2017年05月16日17時21分掲載
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文化
[核を詠う](232)『平成28年度版福島県短歌選集』から原子力詠を読む(3)「たやすげに復興といふくちびるの動きをぢつと見てゐる梅花」 山崎芳彦
「平成28年度場福島県短歌選集」から原子力詠を抄出し記録してきたが、今回が最後になる。今回読む作品の中に、福島原発事故の被災が人々にもたらしている苦難の実態、真実が、まさに人間が「生きる」上でいかに深刻なものであるかが明らかにされている。政府や東電が言う絵空事の「復興」宣伝ではなく、人々の生きる条件、さまざまなことがあっても人として家族や地域の仲間とともに生きていく環境が破壊されていることの底知れぬ深刻さを福島の詠う人びとは、まさに今を生きている現実の中から「人間の復興」を求める短歌作品を紡ぎ出している。「震災前九人住みゐしわが家族いまは離散す桜花舞ふ」(吉田信雄)、「百四歳の母は逝きたり原発に逐はれしふるさとひたに恋ひつつ」(同)、「避難せる子等が各地で『菌』呼ばわり殴るにも値せぬ人が居る」(横田敏子)、「汚染土に米の作れず農終る避難の果てに夫も逝きたり」(山崎ミツ子)、「福島の惨事なきがごと次々と再稼働さす愚か者たち」(守岡和之)…多くの「人間の声」は、響きあい重なり合って多くの人びとに届けと、原子力社会からの脱却を呼び掛ける。
3・11から丸六年を過ぎて、原発事故の被災者、再稼働が進むことでの「未来の被災者」も含めて、さらに原子力社会に生きることを強いられつつあるこの国の人々にとって、いま福島に起きていること、起きようとしていることは、福島だけの問題ではない。「福島復興の加速」をお題目のように言う政権のもとで、いま福島の被災者は避難指示地域とされた地域への「帰還」そのものを目的にした強制ともいえる政策によって、実質的に再び居住の自由、移動の自由を奪われつつある。「避難指示の解除」によって、避難させられた人々に対する賠償や支援が打ち切られることになっていく。無害化するすべがないままの放射性物質の脅威が政策的に「危険基準」が裾切りされ、さまざまな手法を使い、あった筈の被害がなかったことにされようとしている。そのことは、避難指示地域であったところだけにとどまらず、核放射能の危険性を見えなくさせ、日本中を「核無法地帯」にすることにつながるに違いない。福島で、放射能の影響を本当に心配しないで生活できる環境が破壊されていること、後追いの理屈で核放射能にかかわる規制、基準が底抜けになるとすれば、それはこの国の核放射能についての環境基準の底を抜くことにつながるに違いない。一般公衆に関する放射線量限度1ミリシーベルトが福島の避難指示地域解除に当って20ミリシーベルトまで「緩和」していること、あるいは原発の廃炉で出る廃棄物の再利用基準がこれまで100ベクレル/㎏以下と定められていたのを、その80倍の8000ベクレル/㎏以下とする基準を新たに設けて除染などで出た土(汚染土)などの再利用(道路の盛り土など公共工事など)ができる一般廃棄物とすることなども決められている。放射能汚染土がいろいろな形で各地に拡散されることになる。その他さまざまな施策が企まれている。
