2017年11月08日01時11分掲載  無料記事
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政治

野党共闘を考える 市民連合の中野晃一教授(上智大学)に聞く その2  

Q 2016年の参議院選挙の際、市民がイニシアチブを取って野党を共闘させた、というのは画期的なことに思えました。これについて、世界の政治史から見た場合はどのように位置づけられるのでしょうか? 
 
中野  ある意味、興味深いところがあると思うんです。2015年9月19日の安保法制の可決までに5つの団体が中心となって〜他にもいろいろありますが〜 総がかり、シールズ、ママの会、立憲デモクラシーの会、学者の会という5団体が中心となって抗議をやってきた、と。その過程で野党共闘を、ということを言ってきたわけですよね。ただ新しい市民運動の抗議行動ということに関して言えば、恐らくルーツとしては少なくとも2011年以後の脱原発運動に遡るところがあると思うんです。脱原発運動や特定秘密保護法に反対する運動、そして安保法制に反対する運動です。私たちもこの間、いろんな形で連携してきたのが、ついにそこで大きな形になったという事だと思うんですね。 
  その意味では野党共闘のルーツとしては2011年くらいからの大きな流れがあった、という言い方ができると思います。世界的な文脈から言えば2010年から「アラブの春」があって、南ヨーロッパなどにおいての運動もあって〜スペイン、ギリシア、フランスなどもそうですが〜そうしたところにおける直接行動がありました。 
  さらにアメリカでも2011年の秋に「オキュパイ運動」(ウォール街を占拠せよ!)が起こりました。代議制(議会政治)が失敗していること、あるいは機能不全を起こしていることに対して市民が直接行動を取る、ということが、そのあたりから大きな流れになっていたと思うんです。そういった流れが国によっては政党政治を変えていく、ということになりました。実際に変革につながっていったケースがあります。目覚ましい例で言えば、スペインの「ポデモス」なんかもそうですけれども。日本の場合にはそれが野党共闘という形を取ったということが1つの特徴だと思うんですね。 
 
Q 日本ではそれが野党共闘だった・・・・ 
 
中野  それには理由があるんです。日本では新党を作るのが非常に難しい。安倍政権において右傾化が非常に加速度的に進んできたということはありますが、その前から日本の民主主義の実質は相当に形骸化しているというか、もともとかなり不完全だったという言い方もできると思うんです。供託金の高さとか、選挙運動についての様々な規制、禁止事項ということを踏まえてもそうなんです。市民が選挙に参加したり、政党を作ったりすることが極めて難しい。そういう意味で非民主的な選挙制度と言うのが小選挙区制に限らず、ある国なんだと思うんですね。 
 
Q ほかの国よりも政治参加の障壁が多いんですか? 
 
中野  ええ、そうですね。非常に単純なレベルで言えば供託金なんかもそうだと思うんです。衆議院選挙で小選挙区で立候補するには300万円、比例名簿に載ろうと思うと600万円が一人ずつかかるというのはかなりバカげたと言うか、他国には類例がないようなことだと思うんですよね。さらに日本の場合には社会的な慣行として候補者になった段階で普通は職を辞さないと立候補できないなど、かなりリスクは高い。 
 
Q 立候補するためには仕事を辞める、と言うのは慣行となっているんですかね? 
 
中野  普通そうですよね、公務員などはもちろん辞めなくてはならないでしょうが。大学の教員などの場合も恐らく普通は辞職してからということになるでしょう。そういった状況では新しい政党を作るということよりは既存の野党に働きかけてという形でしょう。そして選挙制度の、衆議院の小選挙区、あるいは参議院選挙の1人区ということを考えると野党共闘ということを求めていくことが合理的だという判断です。その道筋を政党たちが自主的にやったといことではなく、市民が後押しをして市民が作っていったというのが正確なんだと思うんです。 
 
  一番そういう意味ではそういう大きな動きに最初につながっていったのが、2014年12月に「総がかり行動実行委員会」ができたことだと思うんですね。総がかり行動実行委員会は民進党の支持母体である連合の左派の組合と、共産党に近い労働運動、そして無党派の平和運動、この3つが一緒になって2014年12月にできました。言ってみると民進党と共産党の両方の支持母体がここで協力する形が生まれたのです。で、彼らが「野党は共闘して頑張れ」と言って抗議行動のたびに両方の政党の人を呼んでくる、ということをやった。 
 
  さらに2015年5月にシールズ(SEALDs:自由と民主主義のための学生緊急行動)ができて、シールズも同じで抗議行動のたびに野党議員を呼んできて野党共闘を呼びかけるということをやったわけですね。それで参議院に審議が移ってから2015年9月19日未明の安保法制の強行採決に至るまで、多くの市民が国会前に集まって「野党は共闘しろ」、「安保法制の賛成議員は落選させろ」、ということを声に出してきた、という形ですね。それで野党共闘が国会の中においてまず闘われた、というのがその後の野党共闘の前提になっていると思うんです。安保法制が通ったあとにこれで終わり、ということではなくて、廃止にしていかなければいけない、ということで我々も市民連合を作ったわけです。市民連合としては次に参議院選挙が来るというわけで選挙を踏まえてやはり野党共闘を求めていかないといけない、と選挙に関してなっていったという流れだと思います。 
 
Q 野党共闘という考え方を打ち出していったのは政治学者の山口二郎教授や中野晃一教授だったのでしょうか?中野教授はどのようにこのアイデアに政治学者として関わってこられましたか? 
 
