2017年10月28日20時50分掲載
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アジア
仏教国タイにおける国家と宗教 プミポン国王後への一視点<上>
「国父」と慕われたプミポン前国王の火葬の儀が終わり、一年間の服喪から明けたタイの今後が注目されている。政治的な分析のまえに、70年間の在位中に東南アジアの途上国を経済的な中進国へと発展させるうえで大きな役割を果たした前国王の存在とは何だったのかを、仏教国における国家と宗教の基本構造のなかで理解しておく必要があるだろう。それが、ワチラロンコン新国王のもとで政治的な安定と順調な経済発展を持続できるかどうかをさぐる一視点となる。(永井浩)
▽正法・国王・サンガ
タイ国民の9割以上は仏教(上座仏教)を信仰している。その社会を伝統的におおきく規定するのが、「正法」と「国王」と「サンガ」である。
正法とは、仏教の正しい教え、真理(ダンマ)を意味する。「サンガ」は仏教の出家修行者で形成される組織(僧団)で、正法の嗣続者である。そして国王は、正法の実践者であると同時にサンガの擁護者として正法の維持に貢献する。
こうした関係性のなかで、正法は国王による支配の正統性原理となり、国王は法に従って統治を行うことでその支配を正当化する。逆に言えば、「法」によらない統治を行う国王は正当性を失うことになる。現に、現チャクリ朝のまえのトンブリ朝のタクシン王(1767〜1782)は、晩年、精神錯乱に陥り、理由なく臣下を罰するなど正法にもとる行為を行ったため、臣下はこの「非法王」を処刑した。
では、一般民衆(国民)は、国王と仏教に日々どのように向かい合うのか。在家の信者は、仏教の擁護者であり法によって国の発展を導こうとする国王を尊敬する。また在家者は、出家者の日常的生活を支援する任務を自己に課す。具体的には、毎朝托鉢にまわる修行者への食事などの布施である。これによって、サンガを形成する修行者は日々のなりわい確保の煩わしさから解放されて超俗的な持戒修行をつづける生活形態が可能になると同時に、在家者は来世のしあわせを保障してくれる徳(ブン)を積むことができると信じられている。
以上の点を、チャクリ朝のラーマ九世であるプミポン国王(1946〜2016)の足取りによって確認しみよう。
タイでは、男性は生涯において一度は仏門に入るのが習わしとなっている。国王といえども例外ではない。そうでなければ、社会から一人前の人間と認めてもらえない。
プミポン国王は、1956年にバンコクのボーウォンニウェート寺で2週間の出家生活を送ったが、僧院においては国王も特別扱いはされない。ブッダの教えにもとづいて解脱への道をめざす、多くの比丘の一人にすぎない。国王は同輩の比丘とおなじ黄衣をまとい、早朝の托鉢行を実践した。こうした国王の姿は、国民から仏教を尊崇する垂範的な行為とみなされ、国王を敬う気持ちを高めるとともに、人びとをサンガ支持行為へと導くことに貢献する。
若き国王には、敬虔な仏教徒だけでなくもうひとつの顔があった。米国で生まれ、幼少時と青年期をスイスで過ごし、スイスのローザンヌ大学で政治学や法学を学んだことから、欧米文化への造詣が深く多趣味なことでも知られた。なかでもジャズを愛好し、みずからの作曲した作品をサクソホンで演奏する姿は国民に国王への親近感をいだかせた。ヨットレースで東南アジア競技大会の優勝を飾ったこともある。
しかし、プミポン国王が政治的な威信を兼ね備え、国民から「国父」と敬愛されるようになったのは、1960年代に入ってからである。(つづく)
参考文献
石井米雄『上座部仏教の政治経済学』、創文社、1975年
石井米雄『タイ仏教入門』、めこん、1991年
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