2017年07月26日17時48分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201707261748033
文化
「嬬恋村のフランス料理」19 〜総料理長への手紙 〜 原田理(フランス料理シェフ)
東京の店を当時の部下に全て委譲し、自分の城を失った僕は、派遣会社に登録し、どこでも良いから癒せる場所を紹介して下さいと頼んで、紹介させたのが今のホテルでした。始めてみる浅間山や一面の雪景色、きれいで巨大なホテル。街場の小さな店しか経験のない自分がこんな大きな組織でやっていけるのだろうかと不安になったものです。
ほどなくして、厨房の中でストーブ前という温製料理全般を任されました。50センチ以上あるフライパンで豚や茄子を炒めるのです。フランス料理に対する執着を一度リセットし、来る日も来る日もガス台の前で鍋をあおる作業は、熱くて重く、体力が要りますが、精神的に疲れていた僕にとっては、洋食屋さんの火の前や、専門学校で熱中していた頃を思い出し、料理を誰かのために作ることの楽しさを思い出させてくれました。新しい料理人仲間も増え、日を追うごとに楽しくなっていきました。そんなころに五十嵐総料理長と話すことが多くなったような気がしています。五十嵐総長は嬬恋に来て初めて僕を料理人として認めてくれた人であり、僕の初めてとも言える師匠です。
五十嵐総長に初めて会ってより、7年の歳月が流れました。五十嵐総長は、ほぼ独学で36歳まで料理人をやってきた僕にとっては、基本とも言える事柄を改めて厳しくたたきこんでくれた人です。
「数百年前から脈々と続くフランス料理の伝統をおろそかにすること無かれ、時代がどんなに流れてもクラシックは不滅だ」と聞かされ続けて7年、五十嵐総長が書くメニュの宴会のたびに、教科書でしか知らないような、古い料理を数品混ぜて、現代の若い料理人が見たことも無い料理や失われつつある古い技術を厳しく仕込んでくれました。今でも思い出しますが、一本の人参を飾り切りで継ぎ目の無い鎖状に切り出すのを見たときは本当にたまげました。
そこにある意思は「伝統」。
フランス料理が世界に誇れる偉大な料理になれた要因のひとつに、根本に流れている普遍の基本的な料理の完成度が著しく高いことが挙げられます。煮る、焼く、揚げるなどの基本的な加熱方法。産地のもの同士を合わせる考え方。広大なフランスの地方のバラエティに富んだ伝統料理の数々。偉大なシェフ達。そして世界に誇る豊なソースのバリエーションなどがそうです。五十嵐総長も例に漏れず厳しい指導でした。
ここ嬬恋村近辺の肥沃な土地では野生の猪や鹿などの生息数が豊富で、比較的安価に手に入ります。また近所の牧場は豚、仔羊、子牛などを詰めるときは必ず連絡をよこし、一頭買いのオファーが定期的にあるのです。総長の書く宴会メニュには一頭で200人分ほどのある、動物一頭を丸ごと使った大きな肉料理が2種類は必ず入っています。鹿でも猪でも仔羊や子牛などもまるごと一頭分を切り離さずに一枚に開いて、骨を全て抜き、肉には詰め物をしてそのまま数時間かけて焼くような料理は何度やったか覚えていないくらいです。横でずっと食材と僕を睨みながら、時折厳しい声を混ぜ、僕が肉をさばくナイフの切っ先まで見逃さない緊張感のあるものでした。同時に骨も副産物として出ますが、それを一度焼いて野菜を加え、だし汁を取ったあとに煮詰めてソースに仕立てます。その出汁の取り方の指導もまた厳しくて!
