2017年04月21日08時02分掲載
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コラム
新聞社の編集姿勢はまずは見出しに現れる 魂なき虚ろな見出しの群れ
朝日新聞のたしか「わたしの紙面批評」という欄だったように思うのだが、作家の中島京子氏が以前、こんなことを意見していた。新聞の見出しがとても大切だ、と。だから、人権が侵され得るような政治の問題は一面に大々的な見出しをドーンと掲げるべきじゃないのだろうか、と。そんな意味合いの言葉で、なるほど、その通りだと思った。
朝日新聞は広告主や夕食会の主催者である内閣(首相)などに抑圧されているように多くの読者には見えていると思う。その打たれ弱さが報道という価値を打ち出せず、逃げに徹する両論併記や何が伝えたいのかが見えない見出しに象徴されていて、中島氏がついたのはまさにその本質だったのだ。新聞社の顔がまるで見えなくなっているということである。そしてリスクのある内容は記者が署名記事で書かず、識者を外から招いてインタビューで語ってもらう。そうした新聞社の主体性のない姿勢が集約されるのが見出しである。
■最近の朝日新聞の見出しから
たとえば4月8日土曜日の朝刊の一面の見出し。
「シリア軍にミサイル攻撃 『化学兵器使用』に対抗
日本『米の決意支持』」
ここにはイラク戦争の教訓はどこにも見えない。本当にこの見出しでよかったのか。
4月19日の夕刊の1面の見出し。
「『共謀罪』実質審議入り
野党、廃案を求める」
この見出しもいったいどこの国の出来事なのか、と言いたいほど気持ちが全然入っていない。
4月19日の朝刊の一面の見出し。
「米、日米FTAに意欲
経済対話 副大統領が言及
麻生氏『地域全体のルールを」
これは日米FTAに極めて肯定的な見出しに見える。もともと朝日新聞は自由貿易協定支持の立場でTPPも推進派だった。だから、一番目を引く見出しに批判的な視座がないことは言うまでもない。TPPであれFTAであれ万事アメリカ政府の言いなりになっていることに対する批判的な視点はまったくない。
■たかが見出し、されど見出し
たとえ同じ記事だったとしてもどういう見出しの言葉を選ぶか、どのくらいのポイントやデザインで見出しを打ち出すか。それが紙面の印象を180度変えると言って過言ではない。ところが今は最も肝心な記述は記事の隅っこに遠慮がちに付け加えられているかの印象があるのだ。新聞がもっともこだわらなければならない文章がもし紙面が足りなかったら割愛されたかもしれない情報であるかのようなはなはだ弱弱しい印象になっているのである。核心的な文章が隅っこに申し訳程度に追いやられ、見出しもまた社会にインパクトをなるだけ与えないように注意深く選ばれているように感じられる。つまり、あえて読者の魂を奮い起こさせず眠らせておくように。新聞はいつから睡眠薬になったのか。と言っても新聞は民衆を扇動する必要はないのだ。ただ今社会で起きている事象の本質が何なのかを見出しはつかみとってずばり見せる必要があると言いたいのだ。それによって読者はどういう視点で記事を読んでいけばいいのかを理解するのである。もしそこが虚ろなら、記事は読者の精神に何1つ引っかかってこないだろう。
そのことは何度も書いていることだが寿司や中華料理やフランス料理を新聞社の幹部らが4年近くに渡って首相と会食してきたことと無縁ではないように思われるのだ。新聞が見出しで勝負できていない、ということである。宅配と言う制度に甘んじ、紙面で1日1日勝負していないように見える。
村上良太
■マスメディアは自社の幹部が寿司屋で首相と何をやっているのか、まずそれを書くことから
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