2017年07月27日14時14分掲載
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文化
【核を詠う】(239)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(4)「汚染せし雨多く降りし夏過ぎて妻みごもりぬいかりのごとく」 山崎芳彦
今回は『平和万葉集』の巻十二、巻十三から原子力詠を読むのだが、両巻には昭和32年(1957年)〜昭和38年(1963年)の作品が収録されている。前回に巻十、巻十一で、東西冷戦下でアメリカ、ソ連(当時)が激しい核兵器の開発・増強のための核実験を繰り広げた1950年代における「核の時代」のもとで、広島・長崎の原爆投下による悲惨な経験の記憶と明らかになるその実態を短歌表現するとともに、一層深刻・危険になる核実験競争の中でのビキニ環礁での日本のマグロ漁船の第五福竜丸の被曝、漁船員が受けた「死の灰」被害、無線長・久保山愛吉さんの原爆症による無念の死、日本各地にも降った高い濃度の放射能雨、核実験禁止要求運動の高まりなどを映す短歌作品を読んできたが、今回の巻十二、巻十三でもそれを引き継いでの原子力詠が数多く、多彩に収録されている。
巻十二には、「原子の火はじめて日本に点きしといふわけわからねど聞けば亢(たか)ぶる」(山下進)の歌があり、昭和32年8月27日に、日本原子力研究所(茨城県東海村)の原子炉が臨界状態に達していわゆる「原子の火」がともったことを題材にした一首がある。今にして思えば日本の核発電に向けての始まりを作品にした貴重な作品といえよう。それに先立って前回読んだ巻十一には「この村に原子炉を建設する街頭録音反対するは療養者のみ」(鹿志村昭子)など原子力研究所に関わる3首が収録されていたが、それにつながる。「わけわからねど聞けば亢ぶる」にどのような思いがあるのか、作者は熊本県在住であったが、長崎原爆とかかわりがあったのかというのは筆者の根拠のない推測にすぎない。
前回に続いて「死の灰」、「放射能雨」を題材にした作品が目立つが、ビキニ環礁でのアメリカの大規模な水爆実験による第五福竜丸の被ばく、1950年代から60年代初めにかけての米・ソと英国を合せると400回を超す大気圏内核実験により深刻な地球環境の破壊が進んでいることへの危機意識と怒りが短歌作品として表現されたといえるし、原水爆禁止運動の高まりの中で多くの原子力詠が創造されたともいえよう。しかし、核大国による「悪魔の行為」は、核兵器と核発電を裏表にして止むこと無く、現在に続いていることを、『昭和萬葉集』に収録された原爆詠を読みながら思わないではいられない。巻十二、十三の時期は、原水禁運動、三井三池をはじめとする炭鉱争議、砂川基地闘争、「60年安保闘争」、勤評闘争などの激動期でもあり、思えば筆者にとって生き方を問われ、試された時期でもあった。原子力詠以外の短歌作品も読みながら、思うことが多かった。
話は変わるのだが、ビキニ環礁のアメリカの水爆実験について、『核の海』(スチュアート・ファース著、河合伸訳、岩波書店、1990年7月刊)の中の記述の一部をを記しておきたい。まことに不勉強ながら、最近ある友人に教えられてこの本を知り、古書店を探して入手し読んでいるところである。
著者はオーストラリア人で太平洋諸島の植民地時代の歴史が専攻の研究者である(訳者「あとがき」)が、同書の中のアメリカが1954年3月1日に行なった「ブラヴォー実験」についての記述の一部を抽かせていただく。
「マーシャル諸島北部では、この朝の太陽は東からだけではなく、西からも上がったように見えた。日本の漁戦『第五福竜丸』の乗組員たちは日の出のころ、西の空が突然明るく輝き、白から黄色へ、さらに赤やオレンジ色へと変わっていくのを見た。ロンゲラップ、アイリングナエ両環礁の早起きの村民たちも、この異様な光景を目撃した。
