2017年09月06日23時37分掲載  無料記事
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反戦・平和

「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」へのご協力ありがとうございました!

シベリア抑留者支援センター情報クリッフ゜No.56 
(発行日:2017年8月28日) 
 
● 8月23日、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催しました「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」への多数のご参加、ご支援、ご協力ありがとうございました。 
 
● 佐藤甲子雄さんが追悼の言葉(下記参照)の中でタイシェットの製材工場で丸鋸に巻き込まれて亡くなった「千葉県出身の仲間」のことを語っておられました。 
 翌朝の新聞でそのことを知り、「もしや」と電話をかけてこられた方がおられました。集いで佐藤さんは個人名を挙げておられませんでしたが、1948年8月13日に亡くなった藤平真吾伍長と判明、明日藤平さんの弟(86歳、6人兄弟のただ一人の生存者)と対面、一緒に高尾山に登り、佐藤さんが藤平伍長らを弔うために建てた慰霊碑(「通信」16号16頁参照)に一緒にお参りをすることになりました。 
 仲間を看取った93歳の抑留体験者と86歳の遺族が、追悼の集いをきっかけに、69年ぶりにつながることができました。 
 
● 各紙地方版や地方紙掲載のシベリア抑留関係の記事をお送りいただければ幸いです。 
 
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◆8月23日ご参列いただいた来賓は以下のとおりでした。(*印:党代表挨拶) 
(自民党)三ツ林裕巳衆議院議員*、務台俊介衆議院議員、武井俊輔衆議院議員、山田宏参議院議員 
(民進党)大畠章宏衆議院議員、初鹿明博衆議院議員、井出庸生衆議院議員、那谷屋正義参議院議員* 
(公明党)斉藤鉄夫衆議院議員* 
(共産党)畑野君枝衆議院議員、島津幸広衆議院議員、小池晃参議院議員* 
(日本維新の会)河野正美衆議院議員* 
(海外) 
ダンバダルジャー・バッチジャルガル・モンゴル国臨時代理大使 
オトコンバタール・モンゴル国駐日大使館三等書記官 
<議員代理> 
(自民党)棚橋泰文衆議院議員、松本純衆議院議員、左藤章衆議院議員、西村明宏衆議院議員、三原朝彦衆議院議員、鬼木誠衆議院議員 
(民進党)階猛衆議院議員、大島九州男参議院議員、川田龍平参議院議員 
<弔電・メッセージ> 
(自民党)大島理森衆議院議長、伊達忠一参議院議長、小池百合子東京都知事、松本純衆議院議員、佐藤章衆議院議員、宮澤博行衆議院議員、神山佐市衆議院議員 
(民進党)佐々木隆博衆議院議員、古賀之士参議院議員 
(共産党)梅村さえこ衆議院議員 
 
