2017年04月25日14時09分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(230)『平成28年度版福島県短歌選集』から原子力詠を読む(1)「隠されしメルトダウンと知る朝の緋の立葵われを見下ろす」 山崎芳彦

 今回から読む『平成28年度版福島県短歌選集』(平成29年3月刊行)は、福島県歌人会(今野金哉会長)が会員である福島歌人235氏から寄せられた平成28年度の短歌作品(一人10首)を収載するとともに、福島県歌人会の概況を明らかにした貴重な年刊歌集である。昭和29年度の創刊であるからこの平成28年度版(第63巻)まで一度の中断もなく刊行されてきたことになり、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故による被災の中にあっても福島の歌人がこの年刊歌集を継続してきたことの意義は大きく、敬意を表すべきことだと、筆者は思っている。この連載の中で平成23年度版以来今回まで毎年度読ませていただき、原子力詠に限らざるを得なかったが記録させていただいたことは、筆者にとってありがたいことである。福島の歌人の方々一人一人のお名前と出会うのは懐かしい思いを誘う。いろいろとお世話になった方も少なくない。上梓された個人歌集を読ませていただきもした。原子力詠に限らず、心打たれる作品と出会うことが出来たことは、拙くとも詠う者の一人である筆者のよろこびでもある。 
 
 今回の平成28年度版の巻頭の今野会長の「発刊に当って」によると、福島県の歌壇の現状は、全国歌壇と同じように、高齢化が進む中で「高齢になり歌ができないから退会したいと申し出る方や死亡退会者が後を絶たず、会員数が年々減少しています。また原発事故に伴う避難生活が長引いていることにより、作歌意欲が湧かないという方も多数おられます。従いまして東日本大震災以降は、本選集への参加者も年々減少してきましたが、今年度に限って言えば昨年度より若干の増加が見られ、編集委員一同を安堵させてくれました。」、「本県は、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所の水素爆発という夢想だにしなかった事故に、多くの方々が未だに県内外への避難を余儀なくされているところです。また、農林水産業あるいは観光業などに携わられていた方々におかれましても『風評被害』という目に見えない悪魔に取り憑かれ、未だに原状復帰が見られない状態にありますが、それにも屈せず作品をお寄せいただきました方々にあらためて深甚なる謝意を申し上げます。」、「『あの日』から六年が経った現在…幾ばくかの復興の兆しも見えますが、中間貯蔵施設の建設遅延、居住困難区域内の学校閉鎖など辛く厳しい状況はなお続くであろうと思わざるを得ません。」などと記したうえで次のようにも述べている。 
 「私たち歌人は、こうした困難な条件の渦中において生きている一人の人間としての『真実の声』を三十一文字に込めて訴えていく義務もあるものと考えています。更には、本選集が福島県の文化向上にいくらかでも寄与し…次代に生きる人間への貴重な記録や今後における防災対策への警鐘にもなり、さらには『災害・事故の風化』にストップを掛ける大きな役割を果たすことも可能であると考えています。…本選集に込められた皆様の真実の声、切実な訴えが、後世の人たちに伝わることを願うとともに皆様の作歌意欲の更なる向上に裨益することを念願している次第です。」 
 
 このような思いが、『福島県歌人選集』の作品の多くに込められていることを考え、作品を読みながら改めて怒りを禁じ得ないのは原発事故の加害者である東京電力・国の姿勢である。「東電再建」を目指すとして東京電力ホールディングスは新経営陣を6月の株主総会で正式に発足させるが、新会長として川村隆・日立製作所名誉会長を、世耕経産相の要請を受けて就任させる新経営陣を決めたが、その経営陣が東電再建計画の大きな柱としているのは原発再稼働であり、新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働を急ぐというのである。川村新会長は4月3日の記者会見で「福島の責任を全うするためお金を稼いでいく」と強調したのだが、そのためにも原発再稼働を目指すというのだから、「地元の理解を得ながら」の枕詞を置きながらとはいえ、「福島の責任」を果たすために「お金を稼ぐ」ための原発再稼働とはどのような筋道の経営計画なのだろうかと憤りが突き上げてくる。安全神話を作りあげ、原発の危険な実態を隠蔽し、重ねてきた様々な事故を隠し続け、当然にしなければならない対策を行わなかった東電の「犯罪」の根源には「お金を稼ぐ」ためにはどんな悪事でもという経営精神があり、その結果が福島原発事故につながったのではなかったか。そして、その事故のために耐えがたく深刻な被害を受けた人々に、核放射線に汚された環境を作り出したことに、どのような責任を果たしてきたのか、果そうとしているのかを考えれば、「福島の責任を果たすためにお金を稼ぐための原発再稼働」などという東電「再建計画」を認めることが出来るはずはないではないか。 
 