ビキニ環礁の上空ではその時、アメリカがそれまでに行った、いやこれまでに実施した核実験のなかでも最大のブラヴォーが爆発して、広島の一〇〇〇倍に匹敵する地獄さながらの光景をつくり出していた。直径が数キロもある巨大な火球が、その範囲内のすべての生物に死をもたらし、粉々に吹き飛ばした。あるベテランの原子力科学者も、それまでに見たこともなかったほど大きなこの火球を目撃して、『一瞬、これは全世界を呑み込むのではないかという不安に襲われ、〈膨張が本当に止まってくれるのだろうか?〉と考えた』ほどだった。
熱風が四方八方に吹きまくった。一〇〇キロ離れたところでも感じられたこの風は、爆心点で発生した時速三五〇〇キロの衝撃波によって発生した爆風だった。環礁の遠く離れた島々でも樹木がなぎ倒され、礁湖には高さ三〇メートルの波が発生した。大量の海水が蒸発し、サンゴ礁の一部も消滅して何億、何十億トンもの砂や土、サンゴが吸い上げられ、放射性の粒子となって空中を漂い始めた。」
「キノコ雲は爆発から一〇分後には直径一〇〇キロ以上に達し…その先端は高度三万メートルにも達して、ゆっくりと、日本の漁船員やアメリカの合同任務部隊の艦艇、ロンゲリック環礁にいたアメリカの将兵、それにロンゲラップ、ウトリックなどの他の環礁の住民たちの方角へ移動していった。…第五福竜丸には砂のような灰が五時間も降り続け、二三人の乗組員はそれを払いのけながら作業を続けた。」
「AEC(アメリカ原子力委員会の)声明では236人の住民の経過は良好となっていたが、実はその多くが被曝の影響で苦しんでいた。かゆみ、嘔吐、吐き気。毛髪が抜け落ちたし、首、肩、胴、腕、足などに火傷ができてもいた。降下物の放射線は骨髄を侵して、新しい血球をつくる能力を低下させる。救出した住民からその後数週間、毎日採取された血液サンプルは、ある種の血球、特に顆粒性白血球、白血球、好中球などの量がひどく低下したことを示していた。…アメリカの国防原子力局は1982年になってやっと『ブラブォー実験がアメリカの大気圏内核実験を通じて、放射性降下物による最悪の汚染を引き起こしたものであったことに疑問の余地はない。』と認めた。…『大気圏に大量の放射性物質を放出し、それが風に乗って、予想よりもはるかに広大な範囲に拡散された。これが遠く離れた環礁に配置されていた将兵や住民、あるいは各種の艦艇の乗組員などを汚染、被曝させる結果となった。これらの人々の一部には放射線による急性の症状が認められた』という内容だった。」
「ブラブォー実験を国際的なスキャンダルにしたのはしかし、太平洋諸島の住民ではなく、日本の漁船員だった。3月14日に帰国した第五福竜丸の乗組員を診察した医師団はすぐさま、彼らの症状には放射線による被曝の兆候がそろっていることに気付いた。広島や長崎の惨事を片時も忘れていなかった日本人は憤激した。反米の抗議デモが街に溢れた。日本政府も調査を要求した。放射能汚染を恐れた人々は太平洋で取れた魚を買わなくなり、おかげで小さな魚屋がいくつも店を畳んだほどだった。」
「1954年9月には、第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉氏が死去する。日本政府によればこれは放射線症が原因だったが、アメリカの政府当局は、死因は黄疸でブラブォー実験とは無関係だと主張した。アメリカがやっと責任を認めて賠償金を払ったのは、日本が更に抗議運動を繰り広げてからのことだった。久保山無線長の未亡人は1955年1月にカルカッタで開かれたアジア法曹会議で、こう訴えた。
『夫は1954年9月23日の午後6時55分、まだ幼い三人の子どもと年老いた両親、兄弟や私を残して死にました。夫は今わのきわに、原爆や水爆はもうたくさんだと叫びました。私はアメリカの死の灰に夫を奪われたのです…』」