<第十五回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い 挨拶&追悼のことば> 
 
 ー膾甜埖緝衆Щ◆淵轡戰螢⇒淮閏垰抉腑札鵐拭疾は耽 池田幸一) 
 ご多忙な中を今年も各地からご参列いただきありがとうございます。皆様とともに、ここ千鳥ヶ淵戦没者墓苑に眠る約1万6千柱のシベリア・モンゴルからのご遺骨を前に、旧ソ連・モンゴルの地で抑留中に亡くなられたすべての犠牲者を追悼し、ご冥福を心よりお祈りいたします。 
 この集いも数えて15回目になります。当初、私ども帰還できた元抑留者らが呼びかけて、毎年スターリンが抑留の秘密指令を出した8月23日に追悼の集いを持ってまいりました。第1回から毎度新幹線でかけつけておりますが、私自身も96歳、元抑留者の平均年齢は今年94歳です。こうして皆様にご挨拶できる機会ももうあまりないかも知れません。昨年閉会の挨拶をして再会を誓った猪熊得郎氏も翌月の9月に急逝しました。 
 もう本当に後のない私どもがどうしても気がかりなのが、遺骨収集と実態解明です。2010年に特別措置法が制定され、かなり進捗もありました。しかし、いまだに6割の3万2千以上の遺骨が帰ってきておりません。これまでのペースでは遺骨収集はあと200年かけても終わらないと言われております。南方と異なり、ソ連側の記録も残っており、いまだ土饅頭のままの埋葬地も多数あります。行けば確実に収集できるわけですが、予算と人手が足りていません。毎年夏に2週間程度の収集ではとうてい追いつきません。これまでの発想・方法論を抜本的に改めて、数値目標を示して戦略的かつ集中的に取り組んでいただくよう強く求めます。 
 ソ連・モンゴルで亡くなった6万人もの抑留犠牲者も、「戦没者」という括られ方をしますが、いつも疑問を感じます。武装解除後にソ連・モンゴルに連行され、食料不足と寒さと強制労働のため、病院や収容所の中で息絶えたのであり、「戦陣に散り、戦禍に倒れた」のではありません。尊厳を奪われた、まことにつらい最後でした。 
 「これら戦没者の尊い犠牲の上に戦後の日本の繁栄がある」といつも言われますが、シベリアで亡くなった戦友たちが、戦後の日本の繁栄にどう貢献できたのか? 私には説明できません。ソ連・モンゴルの戦後復興に多大な貢献をしたことは確かです。しかし、生きて帰ってきた私たちの多くに、祖国は「シベリア帰り」とのレッテルを張り、監視し、差別し、仕事の斡旋もしてくれませんでした。残念ながら、貢献の仕様もなかったのです。 
 日本とロシアや関係国政府には、もっと実態を明らかにし、ことの経過とどこに問題と責任があったかを分かりやすく説明していただきたい。 
 いつ、どこに連れてゆかれ、だれがどのような目に遭い、どのような死に方をしたのか? その責任はどこにあり、だれがその責任を果たしたのか、果たしていないのか? 再発防止のための政策や措置はその後取られているのか? 
 最近は解析技術が発達して、広島の原爆被爆者や米軍の空襲の膨大なデータが電子的に処理され、先日もNHKの特集番組で、立体的にわかりやすく示されました。被爆者の検証ができて、資料のある抑留者の足跡をたどることができないはずはありません。このままでは、ロシアから入手した50万人分を越える個人資料も埋もれたままです。個人の研究者やジャーナリストの作業では限界があります。国がロシア、モンゴル政府と共同で国家プロジェクトとして、ビッグデータの処理と解析・活用に緊急に取り組むべきです。 
 戦争が終わった後に、なぜ6万を越える非武装の仲間たちが死ななければならなかったのでしょうか?納得できないのです。実態解明の核心はその一点に尽きます。このままでは、亡くなった仲間も苦労して帰国できた私たちも浮かばれません。 
 今年も来月、抑留地だったウラジオストックで日ロ首脳会談が予定されています。ぜひとも日ロの専門家を総動員して共同で抑留の実態解明を具体的に実施していただけますよう安倍総理とプーチン大統領に強く要望いたします。 
 国が主催する追悼式典もいまだ実現しておりません。韓国や台湾出身の抑留者の問題も未解決です。課題は多くありますが、若い皆様に後を託すほかありません。 
 ご参列のご遺族、元抑留者、国会議員、政府、各国公館、関係団体代表の皆様に一層のご協力をお願い申し上げて、主催者のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。 
 
