2017年10月07日14時45分掲載  無料記事
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欧州

バルセロナ物語  カタルーニャ独立に賛成?反対?  平田伊都子

 
 2017年10月5日、スペイン憲法裁判所は10月9日に予定されているカタルーニャ自治州議会に対して、差し止め命令を出しました。 なぜなら、この日の州議会で、10月1日のカタルーニャ州独立住民投票賛成結果を受けて、独立宣言をすると言われてるからです。  スペイン中央政府もスペイン中央憲法裁判所もカタルーニャ独立に反対で、住民投票や独立宣言は違憲になり犯罪だとしています。 今でこそスペインの一地方州という屈辱的支配に甘んじ、スペイン中央政府に高額な税金を納めているカタルーニヤ自治州ですが、スペイン王国など影も形もなかった878年に、バルセロナ伯がカタルーニャ君主国を立ち上げているのです。 言葉も文化も、気質も違うカタルーニャ民族は、バルセロナ包囲戦争で新参者のスペイン・フランス連合軍に敗れた、<1714年9月11日 >という無念の日を胸に刻み、レコンキスタ(奪還)の機会を狙ってきました。 
 
(1)カタルーニャ独立宣言: 
 2017年10月3日、スペイン北東部カタルーニャ自治州のカルレス・プッチダモン首相は欧米メデイアに登場し、10月9日の州議会前後にカタルーニャの独立を宣言すると示唆した。カタルーニャ首相発表の直後に、スペイン中央政府首相マリアノ・ラホイの依頼でスペイン国王のフェリペ6世が国民向けのテレビ演説を行い、「住民投票を主導した人々は法の外に出た」と、カタルーニャ住民投票を非難した。一方、プッチダモン首相は国際社会の支援を呼びかけた。EUヨーロッパ議会は4日に始まり、ティメルマンス副委員長は冒頭で、「カタルーニャ住民投票はスペインの憲法に違反する」と述べた。が、カタルーニャ独立の賛否の渦に、ヨーロッパや国際社会が巻き込まれていくに違いない。 
 21世紀のカタルーニャ独立気運は、2010年7月10日のカタルーニャ州都バルセロナで起った「カタルーニャ自治反対」の主催者発表150万人(警察発表110万人)デモで火が点いた。2012年の9月11日<カタルーニャ屈辱の日>のデモにはSCBサッカークラブ・バルセロナの会長(当時)サンドロ・ロセイが参加した。サッカーも独立運動に返り咲いた。そして、2015年9月11日屈辱記念日にバルセロナで、「カタルーニャ共和国への自由の道(警察発表140万人)デモが起こり、2016年1月にカルレス・プッチダモン新首相が、18か月以内に「カタルーニャ共和国」を樹立すると発表した。2017年10月9日の独立宣言は、やや勘定が合わないが、、計画通りだ。 
 
(2)バルセロナ物語: 
 カタルーニャ州の州都はバルセロナで、カタルーニャ独立運動はこの港町を中心に行われている。<バルセロナ>と聞いて、何を連想しますか?バルセロナ・オリンピック、ガウデイ、STBバルセロナ・サッカー・チーム、、 
 筆者はスペイン映画<バルセロナ物語>でサラ・レサーナが演じていたジプシー娘に魅かれ、バルセロナの駅に降り立った。が、ジプシーに会い一緒に踊れたのは、南フランスのセント・マリー・ド・ラメールだった。国境を越える列車は、モロッコ北部からの出稼ぎ移民で満員、、アラビア流行歌とアラビアの香辛料がムンムンする、楽しい集団移動列車だった。 
 <それでも恋するバルセロナ>というウディ・アレン作のアメリカ・スペイン合作映画が2008年に公開され、邦題に魅かれて映画館に入ったら、、なんとも陳腐な<すけこまし>映画で、途中退場しようとした。その時スクリーンに、威勢のいいスペイン美人が登場した。その<すけこまし>の女房を演じるペネロペ・クルスは、第81回アカデミー助演女優賞を取った。しかし、映画の製作費10%以上がカタルーニヤ州の税金だったにもかかわらず、英語作品に仕上げたので、カタルーニヤ市民は激怒したそうだ。<すけこまし>を演じたスペイン俳優ハビエル・バルデムは実生活でもペネロペ・クルスの旦那で、彼も2007年に<ノーカントリー>で、アカデミー助演男優賞を取っている。その不気味な悪役専門のバルデムが、自作自演のドキュメンタリ―映画<ラストコロニー(西サハラ植民地)>をひっさげて国連脱植民地化第4委員会に登場した時、映画ファンも人権団体も驚いた。極悪人とはほど遠い、眼鏡をかけたニコニコと愛想のいい普通の<おっさん>だったのだ。 
 <おっさん>は、1969年にスペイン・カナリア諸島ラスパルマスで生まれた。ハビレス一家は、1975年に当時のスペイン植民地・西サハラをモロッコとモーリタニアに不法分譲した無責任なスペイン王国の対応を、非難し続けている。 
 
