2017年07月23日15時03分掲載
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コラム
ポスト安倍時代のNHK その存在意義はどこに? 解体・分割・縮小化も
NHKはこの5年間、安倍チャンネルと揶揄されるほど権力の下請け機関と化した印象があります。国民から受信料を徴収しながら、国民の意向に答えていないように思えるのです。大切なことは国政の重要な事柄に対して正確な情報を素早く出していくことにあります。そして必要があれば政権批判も臆さずする必要があるはずです。それが権力を監視する報道機関の最も大切な役割です。ところがNHKは臆面もなく、その正反対の道を進んできました。
そこでポスト安倍時代にはNHKはなぜ必要なのか、その意義の問い直しが必要です。NHKと政権の距離も問い直さなくてはならないでしょう。場合によっては解体あるいは分割・縮小化も検討する必要があるのではないでしょうか。たとえば国民が重大な関心を寄せている時に国会中継がなされなかったことが多々ありました。また、前回の国会閉会中の加計問題の審議(7月10日)では国民の関心度の高かった森裕子議員の質問シーンの中継がカットされるということも改めてNHKの存在意義に疑問を突き付けたのです。放送局で最初に撮影したはずの前川喜平前文科省事務次官のインタビューも握りつぶしてしまいました。7月1日の都議選の首相の秋葉原での演説ではデモにやってきた人々の声を消して首相の言葉だけに絞って放送したと聞いています。これでは単に演説の言葉しか伝わらず、その時の演説の場が持っていた重要な意味合いが国民に伝わりません。さらに少し遡れば共謀罪を強行採決して国会を閉じた直後の6月19日に行われた安倍首相の記者会見は最初からシナリオありきのセレモニーに過ぎませんでした。おまけにその直後に首相に近しい政治部の職員が解説に出てきて首相を高く評価する始末です。このように政府の言いなりになっているようなNHKは存在する意義があるのでしょうか。国民の意識から大きくずれている放送局です。
NHKには地上波の2チャンネル以外にもBSにはたくさんの放送チャンネルがあります。これらの番組は本当に必要なものでしょうか。中には民放に任せてよいチャンネルもあるのではないでしょうか。むしろ、本当に国民に必要な国会中継を割愛してまで、それらのチャンネルを抱える意味はあるのでしょうか。また政権の人々がしゃべりたい放題喋るだけの記者会見も放送する意義があるのか、考える必要が出てきています。NHKの報道番組の司会者が首相と会食しているのも国民がNHKに対して不信を抱く大きな理由になっています。新聞は内閣の支持率だけじゃなく、時どきのNHKに対する支持率も出すべきです。
民主主義にとって必要な国会中継を放送することは第一に優先されるべきです。さらに優先度に沿って必要な番組とそうでない番組に仕分けする必要があるでしょう。民放にできることをNHKがあえてやる必要はあるのでしょうか。そして、そこでの報道・制作上の指針に「政府が右というものを左と言うわけにはいかない」と言った放送ジャーナリズムの意義を知らない前会長のような人々の介入を避けるためのNHKに対する市民のチェック制度も必要です。NHKの職員には日本で最高レベルの放送人だという自信を持っている人が多いようです。もし、そうだとすればそれに応じた最高レベルの勇気も必要です。権力におもねっているだけなら最低レベルです。
NHKは職員が1万人近く存在しており、批判されている政治部は全体の中で言えば小さなグループでしょうが、だからこそ、「私の部署は政治には関係ない」と他人事にしている職員が圧倒的に多いのではないでしょうか。しかし、これは全員の問題なのです。自分はコツコツ良心的な番組を作っているから、という人が結果的にこうしたNHKを支えているのです。一番肝心な放送ができないのなら、その他多くの番組は不要と言って過言ではありません。反民主的な放送局はいらない。国民の声を聞いた上で、職員の入れ替えも視野に入れ、新しい組織として再出発して欲しいと思います。
矢口鉄太郎
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