2017年08月17日04時25分掲載
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コラム
フランス革命と鹿児島の高射砲部隊
この夏、必要があってフランス革命の歴史書を紐解いていた。そこにはジャコバン派のロべスピエールや、ダントン、マラーらの顔があった。そしてまた、ルイ16世やマリー・アントワネットらの顔があった。だが、フランス革命の歴史を読んでいると、ふと思い出されるのが、1945年の鹿児島県の高射砲部隊で米爆撃機を撃っている一人の青年なのである。フランス革命と鹿児島の高射砲部隊、多くの人には何の関係もないことだが、僕の中でそれらはつながっているのである。
高校時代の僕の世界史の先生は学徒出陣の経験があった。ある日、その先生はフランス革命の歴史を教えていたのだったが、突然何を思ったのか、ズボンのすそをたくりあげた。歴史の教師の足には大きな傷跡があった。それは米軍機によって撃たれた傷だった。京都大学文学部から終戦間際に学徒出陣したその先生は鹿児島の高射砲部隊に配属された。米爆撃機を打ち落とすのが任務だった。しかし、B29の高度が高かったため、撃てども撃てども飛行機の高度に届かなかったのだそうだ。もちろん、低空を飛んできた一機を同僚が撃墜したことがあり、その夜は飲めや歌えの大宴会になったと言う。
こんな話を聞いたために、フランス革命の歴史が僕にはほとんど忘却あるいは欠落していて、そこから鹿児島の部隊に記憶が飛んでしまうのである。というか、この先生から受けた歴史の授業の中で教室の光景が今でもリアルに思い出されるのがこの時の話だけなのだ。1980年代の初頭のことだが、僕らの世代が教えを受けた教師の中には戦場帰りの人もいたし、町中に手や足がなかったり、盲目だったりする戦傷者がたくさんいたものだ。子供時代、父親の会社の社員用大浴場でも片手のない人を何人か見かけた。岡山のサイン会に現れた漫画家の水木しげる氏が片腕であることもその時、初めて知った。それらのいくつもの傷ついた肉体は歴史の本を越えて、強く記憶に刻み込まれてしまうものだ。
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