 東電・政府は福島原発事故の実態、現状とこれからについて隠蔽を重ね、現在進行形の福島原発事故を見えなくし、被害者無視の「復興」図面をカラフルに見せている。「イノベーション・コースト構想」(福島・国際研究産業都市)推進会議、研究会などが踊り、「『一番ご苦労された地域が、一番幸せになる権利がある』との固い信念で、2020年オリンピック・パラリンピック開催時に、世界中の人々が、浜通りの力強い再生の姿に瞠目する地域再生を目指し」など空疎な謳い文句を事々しく語るより、いま原発事故被災者がどのように生き、何を要求しているのか、メルトダウンした原子炉を抱えたまま見通しがつかない廃炉をどうするのか、国の一方的な「避難指示解除」により「帰還」を強いられようとしている人びと、帰るに帰れない避難者、避難したくても避難できずに頑張ってきている人びとの求める「人間の復興」に国・東電をはじめ原子力関係者がどう責任を持って対応していくのかこそが重要な課題であろう。その前提には当然のこととして万が一にも福島の過ちを繰り返さないための脱原発、原子力依存社会からの脱却を実現する立場に立つことが求められているのではないか。 
 
 『福島県短歌選集』の作品を読みながらの筆者のまとまらない思いを書き連ねてしまった。 
 同選集から原子力詠を抄出し記録させていただく。 
 
除染の砂深く被りしカタクリは位置違はずに七株咲けり 
オバマ氏の折りたる鶴は逞しく今にも空に飛び立ちそうな 
被害者の肩をしっかり抱きいてオバマ氏共に苦を分ち合う 
                           (上石幸子) 
 
オバマ大統領被爆地広島訪問に核なき未来の思いを語る 
感涙に咽ぶ老いたる被爆者を大統領はやさしく抱く 
                           (我妻慶子) 
 
五年経て放射能汚染うすれしかためらいにつつ梅漬け済ます 
五年とう時過ぎゆかん現(いま)汚染土の行方定まらず町に潜むる 
庭隅に積まれ被わるる汚染土の見放されしまま時は過ぎゆく 
収穫の喜びのありし田や畑は塵置場と化し汚染袋あり 
嵩だかの汚染袋の数増して払拭の途は鎖ざせり 
帰りたい否帰られぬとう葛藤を繰返しつつ五年が経たり 
打ち込むるもの一つなき被災者に足早に迫るは老いの兆しか 
逝きましし人に告げんと海に向き想いはらさんと叫ぶ被災者 
事もなく一日の過ぎて臥す床にふと過りたる避難所のひと 
                           (阿部まさ子) 
 
被爆者を抱くオバマの長い指日本中のこころぬくめし 
                           (安倍美智子) 
 
風評を疾く払へとや明けの陽にいわきの海面いよよ煌めく 
六とせ前何に怒りて襲ひしや波ひとつなきこの蒼き海 
                           (阿部良全) 
 
落葉焚き禁じられたる福島の枯れ葉の行く手を待つ焼却炉 
                           (石幡せつ子) 
 
ヒロシマの記者に夫は爆心地の記憶を解きて語りはじめぬ 
ヒロシマの新聞に載りぬ夫の記事忘れてならぬ八月六日 
日本地図赤くぬられし活断層這いつくしおり逃るすべなき 
いつくしむ心無くししうつし世のフクシマの子の非道ないじめは 
                           (板谷喜和子) 
 
痛恨のきわみの精霊下りる如春大雪震災四年目 (三月十一日) 
次つぎに起こすトラブル原発の解せぬ釈明 四年目に至る 
わが地元三の倉にて向日葵の百万本を目の当りにす 
                           (伊藤寿恵) 
 
潮目持ついわきの海の豊饒も売れねば漁をやめてゆく人 
安全な魚なりとのメモ添へて送りくれたる老舗閉店す 
                           (伊藤雅水) 
 
原発の事故のなかりしごとくにも遠退きゆくか昭和の戦 
                           (伊藤正幸) 
 
元素記号113の発見が311に見えるわたしに 
                           (伊東ミイ子) 
 
仮設住宅の低き軒にも甘そうな干柿ならぶ師走になりぬ 
"がんばっぺ"壁いっぱいの向日葵の絵も寒かろう我を見ている 
                           (上西和子) 
 
晴れの日も「荒天により取水せず」東電今日も何か隠した? 
「このワラビ秋田産なの」 一言が五年を経てもはずせぬ現実 
                           (梅田陽子) 
 
隠されしメルトダウンと知る朝の緋の立葵われを見おろす 
川土手に摘み来し三本の白百合にナガサキの日の今日を慎しむ 
                           (梅津典子) 
 
原発の事故より四年余へたれども庭の柿の実人に勧めず 
原発の事故とは知らず空高く上がりし白煙を庭より見放けき 
                           (海老原 廣) 
 
