にする必要がある。気候、土壌その他の条件で生産できないが、不可欠なものは、必要最小限を輸入に頼る。こうすることによって、長距離輸送に付随する多くの問題は避けることができる。いずれは、輸送に必要な安価なエネルギー源が枯渇すれば、長距離輸送は経済的でなくなる。すなわち自由貿易は経済的にできなくなる。 
 
 しかし、このような状態(反グローバル化)こそが、おそらく持続可能なのであろう。それは様々な理由を総合した結果なのである。まず、農業で生産するものは、地域に依存し、その環境に適応したものになる。地球全体でみると、多様化していることになる。地球全体の生態系にとって、多様化は安定の必須条件である。生態系が安定でなければ、人類文明は持続できない。 
 
 現在のグローバル化状況下では、大企業が先進国相手の嗜好品(コーヒーなど)などを途上国で大規模に作らせて、経営者の懐を肥やすが、その途上国での必須な品(食料)の生産を阻害することになる。その地の農民は、こうした嗜好品の輸出から得る僅か(先進国企業が搾取;最近は公正取引などで改善されている場合もあるが)な現金で食料を買わざるをえない。そして、自分達のコントロール外にある世界市場に自分達の生活が左右されることになる。農業を、本来の自分達の必要を満たす方向にもって行く方が良策なのである。 
 
 日本のような先進国でも、食料確保のためには、農業をさらに振興させ、自給自足になるべく近づける必要がある。それは、地球温暖化に伴い世界の大農業国の食料生産が不安定になりつつあり、そのような食料輸入に依存していると、場合によっては、日本は飢えざるを得なくなる可能性がある。 
 
 グローバル化は、一方、金融による経済支配を進行させる。それは、貿易による取引は、特定貨幣(例えば、米ドル)によることによって簡素化され,促進される。そして、その貨幣を扱う企業が、グローバル市場を支配する。経済の金融支配は、現在様々な経済・政治・社会上の問題を引き起こしていることは周知のことであろう。 
 
 以上、簡単ではあるが、グローバル化の問題点をいくつか指摘した。食料その他の必需品の自給自足化に基づく経済体制(反グローバル化)こそが、持続可能であろうし、社会正義にも貢献するであろう。食料などの自給自足とは別に、多くの工業生産品が作られているが、それらの、必要に応じての輸出入を否定するものではないし、先にも述べたが、自国で生産不可能だが必須なものの輸入まで否定するわけはない。このような考え方は、「保護貿易主義」として、犯罪のように扱われるのが現在の雰囲気だが、そのような近視眼的考えを捨てて、もっと人類の将来のことを考慮に入れた議論をするべきだろう。 


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