2017年10月06日14時09分掲載
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文化
【核を詠う】(245)山崎啓子歌集『原発を詠む』の原子力詠を読む(3)「子らの声戻らぬ避難解除の地 桜咲けども地母神(じぼしん)の鬱」 山崎芳彦
前回から間を空けてしまったが、山崎啓子歌集『原発を詠む』を読む。今回が最後になるが、この間、安倍総理大臣による国会の「違憲解散」があり、小池都知事による「希望の党」の結党に引きずりまわされるような民進党の「身投げ解党」、それを是としない民進党の有志の「立憲民主党」立ち上げなどの動きが続いてきたが、その中にあって安倍政治とそれを補完する勢力の改憲の企み・安保法制の容認と戦争をする国づくりを許さない闘いとしての総選挙をより力強く前進させることの重要性はますます高まっていると思う。
それにしても小池「希望の党」のまやかしの「原発ゼロ」宣伝は、口先三寸で、あわよくば…の謀略であることは、すでにこの『日刊ベリタ』の記事で明らかにされているが、小池百合子の国会議員、自民党内閣の閣僚の時の言動、福島原発事故の直後の「稼働中の原発は安全性を総点検した上で運転を続けていい」(2011年5月『アエラ』臨時増刊)、「新基準を満たした原発は再稼働すべき」(2012年総選挙時の「毎日新聞」のアンケートへの回答)、希望の党代表としての「平成30年までに原発ゼロを目指す」発言のときの「原子力規制委員会が安全と認めた原発について稼働するなとは言わない」旨の付言、さらには「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分あり得る…このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけない。」(小池百合子氏の公式サイトより、VOICE2003年3月号座談会発言 月刊誌「KOKO」編集者・井上伸のブログより引用)、その他、小池百合子氏の原発、核武装に関する危険な考え方が、どこでどのように「2030年までに原発ゼロ目標」に転換されたのか、言葉を踊らせて主権者をだますような政治家を代表とする政党を信じることができないのは、筆者ばかりであるはずがないだろう。
今回読む山崎啓子さんの作品には、山崎さんが福島の地を訪れ、帰還困難区域を回っての体験を踏まえた歌が多い。その中に、牧場の牛をテーマにして詠った作がある。「『無辜の牛殺せるはずがあるものか』と言ひて牛飼しばし黙りぬ」という一首を読みながら、ちょうど今筆者が読んでいる『福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質]』(NHKスペシャル『メルトダ
ウン』取材班著、講談社現代新書、2017年9月20日発行)の中のコラム「福島住民にとっての被災6年」に書かれている大熊町の牧場主夫妻に取材した文章と重なり、山崎啓子さんが詠い遺した短歌作品に改めてうたれ、福島原発事故が人々に、命あるものに、生きる環境に何をもたらしたのか、これでも原発を稼働させることを許せるかとの思いを強くした。自民党の総選挙公約には「(原発を)貴重なベースロード電源と位置づけ、新規制基準に適合すると認められた原発は関係者の理解と協力を得て再稼働を進める。」と掲げられているが、この道理も倫理も踏みにじる政治を許してはならないと強く怒りを新たにした。
前記のコラム「福島住民にとっての被災6年」の中から、牧場について取材し書かれた部分を引用させていただく。
「戻れるものならすぐにでも故郷に戻りたいという住民もいる。2014年12月、取材班は、福島第一原発から5キロほどの大熊町(おおくままち)で畜産農家を営んできた池田美喜子(57歳)を訪ねた。家畜への放射能の影響を調べるため、大学の獣医師などによる牛の解剖が行われると聞いたからだ。国は事故の後、原発から20キロ圏内の家畜について安楽死処分するよう求めてきたが、池田は一貫して拒み続けてきた。そして避難先の広野町(ひろのまち)から毎日、20キロの道のりを通っては、牛たちに牧草を細々と与え続けてきた。しかし、汚染が広がった土地で育った牛は、どこにも出荷できず、ただ寿命を待つだけの状態となっていた。
そこで池田は、悩んだあげく、放射線の影響を調べる獣医師たちの調査への協力を申し出たのだった。この日、解剖の対象となったのは、震災の年に生まれた3歳の雄牛だった。十分な栄養も行き届かないまま、自力で立つこともできなくなっていた牛は、うずくまったまま黒い瞳だけを獣医師たちに向けていた。やがて麻酔が首に打たれると、そのままわらの上に静かに横たわった。解剖はその後、2時間ほどかけて粛々と行われ、牛から採取された脳や臓器などが容器に移され、運ばれていった。屍(しかばね)を前に、池田は手を合せながら『何で、オラの牛を、なんでこの子たちを殺さなければならないんだべ。とにかく、原発事故が憎い』と言葉を絞り出すようにつぶやいた。
