2017年07月02日13時56分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201707021356000
コラム
空気を醸成するメディアの選挙報道 フランスと日本
今年、フランスの大統領選挙や国会議員(国民議会=下院)選挙を観戦して感じたのはフランスのマスメディアでも選挙運動期間におびただしい当落の予測が出され、選挙の結果が多少なりとも影響されているのではないか、という印象を受けたことだった。その象徴がエマニュエル・マクロン候補の大統領当選のケースだ。投票日の前から、万歳をしているマクロン氏の写真が掲載された雑誌のポスターが新聞スタンドの壁に貼られていた。そこには「彼は賭けに勝利した」「驚くべき選挙キャンペーン秘話」などのキャプションが躍っていた。
さらに6月の国会議員選挙の時も、投票日の何週間も前から早々とマクロン新党のRepublique En Marche ( REM )の圧勝を予測する記事がたくさんメディアを飾り、今はこれがブームだというブーム感を醸成していたように思う。与党の社会党についてはマニュエル・バルス前首相自身が大統領選挙の投票前に造反を起こし「社会党は終わった」と発言し、大々的に新聞の見出しを飾ったことも忘れがたい。バルス首相はこれからの時代はマクロン新党の時代だというメッセージを出したのだった。
実際のところ、右でもなく左でもなく、と既存の「社会党」と「共和党」という左右両政党の政治体制を抜けて新党を立ち上げたマクロン候補の狙いは鋭かったが、マスメディアが相当に持ち上げて応援していた印象もある。その一方で既存2大政党の受け皿と当初目されていた極右の国民戦線のマリーヌ・ルペン候補と左派のジャン=リュク・メランション候補を中心とする「服従しないフランス」については相当に厳しい報道が多かったのではなかろうか。
マクロン新党のグループで当選しそうな国会議員の議席の見込みは当初は577議席中、350議席から400議席くらいまで行きそうと報じられ、それ自体が大きな驚きだったのだが、さらにエスカレートして400議席から450議席は行くだろう、というような見込み報道も出た。実際の選挙結果はマクロン新党のREMとそのグループの合計は350議席だった(REMだけに限れば308議席)。
去年、ゼロから始動した政党が1年弱で行政府と立法府の過半数を制覇してしまったのである。その国会議員候補者の多くは政治初参加か、社会党や共和党から移ってきた人々で構成される。著名なジャーナリストのエドウィ・プレネル氏は「マクロン新党ならロバでも当選できる」と揶揄した。決して、政界に新しい人が参入するのが悪いわけではない。問題は風が吹いているというだけで候補者一人一人の情報を精査しないままに新党に投票した人が少なくなかったのではないか、という可能性である。日本で言えば・・・チルドレンと呼ばれる現象である。
これらはメディアの報道と世論調査会社による調査データの関係が複雑で、どちらが原因でどちらが結果とは明らかにできない気がする。高い支持率にはある種の実質もあるに違いない。しかし、同時にメディアと世論調査データが結果的にさらなる世論をリードし、その閉ざされたサイクルになっているようにも感じられた。
ただ、フランスの場合は選挙が基本的に2回投票制になっていて1回目の投票で有効票の過半数を得た候補者がいなければ決選投票が行われる。だから、世論調査の数字は1回目の投票で自分の推した候補者が敗退した有権者が、2回目の投票の時に誰を支持するかを考える参考にはなる。フランスではできるだけ民意を汲んでより「ましな」候補者を有権者が選べるようにデザインされているのだ。だから、絶対に当選させたくない政党とか候補者がいれば2回目の決戦投票では多くの有権者が結束してたとえその対抗馬が自分の支持政党であろうとなかろうと嫌いな候補者の対抗馬に一斉に投票する。その意味で世論調査はフランスの選挙システムに組み込まれているとも言える。国会議員選挙の場合、1回目の投票で選挙区の有権者数の12.5%以上の得票率があれば決選投票への出場が可能になるため、二者対決でなく、三者対決になる時もある。だから有権者は世論調査の数字を見て複数の対抗馬の中でも勝てる候補に票を集中するのだ。
しかし、投票が一回きりの日本でもフランスと同様に選挙前に世論調査で何%かという数字が最大の関心事であるかのように大々的に報じられる。肝心の個々の政治家の政策や人間性、あるいは個々の政党や政治グループの政策の違いなどはイマイチ有権者に具体的にわからないことが多いのではなかろうか。メディアがするべきことは個々の政治家や党首たちの建前や公約と、過去に実際に政治家や職業人として行ってきた政策や言動との照らし合わせである。選挙運動で掲げられている言葉だけでなく、実際に候補者がどういう人間性なのか、どのくらい政治の見識を持っている人なのか、これまで何をしてきた人なのか、といった正確な情報の提供ではないだろうか。たとえば台湾の場合、有権者の家々に、そして有権者全員に投票前に大きな紙が自治体の選挙管理委員会から届くのだが、そこには詳細に候補者全員の政策や業績が一覧になっていて、それだけでも相当の情報があるのだ。
本来メディアの役割はそれらの検証であり、冷静に有権者が選択をするための基本情報を提供することにである。世論調査の結果の数字で「空気感」ばかりを醸成して、メディアは自ら作った空気を自ら「すごい」と報じているようなメビウスの輪の状態に陥っていないのだろうか。選挙の投票前に、マスメディアが「検証する」という本来の役割を放棄していることが、今日のおびただしい政界のスキャンダルや失言、さらには憲法軽視や国会軽視という悪しき結果を生み出しているように思えてならない。
村上良太
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。