読んできた福島歌人の作品は原発に古里、生業、仕事場を奪われ避難せざるを得なかった人々、避難指示区域ではなくても放射能汚染による様々な影響を受け放射能などの心配をしないで暮らす日常を奪われ、実生活に苦難を押しつけられた人々の思いは、一色ではなくても、原発事故の深刻な災厄に苦しんでいることを深い心、感性で表現している。
それに対して政府・電力事業者を中心とする原子力推進勢力は、原発事故の原因や責任を明らかにせず、「福島復興の加速化」を言いながら、「原発への回帰、原発復興」の道を急いでいるのである。
そして、「福島の復興推進」政策の大きな柱として、「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」を打ち上げているが、それは「福島原発を中心に回ってきた地域は、今後は廃炉事業も含む原子力事業に依存しなければ成り立っていかない」とでもいうような復興策だ。福島原発・周辺地域には「国際的な廃炉研究開発施設」を構築し、燃料デブリの取り出し・保管・処理の研究をはじめ、原発廃炉の手法などの研究、技術開発などを中心にした、「原子力研究施設」や関連産業の拠点にするなどと言うものだが、どれほど美辞麗句で飾ったメニューを並べても、原発エネルギー依存社会、日本各地での原発稼働を続けながらのこのような「廃炉研究」を名目にした原子力推進拠点としての「復興」など、原発事故によって塗炭の苦しみをなめさせられている福島の人々にとって受け入れられるはずはないだろう。原子力社会からの脱却、脱原発を明確にしたうえで、原子力からの安全確実な脱却の手段をこそ研究し、実現のプログラムを構築し、具体的に進めることこそが求められ、それを為しうる新たな力の結集を、困難な道筋ではあっても実現しなければならないのだと思う。
また、筆者の雑駁でまとまりのない思いを書き連ねてしまったが、お許しを願い、『福島県短歌選集』の原子力詠を読み、記録したい。
"故郷"となりゆく陸奥わが性の意(こころ)を土地の恵みにつなぐ
震災後五年の経つ日"復興"と新土に家庭菜園耕す
震災の記憶をつづる言の葉の遺さむ術を短歌(うた)の雫とす
(永塚 功)
原発の事故が閉ざしし六号線開通なりしに行きて確かむ
人住まぬ大熊町の不気味さよ白き芒穂怪しく揺るるを
被曝者の心なんぞは知らぬげにでんと居座る汚染土の山
この夏も汚染土の山隠さむか庭中這はす夕顔の蔓
セシウムのたつぷり含む枇杷の実を食みしゆゑにかよろめく鳥ら
セシウムの無き庭戻るは何時の日ぞ朝採り野菜の味を思へば
(波汐朝子)
闇深き福島の地にわが生きて歌を吐くなり火焔吐くなり
捨て場なき汚染土積まれ風立てば一人歩きの脚出でそうな
原発事故 福島でよきと言われしを言い返しつつわれの口燃ゆ
セシウムに負けぬ歌欲し春風のさやさやと起つ愛の一首が
福島に未来はありやフクシマの奥処ひらかん我がノックぞや
原発の安全神話に招かれて君らの繁栄 われらの貧困
被災後の銀杏黄葉 今ひとつ燃えよ起てよと揺すぶってみる
(波汐國芳)
亡き母の思ひ出の花確かめて除染のための準備進めぬ
魚住める渡良瀬川を眺めつつ田中正造に思ひ及べり
(西田和子)
除染して二年目の庭に野路すみれのうすむらさきの還り来たりぬ
オバマ氏の原爆慰霊碑訪問の大英断を高く評価す
(野中フヂ)
身知らずは身の程知らず鈴なりて除染されたる中に熟れゆく
広き田に稲杭わずか残りしは自家用米かと車窓より見過ぐ
(芳賀晃子)
埒あかぬ原発補償はあてにせじもとのきれいなわが畑返せ
核の実験成功せりと北鮮の男の拍手に目をそむけたり
(橋本はつ代)
田を均しプレハブ棟の立ち並び車溢れて明りの灯る