◆_弾勝信厚生労働大臣挨拶(代読:橋本泰宏大臣官房審議官) 
  第十五回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いの開催に当たり、一言ご挨拶を申し上げます。 
 この集いに当たり、今日の我が国の平和と繁栄の陰に、祖国を思い、愛する家族を案じつつ、劣悪な環境下で亡くなられた強制抑留者の方々の尊い犠牲があったことに思いを致し、謹んで哀悼の誠を捧げます。 
 厚生労働省は、これまで、戦後強制抑留者特別措置法に基づき、平成二十三年八月に閣議決定された「強制抑留の実態調査等に関する基本的な方針」を踏まえ、関係省庁と連携し、民間団体等の協力も得つつ、抑留中に亡くなられた方々の特定や、ご遺骨の収容に取り組むとともに、慰霊巡拝を実施してまいりました。 
 シベリア・モンゴルについては、平成三年以来、二万七十八柱の収容を行い、今年度もアムール州、クラスノヤルスク地方、ザバイカル地方、ハバロフスク地方で収容した二百九柱のご遺骨をこの千鳥ヶ淵戦没者墓苑でお迎えしたところです。また、昨年三月に「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」が国会で成立いたしました。今後も、国の責務として、一柱でも多くのご遺骨をご遺族の元にお返しできるよう、全力を尽くしてまいります。 
 戦後七十二年を迎える今日、戦中・戦後の労苦を体験された方々が少なくなる中、先の大戦の教訓を風化させることなく継承していくことの重要性が高まっております。若い世代へ先の大戦の記憶を語り継いでいくとともに、世界の恒久平和と繁栄に、全力を尽くして貢献していくことをお誓い申し上げます。 
 終わりに、抑留中に亡くなられた方々の御霊の安らかならんことを、そして、関係者の皆様方のご平安を切に祈念して、挨拶といたします。 
 
 大島理森衆議院議長弔電 
 戦後72年・第15回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いの開催にあたり、衆議院を代表して、極寒の地で犠牲になられた抑留者の方々に謹んで追悼の誠を捧げますとともに、最愛のご家族を亡くされたご遺族の皆様に心より弔意を表します。 
 また、長期間にわたって過酷な抑留生活を余儀なくされた皆様やそのご家族に改めてお見舞い申し上げます。 
 先般、モンゴル国を訪問し、強制抑留者の方々の筆舌に尽くし難いご労苦に思いをいたしながら、日本人死亡者慰霊碑に献花してまいりました。 
 最後のシベリアからの引き揚げ船「興安丸」が舞鶴に帰還してから60年の歳月が経ち、抑留を実際に経験した方々が少なくなる中で、抑留の過酷な体験を次世代に継承するために力を尽くされている関係者の皆様に、心から敬意を表します。 
 衆議院といたしましては、今なお残されている課題の解決に向けて、引き続き尽力してまいる所存です。 
 
ぁ^肪C薜貉乙脹ゝ陳皇づ邸
 戦後72年・第15回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いが開催されるに当たり、過酷な抑留の中で命を落とされた方々に謹んで哀悼の誠を捧げますとともに、御遺族皆様方に心からお悔やみを申し上げます。 
 終戦から何年経とうとも、この抑留という悲惨な歴史を目の前に、私たちの心が癒えることはありません。この史実がふうかすることのないよう取組みを続けている皆様方に、深甚なる敬意を表する次第でございます。 
 参議院といたしましても、元抑留者の方々のご労苦に思いを致し、この悲惨な歴史を二度と繰り返さないために、御遺骨の収集や実態の解明等、いまだ残されている問題の解決に向け、引き続き全力を尽くしてまいります。 
 結びに、抑留により亡くなられた方々のご冥福と、関係者の皆様方の御平安を衷心よりお祈り申し上げます。 
 
