2017年05月09日23時50分掲載
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医療/健康
夜勤ナースの独り言(38)
既にお話ししたとおり、昨年5月上旬は、脳腫瘍を患った夫が経営する飲食店の手伝いと、夫を見舞いに東北からやってきた義父母の世話などで非常に慌ただしい生活を送り、私は溜まりに溜まったストレスのために倒れてしまいました。
病人を看病または介護している患者家族が倒れると、事態はより深刻になります。高齢者や子どもを介護・看病している患者家族の疲労が溜まった場合は、一時的な患者家族のレスパイト(休息)として、施設や一時保育に預ける手がありますが、患者家族が倒れるに至った場合は、そういう逃げ道があまりありません。
今はインターネットが普及しているので、インターネットを介した患者同士・患者家族同士の交流や情報交換も盛んで、昔と比べると精神的な支えは得られやすいのかもしれませんが、そのような仮想空間でなく、現実世界において自分の周りに頼れる機関があるのか無いのかは、住んでいる地域によって変わってきますし、地域格差や住民同士のコミュニティ形成の度合いなどによっても差が生じます。医療従事者である私でさえも「相談する相手がいない。頼れる相手や機関がない」ということには一番困らされました。
よく「夫婦は互いに支え合って」と言いますが、片一方が倒れたり、夫のように病気で正常な判断ができなくなった場合、残り一方が2人分の仕事を背負わなければならなくなります。特に引っ越しは大変でした。夫は、昨年5月末の引っ越し直前に脳浮腫が酷くなり、東京の病院に緊急入院してしまったため、「S県からの引っ越しは私1人でやらなければならないのか」と焦りましたが、幸いなことに「元トラック運転手」という異色の経歴を持った看護師の女友達1人の協力を得ることができたので、なんとか荷物の搬出入ができました。
引っ越しを終えてから6月の手術当日まで1か月近くありましたが、その間も、術前の検査に通ったり、主治医と面談をしたり、麻酔科の医師から説明を受けるなど、やることはたくさんありました。
夫の症状は日に日に悪くなっており、歩いている最中に頻繁に眩暈が出るようになったり、脳腫瘍は左側にあったために右半身がいきなり痙攣を起こして立ち尽くしてしまったりして、歩く速度は異常に遅くなりました。まだ40代なのに高齢者のようでした。そして「夫は病気なんだぞ」と分かっていましたが、同じ内容の会話を繰り返されたり、歩くスピードが遅いとイライラしてしまうこともありました。夫は、常に付き添いが必要な状態だったのですが、そのような状態が24時間も続くと、看護師として経験豊富な私もさすがに滅入りました。「夫はもしかしたら手術で回復するかもしれないけれども、介護は先が見えない・・・それが将来の自分なのか・・・」なんて暗い妄想しかできませんでした。
人間って、落ち込んでいると、光明も出口も見い出せない道を毎日歩いているような気持ちになり、食事も美味しくありませんし、日常の景色も常に黒ずんで見えます。極端かもしれませんが、本当に追い詰められている人間は「世界で一番自分が不幸」と考えがちですし、他者の意見を聞く余裕もありません。
でも、今振り返ると、それが正常だったのだと思います。自分がつらく落ち込んでいること、大変だということを自分自身が一旦受け入れることで、心を切り替えることができ、人生の次のステージへと進めるからです。(れいこ)
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