データ放送にけふの風向きたしかむる慣ひも五年ふくしまの夏 
放射性物質飛散防止剤撒かれて事故炉の覆ひ外さる 
ふるさとは人住めぬ町けふは来て流されし駅の解体を見つ 
駅舎なき駅なれど眼にはありありと帰省を待つてた父甦(かへ)りくる 
十五年生きて避難も共にしたまなこの青きルルといふ猫 
霜深くしらめる朝よ今はもう戦前つぎの原発事故前 
悔いのなき生を生きたし梅の蕾きのふよりけふ咲(ひら)くる多し 
                           (遠藤たか子) 
 
ポリタンクに水を満たせる日の無きを願ひて記す三月十一日 
ポリ容器大小持ちて水を待つ若き家族がひとつとなりて 
賜れる水の重さを押して行く乳母車揺るる嬉しき水を 
猪の出でくる丘になりたるは何のゆゑにか無惨に掘らる 
セシウムの半減期など思ひつつ竹の穂先の若葉を見上ぐ 
                           (遠藤浩子) 
 
ふぶくなか除染作業の始まりぬ段取りの声きれぎれ聞こゆ 
そちこちの除染の済みし土光る光らぬ山林田畑はいかに 
震災後人口の減りしわが町をいつとき賑はすヨサコイまつり 
回りこむ雨に濡れつつ被ばく量計る装置のバスに乗りこむ 
                          (遠藤雍子) 
 
原発事故より五年半経てやうやくに甲状腺ガンのシンポジウムあり 
震源地福島沖と聞くのみにいまだ彼の日の恐怖甦る 
福島のあはれ原発事故ゆゑの後遺にて思ふがままに復興進まず 
警報と注意報とのけぢめなく白き津波が川さかのぼる 
昼夜なくつづく余震の恐怖にて煮炊きも風呂も短く終わる 
                          (大方澄子) 
 
ふたたびの庭の除染に移植せし八重の十薬けなげに咲きぬ 
                          (大川原幸子) 
 
「今すぐに逃げて!」の声が連呼する警告つぐる朝のテレビは 
人住めぬ浪江の町のをちこちを自由気ままに猪豚(いのぶた)駆くる 
除染土の埋めらるる庭とも知らずして缶蹴りごつこを子らはしてゐつ 
第二原発「3号機停止は正常」と東京電力説他機には触れず 
首都圏に避難の中一生徒らよいぢめに負けず生きて見返せ 
                          (大槻 弘) 
 
掘り上げし筍の皮手に痛し放射能検査に今日持ちて行く 
                          (大和田和子) 
 
測るだけ測りて除染せぬ庭にアスパラガスの伸びくるを待つ 
                          (岡田 稔) 
 
震災に五年放置の「ひたち号」クレーン車の吊りて撤去す 
「特急ひたち」撤去されたる待機線あらはに錆びて遠く波立つ 
原発事故の幾つかの駅名なつかしく壁に古びし運賃表読む 
原発被害に上り電車の発着なき三番線ホームに春の日の差す 
避難地に残り或いは入院してこの夏わが界隈に空家七軒 
解禁日の暁早く鮎釣りに賑はひし川原も被曝して失ふ 
                          (奥山 隆) 
 
二晩を野宿しながら逃れしと原発事故後の友は語りぬ 
                          (小貫信子) 
 
3・11に避難の人らひしめきしペンション村に人かげを見ず 
                          (小野木正夫) 
 
セシウムの影響ならんこの秋も蜻蛉の姿あまり見掛けず 
                          (加藤次男) 
 
日常の一部と化して黒色のフレコンバッグは孤独死を待つ 
                          (金澤憲仁) 
 
立入りの許可得て秋分の日を集ひ日隠(ひがくれ)山の入り日待ちをり 
震災の後をはじめて日隠の山に沈む陽防護服着て待つ 
線量を怖れて五年の禁漁が解かれし沼沢湖に釣り竿出す 
潮の香のとどかぬ街にのがれ来て終の地ならむ母とわれらの 
紙コップに味噌溶き飲みし避難所の結婚記念日語り栓抜く 
                          (鎌田清衛) 
 
原発に荒れし田んぼに茅の穂ゆれて冬の夕陽は静かに沈む 
原発にも避難は出来ぬと頑なに牛飼ふ夫は牛舎見廻る 
牛飼ひの夫を置いては避難はならず吾れも牛舎に黙して向かふ 
夕暮れの牛舎は静もりて廃牛の鳴き声だけが耳に残りて 
                          (蒲生君江) 
 
五年振りのあさりの漁に活気づく試験操業の松川浦は 
あさり採りの取材を受くる漁師等の表情明るくテレビに映る 
五年振りに旬のあさりを味わいぬ松川浦の潮の香たちて 
昼どきは復興丼で忙しかり暖簾おろして飲む茶の旨し 
金色に光る相馬の海凪ぎて原発汚染は悪夢のごとし 
                          (菊地ヤス子) 
 
 
次回も『平成28年度福島県短歌選集』から原子力詠を読む。(つづく) 


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