ァ…錨蕕慮斥奸憤簑佳緝宗‘澤知保) 
 本日、ご多用のところ「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」に参列して下さいまして誠にありがとうございます。皆様と共にここ千鳥ヶ淵戦没者墓園にシベリア・モンゴルの地に抑留中亡くなられた犠牲者に心から哀悼の意を表します。 
 私は、2年前の2015年8月に「旧ソ連抑留中死亡者慰霊巡拝(ザバイカル地方)」に参加し、2週間の慰霊巡拝をいたしました。 
 そのきっかけは、癌を患って85歳で亡くなった母の遺言があったからです。「私の代わりに、シベリアで死んだ俊ちゃんの墓参に行ってちょうだい!遺骨が帰って来ていないから!」と言い残して、4年前に息を引き取りました。俊ちゃんとは、母の兄です。 
 母の遺言をかなえるため、遺品を調べていると「シベリア抑留岩手県関係者死没者慰霊 平和の礎の前にて」と母が述べた追悼の言葉がありました。母が生きていたなら、私ではなく母が今日の追悼のことばを述べていたと思います。母は高齢の祖母を伴い、毎年10月「シベリア抑留岩手県関係者死没者慰霊祭」に集っていたようです。その時の「追悼のことば」の一部を読ませて頂きます。 
 「義俊兄は、昭和20年3月弘前の師団に入隊し、すぐ満州に渡ったようです。必ず帰って来てくれることを信じ、母と暮らしておりましたが、歩兵117連隊に所属、終戦と共にチタ州チタ地区ハラグン収容所にて昭和21年2月25日22歳で死亡していた事が4年后になって公報で知ったのです。シベリヤの寒気と毎日の雪の中での作業、食料不足。真面目で手抜きすることなく働き、重労働と栄養失調で起き上がることも出来ず。故郷の母を思いつつ目を落としたことでしょう。それを思うと、今でも涙がこみあげて参ります。 
 夫を早く亡くし、これからと希望を持って育てた2人の息子が親よりも先に帰らぬ人となって、母の人生はいったい何だったのでしょうか。冬の晴れた日、母を連れてこの平和祈念慰霊碑を見せに参りました。池には、白鳥がたくさん来ておりました。私は兄たちがシベリヤから白鳥になって飛んで来たのかもしれないネと母を慰めました。平成8年10月9日 遺族代表 藤澤美喜子」 
 シベリア墓参をするために、厚生労働省へ問い合せると所在地の県庁が窓口だと言われ、神奈川県庁を訪ねると「5〜6年先かも知れません。」と言われました。その担当者から、「ザバイカル地方慰霊巡拝が8月にあります。締め切りまで2週間しかありません。」と連絡を受け手続きをしました。参加出来たのは県庁の担当者の親切な行為があったからです。 
 2年前の「旧ソ連抑留中死亡者慰霊巡拝(ザバイカル地方)」に10名の遺族が参加しました。私だけが厚生労働省からの連絡がありませんでした。何故だろうかと疑問に思い、同行した厚生労働省の方に聞くと「大川義俊さんの死亡は、生還した人の証言のみで、ロシア側からの正式な文章ないためです。」と答えたのです。 
 ロシア側の正式な文書がない!公の文書に死亡の記録がないということは、義俊伯父の22年生きてきた、この世に存在した証がないことです。なんと、切なく、悲しく、哀れではないでしょうか?まだ、3万2800柱の「確認されない死」(石原吉郎)がシベリア・モンゴルの地に眠っています。無念です! 
 「旧ソ連抑留中死亡者慰霊巡拝」で、感じたことです。平和をつくりだす小さな取り組みとして、義俊伯父の記録を探し続けたいと考えています。 
 「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が、平和の礎となることを祈念し、追悼の言葉とさせて頂きます。 
 