隣村の除染へ通う四百人まなかいに建つプレハブに住む
住民ら反対するも解除なる特定避難の百五十二戸
種まきも育苗もなき春五たびコブシの花は今年も咲(ひら)く
若き日に伊豆で求めしサボテンは除染作業の後に萎るる
流出すフレコンバッグは四百袋背筋の寒い事のつづきぬ
五年目の秋に代掻きしたる田は春の作付け再開を待つ
年賀状に「家を建てた」とおってがき産土すてる避難者の増ゆ
(原 芳広)
原発事故にて蟻のごとくに離散せし友の居場所を地図にて調べぬ
一時帰宅すればかつての車道すら草の茂りて人も歩めず
避難して不安な日々の五年来る住む家決まらず心決まらず
事故原発のゴミ又汚染らの処分四十年と聞くが知る人ぞなし
先祖より屋敷田畑墓までも棄つと思えば怒り込みあぐ
(半谷八重子)
はや五年風化感ずる日々なれど三・一一われは忘れず
虎杖の花一面に咲く峡の休耕田を見るは寂しも
(古川 祺)
除染後に客土入れたる所より萌ゆる新芽よ杉菜の子ども
(古山信子)
除染後の乏しき庭を彩れる日没に淡きみそ萩あかり
(星 津矢子)
たやすげに復興といふくちびるの動きをぢつと見てゐる梅花
福島の福とし言はむさいはひの福寿草の花 くがねのいのち
遠ざける さへぎる そして管理する。蔑されてゐる福島の土
(本田一弘)
透明な時の流れも放射線量もそのままにしてあの日また来る
除染後も人住まぬ家の合歓の木のぼうっと立ちおりあれから五年余
(本田昌子)
朝よりわが庭除染する人等に氷雨寒からむと熱き茶振る舞ふ
(三浦愛子)
五年ぶりに夫は菜園耕せりわが家の庭は活気あふれる
(三田享子)
山峡の狭き平にわが里の汚染土の入る袋積まるる
(宗像友子)
除染にて山砂まきし庭なれど季には芽を出し花咲きくるる
除染工事の終りて砂の白冴えて庭に鮮やかな水仙ひらく
飯舘の避難解除は先のばし村民の気持はかりしれずや
(村越ちよ)
福島の惨事なきがごと次々と再稼働さす愚か者たち
ご注進福島原発の〈核のごみ〉は国会議事堂の大深度地下に
ふるさとを東電に追われて五年十三ヶ所を避難してあるく
原発に古里追われ転々と義母の遺影五年携えあるく
何ゆえに東電に追われ五年間も避難生活が日常となるとは
ふるさとは遠きにありと言うものの原発に弾かれ無くなってしまえり
読み返す『一握の砂』に涙する原発に追われ六年になるも
三月は旅立ちの時節はからずも東電に奈落の底に落され六年に
(守岡和之)
除染中とう赤き字の看板道に立てわが住む地区の除染始まる
丁寧に仕事進める男性五人地元と異なるアクセントで話す
犬走り雨樋洗浄表土剥ぎわが家は四日で除染終了
除染とう虚しき仕事吾が住める福島にありいつか晴れるや
(森谷克子)
田や畑の作付不可能の跡地にてソーラーパネル数多備はる
(柳沼喜代子)
首高く上げし重機に倒さるる母屋の柱の軋みたる音
ふる里の家解体の機械の音耳に残りて今宵は寝つけず
朝より家解体の音ひびく地域崩壊の音とも聞こゆ
宅地田畑荒れ果て先はどうならむ人の戻らぬ地域となりて
汚染土に米の作れず農終る避難のはてに夫も逝きたり
いただきし玉ねぎ小さき芽を出しぬ仮設に六度目の新年迎ふ
放射能を逃れて五年ふる里の海の音恋ふひとり仮設に
語り合ひ菓子を分けつつ過ごし来し仮設に五年をしみじみ思ふ
福島産は食べないと云ふ人居れど子孫に送るりんご一箱
新しき電化の家に馴染めぬと仮設に戻り来他人ごとならず
(山崎ミツ子)
止りたるままの時ありふるさとの「彼のとき」と言ひ時を取り出す