いささか長い引用を、こま切れにしてしまい、正確な内容を記しきれなかったがお許しを願いたい。唐突な形で『核の海』のごく一部を記したが、このような核実験が太平洋だけでなく世界の各地で20世紀後半に2000回も、態様に違いはあるが行なわれたのである。いかに地球環境、人間に限らずあらゆる生命活動を傷つけ、破壊して来たのか、そして核発電が今も続けられていることを思いながら『昭和萬葉集』の原子力詠を読んでいく。
◇日本さまざま(抄)◇(『昭和萬葉集巻十二』)
原子の火はじめて日本に点きしといふわけわからねど聞けば亢(たか)ぶる
(山下 進)
緊りたるしづけきこゑぞ低きこゑ原子ともる日の茅(かや)氏の声は
(足立原幸雄)
◇原爆の記憶◇(同「癒えぬ傷痕」より)
白き虚空とどまり白き原子雲そのまぼろしにつづく死の町
地に這いて苦しむ死をば知らざれば去り行く一機空に漂う
呪詛(じゅそ)の声今は弱者らの声として歳月が又許し行くもの
恐怖の日問われて語る方言のみな卑屈なりふるさとの声
露地を行くひとりの孤児を追うレンズその日のままの夏のかがやき
彼の日より始めて蟬の鳴く夏と聞きて連れ立ちき暑き埃に
すでにして吾にしらぬふるさと原爆碑見て去りこがらしの橋渡りつつ
亡びし街いくたびか来てさまよいき空黄に冴えて残る橋の燈
(8首 近藤芳美)
天主堂の炎をさまりし外壁を浮きあがらせて夜の雷(らい)鳴る
(竹山 広)
こほろぎのくりやに鳴ける朝冷えて広島の被爆者またひとり死す
(岸上大作)
かりそめの病のたびに原爆を受けたるわれが血を調べらる
(高島やすえ)
やすらかに眠れよとよべばみずからの傷(いた)みとふかくつながる〈被曝〉
焼け爛れし少女の頬の幻覚とわれの未来とかさなり 眩(めくら)む
(2首 水落 博)
ミサの列離れ来りてケロイドの少女は孤り花レースを編む
かの子らの碑を覆ひ茂る記念樹に冥(くら)き八月の蝉の声たぎつ
(2首 小沢みつ子)
少女らの頬のケロイドわれに向き微笑むときにもつとも目立つ
(梅田靖夫)
わが友の数人もこの墓に眠る鞍形のなか遠く爆心ドーム見ゆ
溶解して角なき煉瓦手に捧ぐ石の如くに死にし君はも
(2首 吉田三郎)
原爆を知らざる吾も棲みつきて被曝地帯に花を植ゑをり
(高原美代子)
◇死の灰への怒り◇(同)
汗たりて籠る真昼をただよひて原爆許すまじの歌ごゑきこゆ
(小島 清)
汚染せし雨多く降りし夏過ぎて妻みごもりぬいかりのごとく
(竹中一男)
放射能ふくむ雨かと目守れど若葉にそよぐやはらかき雨
(渡辺かつ子)
放射能雨そそげる庭に咲き満ちて明るき花ら声もたぬもの
(平井 寛)
双方からねらはれてゐる感じ放射能の雨もみぎひだりから
(館山一子)
「死の灰」といふもたやすき語彙となりいかなる無慚(むざん)にも人は馴れてゆく
(光岡良二)
放射能の汚染検ぶる実験に音放ちをり脱がれし手套も
(井口和行)
ストロンチウム九十もはや言はずなり雨降れば田を植うる部落人(むらびと)
(藤野良一)
事毎に異る意見もつ友と水爆禁止を共に署名す
(石本哲司)
ひたすらに浄きもの常に埋没す世界平和アッピール七人の声
(佐野四郎)
イエスなど全く無意味にて核実験命ずる日にも十字切りてきぬ
(井上健太郎)
◇基地問題(抄)◇(『昭和萬葉集巻十三』 「動揺する日本」より)
ポラリス機構反対署名われも書きたし若き職員なじる幹部よ
(前田道夫)
道に散る「原潜反対」草色のビラを拾いぬ屑籠二杯
(竹波愛八)
原子艦寄港反対の署名簿を持ち来て吾が弱み糾(ただ)してくる瞳(め)す
(川口美根子)
◇死の灰◇(同)
死の灰の気流含みてはるばると秋かげろうはかぎりなく立つ
(松田容子)
雨降りて何千カウントの放射能が混じるかも知れずぬれし顔拭く
(奈雲行夫)
何の啓示と明日はうけてゐむシベリヤの天(そら)をおほひてくる原子塵
(赤間 昇)
うばひ合ひさつまいもを食ひし過去思ふしみじみと秋なり放射能の雨ふれど
(渡辺朝一)
灰色の靄たちこめし街見つつ朝より去らぬ死の灰のこと
(織原常行)
放射能ふふむ雨かと俯(うつぶ)して濡れつつ急ぐしぐれ来ぬれば
(上原弘毅)
皆滅の死の兵器ゆゑ戦争はあり得じと言ふをひそかに否(いな)む
(佐野四郎)