Α…錨蕕慮斥奸文詰淮閏圈〆監9短厖此法
 八王子からこの会に参加させていただきました佐藤甲子雄でございます。千葉に住む甥から今日の集いのことを聞き、参列いたしました。 
 私はシベリアで一番過酷なバーム鉄道(第2シベリア鉄道)を作る作業に従事しており、その中で、一番心に残る出来事は製材工場で丸鋸に巻き込まれた戦友のことであります。 
 鉄道建設のため人的資源が集中的に投入され、その人的資源とは抑留者でした。一昼夜三交代で労働しており、私が責任者をしておりました。極めて原始的な丸鋸を使った製材加工作業でしたが、その材木の中に足を巻きこまれ、亡くなった千葉県出身の仲間がいました。 
 そのことは、私の胸に深く刻みこまれ、ずっと戦後72年経った今日も寸分たりとも忘れることができないのです。 
 そこで私は、戦友とともに再度シベリアを訪れ、持って行った墓標を建ててまいりました。 
 その話をいろいろなところでしておりましたところ、高尾山薬王院の大山隆玄貫主(大僧正)の耳に伝わり、全面的なご協力を得て、高尾山薬王院の仏舎利の傍らの地にシベリアで眠る仲間の供養碑を建立し、平成22年に除幕式を行いました。 
 八王子市の黒須市長や私の田舎の山梨県道志村の大田村長ら大勢の方が参列され、大山隆玄大僧正によって祭祀が執り行われました。 
 年を取りましたので、毎月とはいきませんが、時々高尾山に登り、供養を重ねております。本日お集りの皆様はそれぞれにご苦労をされてきたと思いますが、私は私なりにできることをやってまいりました。 今日ここに立つと感慨無量で言葉になりません。 
 さきほど「何のためにシベリアに抑留されたのか? 何のためにシベリアで働かなければならなかったのか?」とのお話がありましたが、私もそのことを常日頃考えております。真の抑留の真実を明らかにし、伝え、極寒の地に眠る抑留死者たちにお弔いをしていきたいと毎日願っているところです。 
 最後にもう一度申し上げますが、何のためにシベリアに抑留され、ポツダム宣言を破って何のために抑留されたのか、この答えを早急に出していただきたい。これを明らかにすることが念願であります。なにしろ、今年94歳になります。言葉もうまく出ませんが、ご理解をお願いして、追悼の言葉とさせていただきます。 
 
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【情報&催し物案内】 
 
◆第3回「シベリア抑留記録・文化賞」の推薦(自薦・他薦)を受け付けます。 
< 期 間 > 9月1日(金)〜30日(土) 
<候補対象> 1945年から1956年にかけてソ連軍に抑留された全地域における「抑留」に関わる作品、表現、報道など。2016年10月1日から2017年9月30日までに発表されたものが対象。活字や映像による記録・報道、音楽や舞台芸術・パーフォーマンス、漫画や絵画など、ジャンル、国籍、言語、年齢などを問いません。個人・グループ・団体・会社などを問いませんが、故人は除きます。 
<推薦方法> 推薦の理由を添えて、Fax、Eメール、はがきなどでお送りください。 
<選考方法> 選考委員が電子投票で決定します。決定次第発表します。 
<賞金・副賞> 賞金は10万円、副賞は『捕虜体験記』全8巻、10月後半に贈呈式の予定。 
<連 絡 先> シベリア抑留者支援・記録センター 
Tel:03−3237−0287 
Fax:03−3237−0287 
E-mail:cfrtyo@gmail.com 
〒102−0074 東京都千代田区九段南2−2−7−601 
 
◆世田谷平和資料館特別展・四國五郎展「『おこりじぞう』とシベリア抑留」 
<日時>10月1日(日)〜29日(日)9:00〜17:00(入館は16:45まで、火曜休み) 
<会場>世田谷区立平和資料館多目的室(世田谷区池尻1−5−27 世田谷公園内) 
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/157/749/750/d00141171.html 
*『おこりじぞう』朗読(木内みどり)10/8・22(土)14:00、先着30名 
<主催>世田谷区 
<問合せ>世田谷区立平和資料館 
 