2017年5月、池田の夫・光秀(55歳)が取材に応じてくれた。その後も定期的に解剖が行われ、震災前に50頭余りいた牛は、30頭に減ってしまったという。研究への協力を続けたことに光秀は、『大切に育ててきた牛を、また牛にとっても与えられた命を無駄にしてほしくない。せめて人類のために役立ててほしい』と答えた。そして、『あの場所に自分の土地がある限りは、すぐにでも帰還して、再び牛たちを育てながら暮したい』と続けた。」
山崎啓子さんの作品を読む。
◇希望の牧場◇(抄)
被曝せし牛の牧場があると聞き帰還困難区域に入りぬ
白河の人の車で牧場へ通行許可証にわが名と電話
浪江町発行の通行許可証に「公益」の文字ありて戸惑ふ
被曝するも覚悟の上の一日なり初めての帰還困難区域
山道を走る車内の線量計鳴り始めたり 牧場に着く
牧場の看板大きく独特の書体で記されし「原発一揆」
被曝して肉牛になれぬ黒牛が生き延びてをり浪江の牧場に
モーという声する方を向くわれら二マイクロシーベルトの地に
のったりと歩む黒牛のどかなるこの地が帰還困難区域
牛をベコと呼びいつくしむ福島の人に「殺処分」国は指示せり
ありにけむ葛藤と疲労売れぬ牛飼ひ続け来し牛飼の四年
牛飼は遂に農水省前に 白き斑出でし黒牛連れて
売れぬ牛育て続くる牛飼は冬場の餌を気に懸けてゐる
ベコの寿命の二十年間は養ふと闘牛のごとくべコ飼は言ふ
放牧の牛が除草すると聞く 帰還困難区域の田んぼを
阿武隈の山の麓の牧場に連れ立ち歩むは牛の家族か
◇常磐線◇
ときじくのかくの木の実のなる里にいとそぐはざり伊方原発
原発再稼働二ヶ月目の伊方町長選全国紙にはわづか数行
再稼働の賛否を問はれ新潟の人ら隣県の惨事忘れず
原発三基メルトダウンの起こりし地五年ののちの余震に揺るる
地震時はテレビに原発映りたり「異常は無し」の言葉とともに
九%の人しか戻らぬ楢葉町「教育」の名を借り町は学校再開
誰がための学校再開「町ありき」の犠牲となるや子らの安全
竜田駅の先に進めぬ常磐線代行バスが北へと向かふ
この六年盆正月も客の無し高線量の常磐線五駅
◇相馬焼の椀◇(抄)
星の光度にマグニチュード使ふ国もあり地震多き国に住みて羨む
地揺れればあの三月を思い出す原発からの魔の黒雲を
亡国の兆しなるらむ心臓に異常のある子増ゆと聞きたり
サッカーに若きら走る校庭の片隅にあり放射線監視装置
夕闇の学び舎に白く立ち通すモニタリングポスト歩哨のごとし
慰謝料の打ち切り子育ての地も選ばせぬこの国酷し
復興の名にて排さるる「一年に一ミリシーベルト」の被曝制限
禽獣ら無事に蕃殖るや杣人も五年踏み込まぬ阿武隈の森
汚染水止まらぬと聞く 耐ゆるしかなきか回遊魚食せぬ日々に
原発事故は奪ってしまひぬ旬ごとに魚と出会ふわが楽しみを
証言集『福島県から栃木県』読み終へて差す目薬沁みる
馬の絵を瀬戸に描きし手で綴る相馬焼陶工の日記切なし
描かれし馬も火炎に焼かれけむ 手にひんやりと相馬焼の碗
放射能防護服の人思ひつつクールビズで行く低線量の町
人ひとりの価値軽重はあからさま廃炉作業員の死わずか数行
千メートル掘らば温泉のでる国に核ごみ埋むる地などはなくて
百年も生きぬわれらが核ごみの十万年後の無害化を言ふ
問はるるも答はあらず「核ごみをあなたの町で引き受けますか」
◇地母神(ちぼしん)の鬱◇(抄)
忘れ草の名を持つ萱草(くわんざう)土手に満ち放射線量のその後分からず
復活を果たしてしまひぬ知らぬ間に電力会社のテレビCM
「菌」と児童を呼ぶ人すらも六年前合言葉として「絆」と言ひけむ
廃炉費用上乗せと知りつつ払ふ毎月毎月の電気料金
「クリーンなエネルギーなり原発は」チェルノブイリの後(ご)も疑わざりき
今は亡き市民科学者の隻句あり「原発排水は海を暖める」
「核の平和利用」とは犠牲を犠牲と見ざること チェルノブイリを福島事故を
「常陽・もんじゅ」切手販売の日もありき国は残夢をいまなほ追ひぬ
切手「常陽」に描(か)かる照射燃料は六角形の桜花(さくらばな)の色
廃炉作業離職の人はシーベルトをミリで測りし日々を語りぬ
下請けの下請けの下請けの人らの被ばく七年目なり
爆ぜし炉に孜孜(しし)と働く人なくば首都に寝起きも五輪もあらず
『万葉集』平成にあらば載せるべし廃炉作業の「防人」の歌
夏祭りこども神輿が近づきぬ五年前避難の児も参加して
児の故郷は住宅支援打ち切りて年間二十ミリシーベルトの安全と言ふ
汚染なきいにしへの大気吸ひたるや太く丈夫なり土偶の首は
なりたるや牛のほとけに 殺処分なされし牛らの慰霊塔あり
津波来ても高所に逃ぐれば大丈夫と原発なかりしころの俚諺(りげん)に
「秋」の文字火の旁(つくり)持ち昨秋も二基の原子炉適合となる
稼働中の原発の安全言われたり七年前の福嶌のうに
「ここから入れません」とふ看板はイナサが吹けばわづかに揺るる
子らの声戻らぬ避難解除の地 桜咲けども地母神(じぼしん)の鬱
◇二〇一七年作◇(抄)
米国の「核の傘」よりも縋るなら奈良の古寺の地蔵の傘御光
原発のなき沖縄の澄む月も憂ひてをるや辺野古の海を
南相馬に野馬追ひの士ら創りたり農の拠点を「野馬土」の里を
幾百万の反対の声積みゆかば原発終つるときぞ来るらむ
結局は、60ミリシーベルト浴びし身なり末期がんとなりし事故後の日々に
後世の誰かに伝へむ原発を恨む末期がん患者の歌を
次回は、山崎啓子短歌・第二集『白南風』から原子力詠を読む。(つづく)
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