平和行進呼びかけて少年期残る声 識りしこと行手の昏さとなるな
(日野きく)
暑ければかむり行けよと平和行進の友に貸したる麦藁帽子
(川辺古一)
雲などもなき高層の透明にややに聚(つも)らむ死の灰想ふ
(田谷 鋭)
放射能検出値ラジオ告ぐるにも慣れ来しとふと恐れて眠る
(奥津尚男)
放射能に関はりなきか煙りつつ山茶花に今日も細き雨降る
(上田恭子)
放射能禍告ぐる今宵を傘もたぬ吾底ごもる怒りもちゆく
(三枝英夫)
放射能禍すでに騒がぬ冬の卓に大根を煮て安らぐというな
(国田信美)
核実験拒(こば)む農婦らの声々を蒐(あつ)む畔の小さき集いに
(内海清子)
核実験怒る気力も萎(な)えてくる夕べ事務室の窓あけ放つ
(竹波愛八)
◇原爆の傷◇(同 「戦争の傷痕」より)
ならべたる被爆の時計が十一時を指したる儘(まま)に十七年過ぐ
(雑賀寿治)
ケロイドの頬を片手にかくしつつ縁談のなきを教子はかこつ
(小林愛児)
原爆症の裔(すゑ)に拇指(おやゆび)無く生れしを冬木の固き芽立ちに想ふ
(鈴木一桔)
化け物と自嘲する友に面伏せぬ原爆後遺症エリトマトーデス
請願を終へて丁寧にまた畳む原水禁の文字を刷れるたすきを
(瀬戸口千恵)
ケロイドの跡痛み来(く)と寒き日は手袋はめてノートする友
(駒田和子)
ケロイドの残れる面を朝夕写し嫁に行かぬと我はつぶやく
(正田寿恵代)
忽然と夫の背に出づ赤斑を母にも告げず夏は終りつ
被爆より三度職替りわれを娶(めと)りかにかく十七年君は生きつつ
(岡本典子)
歯ぐきより血の出で髪の抜けにつつ原爆症のわれ生きつぎぬ
(米田淳男)
原爆の光におののき母と我腹這ひし土の匂ひ忘れず
ケロイドに弱まる弟をもつ我に八月九日また近づきつ
石炭車の上にて原爆の光浴び衣も石炭も燃え初めしとぞ
(一瀬 理)
被爆者手帳罪状の如く秘めもちつつ婚期もなくて乙女古りゆく
誰が落とせし小さき鏡ぞ遺族席に激しき夏の西陽を反す
(小沢みつ子)
新しき原爆手帖を手にもてる母の頭にまじる白髪
(神田幸雄)
年月日同じが並ぶ墓に来て原爆のいたみまたうずくわれ
ひろしまに生まれ育ちて生き残る被爆者われら死の恐怖持つ
(正田篠枝)
戦傷を腕に残せる僧よびて爆死の父母と妹の忌まつる
(竹下和子)
原爆に打たれししじま目(まな)うらに児ら寄り来しと語れり妻は
(角 北斗)
わが姉も志摩君も原子弾に果てき距離近くして相知らずして
みまかりし母六月原爆死せし姉八月悲しみは夏の雲よりぞ来る
(鈴木忠次)
伝説化しゆく被爆日広島の熱き舗道にわが影ゆらぐ
(新田隆義)
原爆に平たく溶けて氷皿生けるがごとき光を放つ
(上原弘毅)
唐黍(とうきび)の葉の照り返す熱き風にいのちをしぼる今日原爆忌
なかぞらにのぼりて夏の月まろく死者ある家の裏側てらす
(古川達夫)
青空は大き奥津城(おくつき)その洞の奥処(おくど)にひびき千のひぐらし
(太田青丘)
青き眼にヒロシマの何を見しならむただゆるやかに歩み去りたり
(安立スハル)
幾千の遺影をかかげ幾万の鳩を放つも地上の愚かさ絶えず
(土岐虚彦)
被爆の跡そのままに残すドーム見えこなたの園の薔薇は季(とき)すぐ
(野村 清)
慰霊碑をめぐりてみつる水蓮の潔き白花に夏の影あり
(川崎千公)
さび亜鉛(トタン)夕陽に灼くる家裏の川の水ゆたかに帰りし広島
(奥田茉莉)
痛みなかりしものども華やかに〈ヒロシマ〉に繰り込みて来て灰燼あばく
(幸田幸太郎)
遺族の打つ鐘とて広島の町に鳴りわが病室いつぱいに鳴る
(清野房太)
爆心の土火の色すでに錆びふかく声たつミイラとなりし黒猫
(深川宗俊)
忘却の救ひも来ねば身を責めて蹌踉(さうらう)とただ破滅を歩む
罪ある身なぜ罰せぬと世の虚偽にいどむ狂気は神のごとしも
アイヒマン醜くもがきイーザリ―罰を求めてさまよひ狂ふ
(3首 上岡 勝)
次回も『昭和萬葉集』から原子力詠を読む (つづく)
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