◆連続講座“市民アカデミア”:「シベリア抑留研究―残された課題・新しい課題への挑戦」 
(第1回)10月28日(土) 
「四國五郎のシベリア体験を読み解く」 
講師:四國光(四國五郎氏長男) 
(第2回)11月25日(土) 
「抑留体験者が伝えたロシア音楽の系譜」 
講師:森谷理紗(モスクワ音楽院客員研究員) 
(第3回)12月16日(土) 
「歴史としてのシベリア抑留―ロシア革命まで遡って考える」 
講師:富田武(成蹊大学名誉教授) 
<時 間> 各回14:00〜17:00 
<受講料> 毎回千円 
<会 場> 大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス(港区麻布台1−11−5) 
地下鉄日比谷線「神谷町」下車8分 
WEB:https://www.keiho-u.ac.jp/academia17 
地図:http://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/access.html 
<主 催> 大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター 申込03−5545−7789 
<協力・後援> シベリア抑留研究会、シベリア抑留者支援センター 
 
◆講演会:松島トモ子さん「母と娘の旅路」〜シベリアにねむる父をたずねて〜 
<日 時> 10月14日(土)14:00(開場13:30) 
<入場料> 千円 
<会 場> クラッセ川越多目的ホール(川越駅東口4分) 
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/smph/shisetsu/kokyoshisetsu/bunkashisetsu/higashiguchi_hall.html 
<主 催> 埼玉西部地区日ロ協会 
Tel:090−2562−9505/Fax:049−226−6170(渡辺寛) 
Tel:090−9000−9392/Fax:049−224−0705(内田秀人) 
<後援>川越市・川越市教育委員会・川島町・川島町教育委員会 
 
      ★      ★      ★ 
 
【取扱図書・資料ご案内】*事務局で取扱中 送料は100円。 
 
● 澤田精之助画文集(絵巻物冊子版)『シベリア抑留者の思い出』 
(自費出版、2016年)700円 
 
● 富田武・長勢了治編『シベリア抑留資料集成』 
(みすず書房、2017年)15,500円 *送料500円 
 
● 富田武著『シベリア抑留―スターリン独裁下、「収容所群島」の実態』 
(中公新書、2016年)860円 
 
● 山下静夫画文集『シベリア抑留1450日』 
(デジプロ、東京堂出版発売、2007年)特価2000円(定価2800円) 
 
● 渡辺祥子著『魚と風とそしてサーシャ』<第1回シベリア抑留記録・文化賞受賞> 
(桜美林大学北東アジア総合研究所、2013年)800円 
 
● 原田充雄著『シベリア抑留・虜囚の詩』 
(自費出版、1999年)2,000円 
 
● 池田幸一著『アングレン虜囚劇団』<復刻版> 
(サンケイ出版、1981年)1,500円 
 
● ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会刊『捕虜体験記』 
(全8巻、1984〜1998年)全8巻セット特価23,000円、各巻特価3,500円(送料込) 
*第検複粥亡「ハバロフスク地方篇」、第察複掘亡「タイシェット・イルクーツク篇」は在庫なし。 
 
      ★      ★      ★ 
 
【事務局より】 
 
● 8/23「抑留犠牲者追悼の集い」へのご来場、開催協力ありがとうございました。 
 
● 元抑留者が遺された資料・原稿・図書・録音テープなどをご遺族より寄託され、大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス7F(「抑留問題資料室」)で整理作業を行っています。 
作業を手伝って下さるボランティアを募集中です。毎週月曜日を作業日にしています。 
(8月28日、9月4,11日の10:30−15:00作業予定です。9月18日は休みます。) 
 
● 資料等を寄贈いただく場合は、下記の宛先にヤマト・宅急便(着払い)でお送り下さい。 
 ⇒〒106−0041東京都港区麻布台1−11−5 
  大阪経済法科大学・麻布台セミナーハウス7F 
  抑留題資料室あて(Tel:080−5079−5461)。 
 
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シベリア抑留者支援・記録センター 
(住所)〒102−0074 東京都千代田区九段南2−2−7−601 
(Tel)03−3237−0217 / 080−5079−5461 
(Fax)03−3237−0287 
(E-mail)cfrtyo@aol.com / cfrtyo@gmail.com 
(Web)http://sdcpis.webnode.jp/ 


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