基本的な事柄をしっかりと押さえ、それを軸に応用を図り、更なる進化をする。伝統をしっかりと継承し、持続させる。地元の食材をよく知り、余すことなく使い切ると言った作業をフランス料理界はもう何百年も続けてきました。シェフがいて弟子がいる。そのシェフにも弟子だった時代があり、その師匠にもまた…と言った具合です。職人の世界はまさにそうだと私も思います。
総長は僕の前に彗星のように現れたリアルなシェフでした。師匠と呼べる人を持たず、街場の小さな店を任されたときから、ほぼ独学で料理を学び、書籍を買いあさり、本を見ながら何とかフランス料理を作ってきた僕にとって、初めての厳しいリアルなシェフです。マッシュルームの剥き方ひとつ、ブロッコリーの花の裂き方ひとつに徹底した方法論を突き詰め、ほんの数時間の宴会の為に幾日もかけて仕込みを行ない、潤沢な予算と豪華な技術を使うと言う、フランス料理が資本主義経済に押されていない時代の料理を作る偉大な時代の、偉大なシェフです。
「お前にはまだまだ伸びしろがある。荒削りだが天賦の才能がある。お前は俺を超える。だからお前には誰よりも厳しくする。信じてしっかりと俺に付き合え。」と言われ続けて7年間。総長のよく分からない勘に賭けて嬬恋に根を張りました。
総長との四季は7回繰り返しましたが、正直辛いことが多かったような気がします。よく怒鳴られたし、他の人間は良くても、僕は許されないと言う事が多くて、折れそうになったことが何十回もあります。総長は偉大な時代の輝かしいわがままシェフ。そして僕のたったひとりの師匠です。
今月始めに僕は五十嵐総料理長より禅譲を受け、総長の7年前の予言どおり、総料理長になりましたが、まだまだ思うように出来ないことが多いです。
五十嵐総長にあって、僕には無いもの。
それは何をも恐れない「強さ」だと思っています。総長はどんなときもどんな相手にも決して押し負けることなく強い料理人だと、僕は思います。
翻って僕はどうか。
僕は総長のような強さが無いのを自覚していますし、僕の強みでもありません。僕の強みは地獄の釜の底を触って戻ってきたからこそ生まれた「優しさ」でやっていきたいと考えています。ともすれば「甘やかし」になってしまう優しさと総長の「強さ」を厳しく使い分け、良い厨房を作っていきたいと思います。
7年半お世話になりました。総長がいつも言っていた通り、「料理人は店を辞めてからが友人だ」の通り、よき師匠、よき友人として見守ってもらえたらと、勝手に思っています。
原田理(おさむ) フランス料理シェフ
( ホテル軽井沢1130 )
■「嬬恋村のフランス料理」1 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507250515326
■「嬬恋村のフランス料理」2 思い出のキャベツ料理 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507282121382
■「嬬恋村のフランス料理」3 ぼくが嬬恋に来た理由 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508021120200
■「嬬恋村のフランス料理」4 ほのぼのローストチキン 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508131026364
■「嬬恋村のフランス料理」5 衝撃的なフォワグラ 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508272156474
■「嬬恋村のフランス料理」6 デザートの喜び 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509051733346
■嬬恋村のフランス料理7 無限の可能性をもつパスタ 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509112251105
■嬬恋村のフランス料理8 深まる秋と美味しいナス 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509202123420
■「嬬恋村のフランス料理」9 煮込み料理で乗り越える嬬恋の長い冬 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201510212109123
■「嬬恋村のフランス料理」10 冬のおもいで 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511040056243
■「嬬恋村のフランス料理」11 我らのサンドイッチ 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511271650435
■「嬬恋村のフランス料理」12 〜真冬のスープ〜 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201601222232375
■「嬬恋村のフランス料理」13 〜高級レストランへの夢〜 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603031409404
■「嬬恋村のフランス料理」14 〜高級レストランへの夢 その2〜 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603172259524
■「嬬恋村のフランス料理」15 〜わが愛しのピエドポール〜 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604300026316
■「嬬恋村のフランス料理」16 〜我ら兄弟、フランス料理人〜 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201607061239203
■「嬬恋村のフランス料理」17 〜会食の楽しみ〜 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201609142355513
■「嬬恋村のフランス料理」18 〜 魚料理のもてなし 〜 原田理(フランス料理シェフ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201611231309133
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。