中野  私個人で言えば、野党共闘の1つのモデルとして意識していたものにフランスの社会党の経験というのがありますね。社会党のミッテランが大統領になって政権を獲得したのが1981年です。ミッテランが政権奪取に向かっていくときに共産党や社会党などの左派政党を連携させました。さらにもう少し後になって今度は保守政党のシラク大統領の時に、リオネル・ジョスパン率いる社会党が国会議員選挙に勝ってコアビタシオン(保革連立政権)という形で内閣を組織することになりました。あの時に「複数形の左派」という言い方をしていたと思うんですけれども、緑の党なども含め幅広く左派政党が集まって、単一の政党を作る、というのではなくて、多様性のある「リベラル左派連合」というものを作ったんです。これを見て私自身も単一政党を作るのではなく、複数の野党で連携する形を作るべきではないか、と思っていました。ですから、野党共闘は正当性はあるんじゃないかと思っていたところはあります。 
 
Q 「合流」騒ぎの中から立憲民主党が生まれてきましたが、これをどうご覧になりますか? 
 
中野  立憲民主党は興味深いと思うんですよ。もともと民進党の政策とそんなに大きな違いはないんですね。ただ前原さんとか保守派の人たちではないところで作られたので結果としてリベラル色が強く見えるようになったと思うんです。それまでは遠慮していたような感じのところが思い切りいえるようになってきたと思うんです。脱原発にしても、安保法制にしても、憲法の問題にしても、より踏み込んでいるように見えるということはそういうことだと思うんですよね。 
 
  ただ立憲民主党があのようなタイミングでできたというのはそれまでの市民と野党の連携がなかったら不可能だったと思うんです。もちろん、立憲民主党ができるのかどうか、民進党の希望の党への合流と言うところでそんなにすぐにできる、と言う話にはならなかった。一時期は民進党の両院議員総会で希望の党に合流することを満場一致で決めているわけですから、あの段階では立憲民主党ができる気配もなかったですね。しかし、小池さんが自分の気に入った人だけを迎え入れて残りの議員は排除していくことにしたので、「これは話が違う」といったことで動いていったという部分があると思うんです。 
 
  ただ、立憲民主党の誕生が可能になったのは、連合左派の組合が動いて立憲民主党の結党を可能にしたということですよね。当初は連合が丸ごと希望の党を支持する、という形になっていた。しかし、民進党の一部議員は排除する、と言った段階において産別によって対応が変わって来ると。連合全体が希望の党を支持する、というのではなくて。民進党議員が無所属や別の党を作って出馬するとしてもそっちを応援する、ということが可能になった。それは「総がかり」の枠組みでやっていた連合左派の運動体があったからこそできたと思うんですね。 
 
  あとは今年の9月26日の政策要望にもあったように、共産党など他党との話し合いもあったので立憲民主党を結党する、ということになってくると、現職議員に関しては共産党が候補者をかなり取り下げてくれる、ということになったのです。それまでの蓄積がなかったらできる話ではないわけですね。 
 
  もう1つ最後にあると思うのは前原さんが民進党のお金も組織も持って逃げちゃったような状態の中で、何もないというところで、手弁当で立憲民主党の結党、スタートダッシュを手伝った人たちが出てきた、というところだと思うんです。それは元シールズの若者だったりとか、そこと連携してきた弁護士さんだったり、あるいはデザイナーさんだったり、メディア関係者だったり。それぞれの人たちが、たとえば新党のロゴを作る、記者会見を開く、街宣をやる・・・どこでどういう形で伝えるのかなど、すぐに動ける人がいたのです。それがなくては立憲民主党はあのようなインパクトのある形でメッセージを伝えることができなかったと思うんですよね。日本の歴史において初めてに近いと思うんです、市民の参加があったからできた政党という意味で。それがなかったら、いくら連合左派が助けると言ったところで政党はできたかもしれないけれど、あのような形にはならなかったと思いますね。 
 
 
聞き手 
村上良太 
 
 
※市民連合のホームページ 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201711080022143 
 
※リオネル・ジョスパン(1937 - ) 
 フランス社会党の政治家。 
 「1997年6月の総選挙で社会党を中心とする左翼勢力が勝利し、左翼連合政権の首相に就任する。「多元的左翼」路線を掲げた」「第三次コアビタシオンとしてのジョスパン内閣(1997-2002) が成立したが、この内閣の実績としては、国内外から実現不可能とされてきた週35時間労働法の成立施行、市民連帯協定(PACS)の実現などが上げられる」(ウィキペディア)この多元的左翼の元の言葉は”La Majorite plurielle” あるいは” Gauche plurielle”とされる。 
 
 
■野党共闘を考える 市民連合の中野晃一教授(上智大学)に聞く その1 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201711080022143 
 
■野党共闘を考える 共産党幹部・植木俊雄氏に聞く 共産党はどのように共闘を決め、どのように進めてきたのか その1 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201711182057166 
■野党共闘を考える 共産党幹部・植木俊雄氏に聞く 共産党はどのように共闘を決め、どのように進めてきたのか その2 
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http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201710121409534 
 
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■政治を考える 辻元清美氏に聞く リベラルが政権を担う日  その2 
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http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201402031305081 
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