2017年07月11日18時28分掲載
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政治
フランス社会党 ブノワ・アモン前大統領候補者が脱党宣言 新左翼運動「7月1日」を語る
揺れるフランス政界で甚だしいのは社会党の後退だ。オランド大統領とバルス首相の不人気の影響で2017年の選挙は悲惨になるとあらかじめ織り込み済みだったが、想像以上に崩壊現象が進んでいる。
まず党首だったジャン=クリストフ・カンバデリス氏が選挙の敗北の責任を取って辞職した。さらにマニュエル・バルス前首相は「社会党は終わった」と大統領選の最中にメディアに語りマクロン氏を応援したことで、社会党支持者の怒りを買った。バルス氏は6月の国会議員選挙では社会党の支持が得られず、対抗馬の左派候補にぎりぎりの僅差で辛勝した。と思いきや、選挙のカウントに不正疑惑があると訴えられ、現在、得た票数の検証過程にある。前首相としては屈辱だろう。そして今、大統領選の候補者だったブノワ・アモン氏が社会党からの離脱を今月1日、パリ12区のルイイで宣言した。大統領選予備選の最終候補者が2人とも社会党を去るという異例の事態となった。
アモン氏は「社会党を出るが、社会主義を捨てるわけではない」と語り、私的に社会主義を追求するつもりだ、と集まった人々に語った。アモン氏は4月の大統領予備選では得票率が約6.4%と過去の社会党候補の中でもひときわ低い数字となった。同じく左派の候補で「服従しないフランス」のメランション候補が約19.6%と善戦したのと対比された。もしアモン候補が退き、メランション候補で一本化できればメランション候補が2回目の決戦投票に残れた可能性があった。その場合はメランション候補VSマクロン候補か、メランション候補VSマリーヌ・ルペン候補となっていただろう。世論調査でも事前にアモン候補惨敗の予測が出ていたが、アモン氏は撤退しなかった。その理由がどこにあるのか、訝しんだ人も多かったはずだ。
アモン氏は社会党の中でオランド大統領を批判するフロンド派(Frondeurs )と呼ばれるグループに属し、社会党の左派に位置した。同じ社会党による政権だったが、オランド大統領が抜擢した社会党右派のバルス首相や金融界出身のマクロン経済大臣らの新自由主義的政策にフロンド派議員たちは反対していた。今年1月の社会党大統領選の予備選で、2012年の選挙公約を果たさないオランド大統領の政治に批判的な社会党員の票を集めてバルス前首相を決選投票で破り、大統領候補者に選ばれた。だから、たとえ大統領選で敗退してもアモン氏は社会党を立て直すのではないか、という観測もあった。ところが6月の国会議員選にも敗れ、7月1日には社会党からの離脱を発表したことで社会党支持者の中には社会党がバラバラになり、結果的に小選挙区制の選挙制度の中でますます力を失っていくのではないか、と心配する人もいる。
バルス氏であれ、アモン氏であれ、党を代表して大統領選挙に出馬しようとした者たちが1年とたたぬうちに党を出ていく、ということに社会党支持者の人々は愕然としているのではないか。とはいえ、アモン氏には周囲の空気を読まない一種の強さがあり、ファンも少なくないようだ。「次の選挙みたいな小さなことはどうでもいい、21世紀の社会主義をどうするかだ」と呼び掛けて群衆から拍手を得ていた。今年の秋から「7月1日」の新左翼運動を始動していきたいと言う。
■アモン氏の「社会党からの離脱宣言」7月1日
https://www.youtube.com/watch?v=pBLcHb3wmDk
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