いまだにも燃料デブリをさぐり得ず水にあらざる水増えてゆく
メルトダウンの処理もかなはぬ第一原発(イチエフ)の建屋にふぶくさくらはなびら
ふるさとは痩せてしまひぬ除染されいろもかをりも失はれゆく
ふるさとの三万坪の土地逐はれたかが百坪求め得ざるを
(山田純華)
何事もなき表情の胸底に深き刺し傷いくつフクシマ
あまりにも傷深きゆえ原発は触れず詠ぜず五年(いつとせ)過ぎぬ
無知なりし己の後悔尽きざるも知らされざりし放射能の害
波立たぬ水面の底に潜みいる放射能汚染のわかさぎ・うぐい
数知れぬフレコンバッグ朽ちるとも心の痛手は消ゆることなし
(油座美弥子)
今世紀にだあれも居なくなった町突然出現わがふくしまに
野積みさるるフレコンバッグ朽ちゆかん被災の町に五年を眠る
多分もう還らぬ家か除染済む町に崩れしままの家、家
避難せる子等が各地で「菌」呼ばわり殴るにも値せぬ人が居る
生きる力空より賜う原発事故に打ちのめされしかの日も今日も
(横田敏子)
放射能うすれし納屋の軒下に吊した柿は飴色になる
(吉田竹子)
原爆忌地球の裏はオリンピック戦と平和の織りなす現実
(吉田直峯)
ふるさとのわが家も田畑も写りゐる廃炉作業のニュース画面に
原発禍まで長く住みゐしふるさとの日々のたつきも朧となりゆく
震災前九人住みゐしわが家族いまは離散す桜花舞ふ
山に入る田に畑に入るかかること恋ほしき五年避難地に住む
原発の見ゆる野川に攩網(たも)を手に孫らとざりがに追ひしかの日よ
壁に掛くる家族写真もありなしの風に揺れゐるここは避難地
百四歳の母は逝きたり原発に逐はれしふるさとひたに恋ひつつ
ふるさとを逐はれ他郷にわが家は新築中なり心逸らず
隣り合ふ人らも知らで避難地に住まひて五年余傘寿を迎ふ
(吉田信雄)
線量の低くなりしと古里の身内の作る野菜みづみづし
(吉田雅子)
原発に避難余儀なく札幌へ帰りこし友と話の尽きず
(渡部愛子)
除染土の中間集積所決まりしと新年会に議員言ひたり
(渡辺千絵)
古里の景変はらずも放牧場に草食む乳牛(うし)を見るはできずに
あの日より五年余過ぎし空きの牛舎仔牛(うし)の出荷日はつきり記されし
諦めも運命なりと思ひつつ空きし牛舎の解体と決めし
初生りの赤きトマトに日を反し眺め楽しむ仮設の狭庭
吾が小高解除指示より五ヶ月後今だに迷ふ寒風の吹く
(渡部豊子)
「帰還者数」「放射線量」「汚染水」あまた紙面に並びて久し
水洩れに急場しのぎの格闘すいくたの機能の試さるる日日
廃炉への道は遠けくデブリなる魔物はいまだ未知の塊(かたまり)
粉砕の戦略あれどレーザーの光あたるはいつの日ならん
大輪の牡丹咲かせんと土起こす中間貯蔵の地となりゆくに
実るともすべてを土に返すとうナス苗植うる十六本を
三十八都道府県に避難せし人等つながんと送る写真誌
(双葉町発行の写真誌は避難者全員に配布)
「懐しい!」写真をなでる指先に孫と渡りし双葉の橋は
土中深く埋めし家畜掘り起こし焼却という安らかにあれ
(渡辺美輪子)
『平成28年度版福島県短歌選集』から、筆者のつたない読みによって原子力詠を抄出、記録させていただいたが、まことに真摯に生きながら短歌を詠み続けている福島歌人の作品を読ませていただいたことに深く感謝しつつ、平成28年度版選集については今回で終る。
次回からも原子力詠を読み続けたい。 (つづく)
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