(3)STBバルセロナ・サッカー・チーム: 
 STBとは、サッカー・チーム・バルセロナの頭文字で、スペインのみならずヨーロッパを代表するサッカーのクラブだそうだ。1899年に創設され、1919年のカタールニャ自治憲章制定運動のスローガンとなった「クラブ以上の存在」が、バルセロナ・クラブの合言葉になっている。スペイン内戦時(1936年7月~1939年3月)、カタルーニャ人民戦線政府はフランコ将軍の独裁軍事勢力に強く抵抗した。その間、バルセロナ。クラブ会長J・スニョルが暗殺され、クラブの会員数は250人まで減少した。人民戦線を支持したのは当時のソ連と国際義勇軍で、ドイツはフランコ軍事勢力を支援し、イギリスとフランスはノータッチ。結局、人民戦線は破れ、カタルーニャはフランコ軍事政権から目の敵にされた。が、バルセロナ・クラブはカタルーニャ民族主義の象徴としてその後も人民が死守した。 
 現在も、バルセロナ・クラブは一般市民から会員を募り、その会費でクラブを運営している。日本では2004年6月から会員募集が行われ、世界中で会員は18万に達している。 
カタルーニャ民族主義の象徴バルセロナ・クラブは、カタルーニャ独立運動を支持しているし、カタルーニャ住民投票を支援した。 
 2017年10月1日、カタルーニャ住民投票の日に、バルセロナ・クラブはラス・パルマスとの試合が予定されていた。スペイン中央政府軍の住民投票妨害を受けてバルセロナ・クラブはラス・パルマス戦の延期をスペイン・プロリーグ機構(LFP)に要求した。しかしLFPは延期を承諾せず、バルセロナ・クラブは初の無観客試合を行うことを決定した。同クラブは「バルセロナは、カタルーニャのあらゆる場所で、民主主義と表現の自由を阻害する行為が行われていることを非難する」と、声明を出した。無観客の試合ほど間抜けなものはない。 
 筆者はイラクで、<無観客のイラクVSイラン戦>を取材したことがある。その時、貴賓席をフセイン大統領の息子ウダイたちが占拠していて、観客席には誰もいなかった。イラク戦争直前に遭遇した異常な光景だった。 
 
 カタルーニャ独立の行方を、ワクワクしながら見守っている州がいくつかスペインにあります。 その一つが、バルセロナ・クラブが無観客試合をした相手チームのラス・パルマス。 バルセロナ物語の役者が生まれた、カナリア諸島の首都です。 そして、役者ハビエル・バルデムが支援する元スペイン植民地で現モロッコ植民地の西サハラは、固唾を呑んでカタルーニャの独立を見守っています。 スペイン内戦と無責任なスペイン植民地放棄に泣かされた西サハラの人々は、スペイン中央政府と闘うカタルーニャの人々に限りない共感を覚えているに違いありません。 が、西サハラ難民政府が、さっさと支持表明を出さないのは、、なぜでしょうね? 
モロッコの立場は、はっきりしています。 スペイン中央政府支持で、カタルーニャ独立もカタルーニヤ住民投票も反対です。 
元ポルトガル植民地の東チモール住民投票と独立を助けた元ポルトガル首相グテーレス、彼が率いるUN国連は?  EUヨーロッパ連合は?  そして、あなたは? 
 カタルーニャの独立は国際社会の踏み絵になりそうです。 
 
 
文:平田伊都子 ジャーナリスト、写真:川名生十 カメラマン   2017年10月7日 


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