2017年09月29日20時01分掲載  無料記事
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政治

小池百合子の踏み絵は人間を服従させるナチス的な儀式だ

  「希望」から出馬するための儀式として改憲や安保法制に賛成であることを迫る小池百合子の踏み絵は人間の誇りをくじくファシズムの階段だ。こうして大衆の目の前で議員が信念を裏切り、膝をついて許しを請う姿をさらすことが小池百合子の狙いである。それはナチスの行動原理とよく似ている。 
 
  ナチスは1933年に権力を奪うや、数週間後のメーデーで行動した労働組合員たちを逮捕し、広場で絞首刑にして、見せしめにした。自分たちの価値観に盾つくものがどのような姿になるか、それを大衆に見せたのだ。それは権力の快感だっただろう。小池の行動は政治的にはこれと同じ行為である。1950年代初期のマッカーシーの赤狩りも彷彿とさせる。それを可能にしたのが民進党党首の前原である。民進党からは公認が出ない、という前提を作り出して否応なしに議員をそのような苦渋に追い込んで平気な政治家である。前原のような想像力の乏しい凡庸な政治家が国民の思いをくみ取ることはありえない。もともと極右の前原と小池の思想は非常に近い。安倍晋三とは兄弟みたいなものだ。 
 
  沖縄の議員、玉城デニーは早々と「希望」に合流することを拒否した。人間として、政治家として、沖縄人としての矜持がかかっていた。植民地支配と一度でも戦ったことのある人間なら、妥協の余地はない。勝つためには妥協しようと言うのは支配する側にいた日本本土の人間の生ぬるい感覚だろう。韓国でも台湾でも傲慢な支配者には徹底抗戦してきた。沖縄でもそうだ。 


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