2017年07月03日12時21分掲載  無料記事
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コラム

安倍総裁の歴史的失言 「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」

 東京都議選最終日の7月1日の午後、東京・秋葉原の駅前に安倍首相が現れた時、異様な光景が出現していた。自民党候補者のために設けられた演説の場の近くに、安倍首相に批判的な人々も押し寄せ、「帰れ!帰れ!」あるいは「安倍辞めろ!安倍辞めろ!」というシュプレヒコールがこだましていたからだ。安倍首相はこれに腹を立て、叫んでいる人たちを指さしながら、「こんな人たちに負けるわけにはいない!」と叫んだ。この言葉はこのシーンを現地であれ、ビデオ中継であれ、見た国民の心に衝撃をもって刻まれたに違いない。安倍首相は「憎悪からは何も生まれない」と非難していたのだが、当の安倍首相自身が敵意と憎しみを見せてしまったのだった。 
 
  安倍首相の到着前に経済再生担当大臣の石原伸晃氏が前ふりで、「演説自体を邪魔する」人々、「反対だけをする人たちがたくさんやってまいりました」と批判し、これは「ある意味で民主主義を否定いたします」と語った。このような事態に陥った理由は国会で一連の疑惑に対してきちんと野党の質問に答えず、また共謀罪でも委員会採決をすっ飛ばして共謀罪の強行採決を行うなど、内閣が国会を軽視したことにある。しかも、臨時国会の開催も否定したままだ。だから国会で自分たちの主権が侵害されていると感じた人々が安倍首相に抗議の意思を示すために、秋葉原に集まったのではないか、と推察される。 
 
  また、人々が秋葉原に集まった動機には政治を伝える日々のマスメディアの報道に納得できない、という不満も込められていたのだと思う。これらのマスメディアの幹部たちは首相との夕食会で懐柔されている、と人々には思われているのだ。さらには国会終了後に開いた首相の記者会見もすべてシナリオありきの茶番だったことが露見した。安倍政権が民主主義を軽視している事に人々は怒っているのである。国会もマスメディアも異常事態になっていると感じたから人々は、自分自身を代表できるのはもはや自分自身しかない、と絶望の思いで秋葉原に集まらざるを得なかったのではなかろうか。恐らくはそれらの人々とて反対を叫ぶだけでなく、可能であるなら1人の国民として首相と納得のいく議論がしたかっただろう。(筆者は現地にいなかったので、これらは筆者の推察だが)それに対して安倍首相が放った言葉が「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」だった。国民の批判に耳を傾けるのではなく、逆に徹底的に闘うという権力者の意思を見せた瞬間だった。 
 
  このことは共謀罪法案が東京オリンピックのテロ対策と治安維持のために導入されるのだ、と内閣が説明していたことに改めて、多くの人々に疑念を感じさせたのではないか。むしろ、共謀罪はこれら抗議する人々を弾圧するためだったのではないか、ということである。石原伸晃氏は「ある意味で」と前置きをしながらも、抗議に現れた人々を「民主主義を否定」する行為だと指弾していたからだ。 
 
  自分たちに反対する人々を民主主義の敵と呼ぶ姿勢は自民党に一貫している。また表現の自由に基づく政治的訴えの1つの形態であるデモをテロと同一視している傾向もある。2013年の特定秘密保護法制定の時に石破茂幹事長(当時)が国会周辺でのデモを非難し、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」とブログに書き、デモをテロ行為と同一視したことや、特定秘密保護法の「テロ」の定義に「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し」という一節をつけたことに象徴的に現れている。政府が国民に「強要」しても罪に問われることはなく、問われるのは一般の国民の「強要」だろう。秋葉原の演説では政府が敵視しているものが何か、それが垣間見えた一瞬だった。 
 
   自民党の議席は23議席と過去最低になってしまった。想像をはるかに下回る数字だ。もし安倍総裁の7月1日のダメ押しのような一言さえなければ自民党は35議席くらいは獲得できていたかもしれない。 
 
 
村上良太 


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